56話 差し伸べられた手
「うげって。随分と嫌われたものだね。」
そう言った彼は爽やかな笑みを浮かべた。とてもではないが目の前の人に嫌われていると自覚した人ができる顔ではない。
「いえ、失礼しました。つい本音が。」
「そうか。ついに君と僕は、本音で語り合える仲になったということでいいのかな?」
「いいのかな?」じゃないよ。いいわけないだろう。捉え方がポジティブにも程がある。ほとんど真正面から「会いたいのはあなたではない」と突きつけたばかりなのに、そんな親しい仲なわけがない。
そもそもこの人って、こんな風に笑う人だっただろうか。初めて会ったときにはどこか自虐的にすら見えたのに、今では見る影もない。
「まぁ、はい、そうですね。…お元気そうで何よりです。」
おれの語彙力にも問題はあるが、皮肉のような言い回しになってしまった。かと言って他にかける言葉も見つからなかった。
「心配して見舞いに来たが…君も元気そうで何よりだよ。」
たぶん彼の言葉に嘘偽りはないのだろう。いつまで床に伏しているとも知れないはずなのに、まるでおれの覚醒を見計らったかのような来訪。彼ならそれくらいやってのけそうではあるが、恐らくおれが眠りこけていた三日間、毎日訪れていたのだろう。
「目が覚めてすぐで申し訳ないが、君に話さなければいけないことがある。ガーネットに伝言を頼んでも良かったけど、こればっかりは僕から話したくてね。」
「それは…大事そうな話ですね。」
話し手がメタンフォードであるということを思うと、どうにも嫌な予感しかしない。
「ああ、まずは君に謝罪を。先の選定、君を煽るためとはいえ醜い嘘を吐いた。本当に申し訳ないと思っている。」
そう言うとメタンフォードは剣を床に起き、跪いて深々と頭を下げた。本来、騎士がここまで深々と頭を下げるのは礼儀上、王族以外ありえないとされている。それを知らない彼ではないだろう。
「やめてくださいよ。嘘であることはすぐに分かりましたから…そこまでしてもらわなくても」
「いや、これでも僕の気は全く済まない。僕にできることなら、どんな償いでもするつもりだ。」
「どんな償いでも……なら、裸踊りを」
「それは断る。」
「えぇ。」
一瞬で掌を返された。全然償う気ないじゃないですか…。
「では、十日間語尾に『にょん』をつけて」
「無理だ。」
「グレンさんにプロポーズを」
「却下。」
「三回廻ってワンと」
「死んでもやらない。」
メタンフォードはニコニコした顔でこちらの要求をすべて跳ね除けた。しかもこちらが要求を口にし切る前に先回りして即断即決の断固拒否ときた。
「全然だめじゃん!」
「言ったはずだ。僕にできることなら、とね。」
したり顔をしているが、本当にそうだとしたらできることが狭すぎる。最後の要求に至ってはそれほど難しいことではないだろうに。
まぁ、おれもおふざけが過ぎたところはある。本当にやってもらおうなどとは微塵ほどしか思っていない。
「じゃあ、それは保留ということで。」
と言ってはみたものの、単純に彼にして欲しいことというのが思いつかなかっただけだ。
「それで、まだあるんですよね。話が。」
「ああ、これはついでの要件だったのだが…選定の結果が発表されたから君に伝えようかと思ってね。」
「いやそれ本題ぃぃ!」
唐突な告白におれは思いっきりツッコんでしまった。彼と話していると体力をごっそりもっていかれた気分になる。
だけど、ちょっと待って。結果が発表されただと?おれがぐっすり眠っている間に?最後まで執り行われなかった選定の行方はどうやって決定されたのだろう。
それに、その結果を持ってきたのがこの男だということが、どうしても最悪の結果を想起させる。
「いや、やっぱり聞きたくないです。どうぞお帰りください。出口はあちらになります。」
紳士的に扉の方を指す。そう。まだ結果は決まっていない。この男から結果を聞くまでは現実は確定しないのだから…。
「おや?聞かなくていいのかい?」
意外にも、随分と結果を言いたそうにするメタンフォード。
おっと?この反応はもしかするともしかするのか?まさかまさかの大逆転勝利がありえてしまうのか!?
「いえ、やはり聞きましょう。」
「そうこなくては。今回選出された二人だが…。」
生唾を飲み込んでメタンフォードの言葉に耳を済ます。一言一句、間違えずに聞き取れるように…。
「僕とエメラルダだ。」
「でしょーね!」
知ってた、知ってました!嫌な予感がした時点で「あ、これダメだ」って思いましたもん!そもそもいつ目覚めるか分からない変態が選ばれるわけないって、普通に考えればわかるだろう!
でも、メタンフォードがこんなに言いたそうにするんだから期待するじゃないか!明らかに誘導して、上げて落としたな!このド畜生!
「はは、そう睨むな睨むな。」
「よし決めました!さっきの償いとして、その座をおれに譲ってください!」
「それは無理だ。僕に決められることじゃないからね。」
「うがああああ!」
「ふっ、くくっ。あははははは!」
逆上している人を面白がる悪趣味な人間がいるとは聞くが、この男もその手合らしい。怒り散らすおれを見て、メタンフォードは腹を抱えて爆笑した。
「君は面白いな。」
この男、人をおちょくるためだけに見舞いと銘打ってここに通っていたのか。怒りのあまり脳内でプチプチと血管が切れているような気さえしてくる。おれは野犬のように息を荒げることしかできなくなっていた。
「ふーっ、ふーっ。」
「どーどー。まぁ、落ち着いて。」
「どの口がっ…」
と、その時、メタンフォードは一通の封を差し出してくる。だが、おれは既に彼への不信感を募らせ、素直にその封を受け取ることはできなかった。
「まぁ、君に特務部隊の座を明け渡すことはできないが…君への償いをしたいのは本心だ。それと今回の件での礼もしなくてはね。」
おれが封を受け取らないと見るや、メタンフォードは手ずからその封を開けた。中から取り出したのは一枚の書類。
「君はこの選定で選ばれなかった。つまりそれは、ハルティエッタ様が君を必要としないと判断したからだ。」
「なんっ」
「まぁ聞いてくれ。たとえハルティエッタ様が君を必要としないとしても、だ。それでもなお、君が彼女を近くで支えたいと願うのであれば。」
四つ折りになった紙を開き、字が読めるようにおれに差し出した。その紙の一番上段。その書類のタイトルが大きな太文字で記されている。
『副官登録書』
「ふくかん…とうろくしょ…。副官…!?」
おれは一度メタンフォードの顔を見て、再度書類に視線を落とした。最初は目を疑ったが、何度目を擦ってもその文字が変化することはなかった。
「これは…いや、ちょっと待てよ。この紙は本物か…?名前を書いた瞬間、高額な壷の売買契約書に変わったりとか…」
「流石にそこまであくどいイタズラはしないよ。」
うん?聞き捨てならないな。それだとさっきまでの行動がすべてあくどくなかったように聞こえる。怒りが限界を突き抜けて、危うくショック死するところだったというのに!
と思ったが、おれはこう見えて寛大なのだ。もしこの紙が本物だと言うのであれば、おれはちゃちなイタズラなど笑って水に流そう。
「さて、僕は君を副官として迎え入れたいと思っているのだが…。答えを聞かせてくれるかな?」
そう言うと、握手を求めて手を差し出してくる。
この男、『お立ち台の騎士』と称されてはいるが、その皮を剥いでみれば嫌味たらしく意地の悪い人だ。
答えなんて初めから分かりきっているだろうに。わざわざ行動で示すよう促してくるあたり、本当に腐った根性をしている。
そんな男にでも尻尾を振らないといけない自分の非力さにため息しか出ないが、ここは素直に受け入れる意外の選択肢はないのだろう。
「謹しみはしませんが、喜んでお受けします。」
おれは渋々、彼から差し伸べられた手を握った。
この章はこの話で終了になります。
誤字の報告だったり途中で期間が空いてしまったりと、読んでいる皆様には色々とご迷惑をおかけしました。
ですが皆様のおかげでとりあえずの決着まで描ききることが出来ました。大変感謝しております。
これからも、まだまだ物語は続きますので、引き続き応援していただけたら嬉しいです!
(もしよろしければ今後の参考にもなりますので、意見・感想などコメントをいただければ幸いです。)