55話 面会者
おれは一筋の光すら届かない絶対的な闇の中にいた。
体の輪郭すら視認できないほどの闇だった。
「おれは…死んだのかな…。」
ふとそんなことを思う。
そう思える程にこの暗闇はどこまでも深く果てしなかった。
意識はある…というかついさっき取り戻した。
記憶も確かだ。だが、自分が立っているのか寝ているのか…それ以前に生きているのか死んでいるのか判断ができない。
それほどまでに体の感覚がまるでないのだ。
「あの後、ハル姉は無事だっただろうか…。」
「こんな時でも他人の心配?」
独り言のつもりで呟いた言葉に返答があるなんて思いもよらなかった。だけど声の主が誰なのか、どこにいるのかは全く分からない。そう思ったがよく見ると暗闇の中に一点だけ白い光が見える。
その光はヒョコ、ヒョコと跳ねながらだんだんと近づいてくる。そして、その光が目の前まで来た時、ようやく光の正体を理解した。それは白くて小さなウサギだった。
「そうか…お迎えか…」
「違うわよ!?」
ラビがツッコミをするところなんて初めて見た。
「ああ…まだやり残したこと、たくさんあったんだけどな…。」
「ねえ、聞いてる?違うったら!」
「いや、いいんだ。気休めはよしてくれ。おれもハル姉を守って死ねたのなら本望だから…」
「は?違うって言ってるでしょ。話聞きなさいよ、生かされたいの?」
明らかに『殺されたいの?』のテンションなのだが…。
あ、もしかして『逝かされたいの?』と言ったのかも。
じゃあ、やっぱり死ぬんじゃないか。
「死なないから!はぁ、安心しなさい。あなたは眠っているだけだから。」
「え、心を読ん」
「私の前では話しても思っても同じことよ。」
「そ、そうですか。」
「…。」
「…。」
妙な間が空いたが、気を取り直すようにラビが口を開いた。
「直接話すのは二度目になるわね。」
一度目はガルザとの戦闘中、おれを守って力を指し示してくれたとき。ラビには本当に感謝してもしきれない。
ラビはおれと同じ目線の高さまで浮き上がった。
「ふん、いい心がけだわ。引き続き私を崇め奉るように。」
「うん、ありがとう。ラビ。」
何だか今ならいけそうな気がして、ラビに向けて手を伸ばした。その手は何に邪魔されるわけでもなく、自然とラビの頭に触れた。
柔らかくて温かい。今までは触れることすらできずにもどかしかったが、ようやくその魅惑の感触を味わうことができた。
「あなた、私の頭を撫でるなんて不遜なマネ、よくできるわね。」
だが、ラビは言葉とは裏腹に気持ち良さそうに目を細め、逆に頭を擦り付けてきた。
「それに…そろそろ時間みたいね。あなたには一つ言っておかなければいけないことがあるの。」
「はい…って痛っ!」
おれは延々と手を止めることなく撫でていると、ラビの長い片耳に手を弾かれた。
「言っておかなければならない…というよりは、私がどうしても言いたいこと、かしらね。」
動物の表情は読みづらいのだが、どこか寂しそうな顔に見える。潤んだ大きな目でおれを見つめてきた。
「リュート。あなたには二つの魔法を授けたわ。『再生』と『共存共栄』。だけど、本来これは人の身に余る魔法。とても大きな力よ。」
「はい。わかっているつもりです。だけど…」
「なぜその力をあなたに授けたのか。そもそも私は何者なのか、ね?今感じている疑問は最もだわ。」
ラビは少しおれから距離を取ると続けた。
「今、私が明かせる範囲で教えてあげる。」
そう言って、ラビはまず右耳を立てた。
「一つ目、なぜアンタに力を与えたか。これは簡単。あなたが自分の実力も弁えずに、死にそうになるものだから仕方なくよ。」
「えへへ。」
「褒めてないから!まぁ、いいわ。それにこれまでのあなたを見てきて、与えても問題ないと思ったから。」
そう言われると何だか照れくさいものがある。誰からであっても、信用されるというのは嬉しいことだ。
「言っとくけど、信用してるわけじゃないわよ?ただ、ちょっと……だけで…。」
「今なんと?」
「うるさい!あなたは放っておくと勝手に死ぬからしょーがなくよ、しょーがなく!」
そして、ラビは次に左耳を立てた。
「二つ目の問。この…私はあなた達からは神獣と呼ばれる存在よ。あなたが知っているのはあのダジャレ猿くらいかしらね。」
選定の時おれとエメラルダで倒したあの分身体の本体。恐らくイスキューロの咆哮で吹き飛ばされたあとに俺の前に現れた小さな猿だろう。
「あれ、そういえばグレンさんの使い魔は…」
「あぁ、あれ?あれはいわゆる別領域の…あ、いや…。そうね。あれも神獣よ。」
明らかに答えをはぐらかしたが、元々『明かせる範囲で』という話だ。つまり少なくとも、今は明かせない情報だと思っていいのだろう。
「物分りが良くて助かるわ。」
うーん、考えたことが筒抜けなのは妙な感じだ。
その時、急激に意識がどこかに吸い寄せられる。
「もう本当に時間みたいね。」
「最後にもう一つだけ、聞いてもいいですか?」
「いいわよ。時間がないから端的にね。」
「目が覚めてもラビは…貴方は側にいてくれますか?」
おれは今までのやり取りを最後にラビがいなくなってしまう気がしたのだ。一瞬、驚いた顔を見せたラビはすぐに表情を戻した。
「ええ、いるわ。ずっとあなたを見てる。」
「それは良かった。」
「だけど、ここでの会話はほとんど記憶に残らないから。残るのはあなたに与えた二つの情報のみ。私が誰で、どうしてあなたに力を与えたかだけ。」
「わかりました。」
いよいよ覚醒の時らしい。深かった闇は急激に色褪せ、視界いっぱいに光が広がっていく。
「じゃあね。」
「はい。また目が覚めたら撫でさせてくださいね!」
そうして暗闇の中のリュートは姿を消した。残ったのは白いウサギが一匹。
「最後まで呑気な子ね。でも、この先必ずそんな呑気ではいられなくなるわ。力を得るということはそういうことだもの。」
ウサギは長い長い時間を生きたその記憶を呼び起こした。
「そういえば肝心なことを言えなかったわね。」
そして、発した一言は誰の耳にも入らない、深い闇の中に溶けていった。
「リュート…ごめんね。」
☆
目がパチリと開いた。驚くほど寝覚めがいい。場所はどうやら『猛る双頭の番犬』の拠点内にある医務室だ。
頭は正常に働くのに体は何となく重い。両腕には何かが絡まっているようで動かすことができなかった。
たが、首は自由に動くみたいだ。とりあえず左に首を傾けるとすぐ近くにアサヒの顔があった。
「…!?」
目は閉じていて、静かに寝息を立てている。どうやら眠っているようだ。ただおれの左腕を抱き枕のようにして抱いている。
というかなんでアサヒと同衾!?え、待って待って。どういう状況?
おれはとりあえずアサヒを起こさないように腕を引き抜こうとしたが、その動きに反応したのか締め付ける力が強くなった。
「お胸が…お胸様が当たってらっしゃる…!」
この際仕方がないと、強引に引き剥がすためにもう片方の手を動かそうとするもそちらもダメみたいだ。恐る恐る今度は右に首を傾けた。
「エリスまで…!」
右腕にはエリスが絡みついていた。体を折り曲げて両手両脚で右腕にしがみついているのだ。
これはこれで悪い気は全くしないのだが、やはり一つのベッドに年頃の男女が一緒に寝ているというのは非常によろしくない。ええ、はしたないですとも。
「エリス、アサヒ。起きて!」
「あとちょっと…。」
「えぇ、もう二日くらい待って…。」
二人とも朝が弱いのだろうか。そして、アサヒに至ってはどれだけ寝るつもりなのか。と思ったが、息を揃えたように二人は体を起こした。
「「リュート!」」
二人の声が重なる。両腕が開放されたのはいいが、今度は二人とも抱きついてくる。
「よがっだぁ。」
「…。」
二人とも必死でしがみついてくるので無理に解くこともできず、落ち着くまでしばらく同じ態勢で待った。
「ちなみにおれはどれくらい?」
「三日よ!このまま死んじゃうかと思ってぇ…うぅ…えっぐ。死なないでって、約束じだのにぃ。」
「…。…。」
アサヒは泣きまくるし、エリスは黙ったまま抱きしめる力を強めた。死んではいないのだが、と思ったが口には出さなかった。相当心配をかけたらしい。
そうだ。もう一つ確かめなければいけないことがあったのだった。おれはいつもの場所に彼女がいないことを確認し、目だけ動かし部屋を見渡したがその姿は見当たらなかった。
「いないか…。」
「いえ、居ますよ。」
「おぶっ」
彼女はベッドの脇から跳び上がっておれの顔の上に着地した。
「あ、ぞーいえばこの子どうじだの?」
アサヒは顔をくしゃくしゃにしながら泣き続けてはいるが、おれを足蹴にしているウサギの正体は気になるらしい。
というか、あれ…見えている?
「アサヒ、ラビが…このウサギが見えてる?」
「…?当たり前じゃない…ずび。こんな可愛いうさぎちゃん飼ってたの…?」
エリスにも確認してもらったが、やはり見えているそうだ。ただ、エリスの場合は、以前からラビの雰囲気は何となく感じ取ってはいたみたいだ。
どうして急に見えるようになったのかとラビに尋ねると「貴方に力を与えたことで契約が成立した。その結果、猿と同様に受肉した」とのことだった。実際にはラビは喋っていたわけではなく、頭の中に直接語りかけてきたのたが。
「それはそうと二人とも、もうそろそろ放してくれてもいいのよ?」
「いやぁ。」
「むり。」
二人とも速攻で拒否。取り付く島もなかった。
「朝っぱらから元気だねぇ!」
と、また別の声が入口の方から聞こえてきた。その声と同時にエリスとアサヒは急に恥じらいを取り戻したのか、ようやく放してくれた。
「グレンさん!無事だったんですね!」
「寝ボスケな弟に心配されるたぁ、アタシも焼きが回ったかい?」
「いえ!そんなつもりじゃ…」
「ま、今回はあいつを寄越してくれて助かったよ。」
グレンが「あいつ」と言った人物はほぼ間違いなく彼だ。この様子であれば彼も無事、この襲撃を乗り切ったのだろう。
「それとな、そこの二人には礼を言っておくんだよ!なにせアンタが目覚めるまでずっと付きっきりで面倒見てたんだから。服を脱がせて汗を拭いたりとかな!あっはははは!」
「そうですね。改めてお礼を言うよ、エリス、アサヒ。本当にありがとう。心配かけた。」
それはそうと、おれは一体どこまで脱がされたのだろうか。
チラッとアサヒを見ると明らかに顔を真っ赤にして俯いていた。それを見て、聞くのが怖くなったおれはこの疑問を墓の中までもっていくことを決意した。
「ぶっ…くくく。…はぁはぁ。はぁー、笑った。そうだ。エリス、アサヒ名残惜しいのはわかるがちょっとこの部屋から出てな。リュートに客が来てる。」
二人は素直にベッドからおり医務室を出た。グレンもその客とやらを呼んでくるからと部屋を去った。
それにしてもおれに客?一体誰だろうか。
しばらくするとコツコツと靴を鳴らす音が近づいてくる。もしかしてハル姉ではないだろうか?お見舞いのために来てくれたとか!?もしかしてハル姉と共闘したおかげで、選定の候補者として特務部隊…『栄光の十二騎士』だかへの内定が決まったとか!?
期待に胸を膨らませて客人の到着を待ちわびたが、扉が開いた瞬間その期待は音速を超える勢いで地に叩き落とされた。
「うげっ。」
「はは。そんなあからさまにガッカリされると僕だってヘコむからね?」
そんなことだろうとは思ってはいたさ。大体、おれの期待なんてその通りになった試しがないのだから。
扉を開けたのは『お立ち台の騎士』、メタンフォード・ブラン。彼は何が嬉しいのか、にこやかに片手を上げてきた。