勇者ハルティエッタの憂慮②
『リュートくん』と口にしたララの言葉に、私の体は固まった。
「あ…れ…?同じ名前…?」
ハルティエッタ、一生の不覚。何度もその名前を聞いたはずなのに。何度もその名前を呼んだはずなのに。この世で最も愛すべき男の子と仮面の男の名前が一致していることに今さら驚愕することになるなんて。
「ハルっち様、顔赤ない?大丈夫?もーまんたい?」
「い、いえ、お気になさらず…。なんでもありませんので。」
「えー、怪しぃ。」
ララはじとーっと座った目で私を観察する。その時、私達の会話を遮るようにティーユが部屋に入ってきた。
「あらあら、ハルちゃんとララ様ではないですか。何やら楽しそうなお話をされていますね。」
「あ、ティーユママン。ちょうど今、選定のこと聞いてたとこっしょ。リュートくんの話とかぁ。」
ララが私に「ねー」と同意を求めるので無言で頷く。
「もう、ララ様ったら。私は誰の母でもありませんのに。」
ティーユは頬をなでながら少し不満そうに頬を膨らました。美しい女性から繰り出されるその可愛らしい仕草の破壊力は、同じ女である私から見てもドキッとしてしまうほど。
「えぇと…リュートくんというのは…あぁ、なるほど。リュート・ヒーロ様のお話ですね。」
「そ!どうにもハルっち様が気になってるみたいで。」
「き、きき、気になってなどいません!ただちょっと目が離せないというか、変わってるっていうか…。珍しい動物を見てる感じと言いますか…。」
どんな言葉で表したところで否定することができず、ついには私の中の言葉が尽きてしまった。
「ハルっち様、抱きしめていい?」
「へ、なんですか急に!?」
「うへへ。何だかそんな気分だから♡」
「え、ちょっ…やめ…」
ララはおもむろに立ち上がり、その手は妖しく動いていた。彼女は獲物を狙う肉食動物のようにじりよってくる。私はその圧を前に立ち上がることも許されなかった。
「コホン。リュート様といえば」
ティーユが思い出したように声をかけるとララの足が止まった。視線は私に固定されたままだが、耳はティーユの話に興味を示しているようだ。
「ハルちゃんが気絶して彼に運ばれて来た時は本当に驚きましたよ。」
「なっ…!」
「なんですと…!?」
ティーユはララに襲われそうな私を助けるために話を逸したつもりでしょう。「私がお守りしますからね」と言わんばかりのウインクまでしてますし。ですが、もう少し他に話題はなかったのでしょうか。これでは逆効果な気がします。そんな話をすれば間違いなく
「なにそれ詳しく!」
こうなることは必然でしょう。ララは私と向き合いながら膝の上に跨った。両手を私の首の後ろに回して、まるで恋人同士が今にもキスを交わしそうな態勢になる。
「ね?教えて?」
「お、お断りします!」
「ふぅん…そんな態度とっていいんだぁ?」
私が顔をぷいっと背けると、ララは顔を赤らめながら顔を近づけてきた。まさかこのまま本当にキスをするつもりなのでしょうか!?それは凄く困ります。だって私初めてですし、既にその相手は予約済みなんです。
だがララは急に体を曲げると、彼女の口は私の唇ではなく首元に吸い付いた。
「んあっ。」
予想外の動きに、思わず変な声が出てしまった。咄嗟に口を抑えたけど既に手遅れ。私の敏感な反応を楽しむように、ララの唇はゆっくりと首筋に沿って這い上がりやがて耳に触れた。
「ねぇ、聞かせてくれないの?本当に?」
吐息混じりに囁かれる。息が耳の中まで吹き込まれ、ゾクゾクとした感覚が頭の中を侵す。その甘ったるい声色は子犬が愛情を求めるように切なげで、どこか妙に色っぽかった。
「い、イヤです。絶対に話しません!」
「む、こやつ今回は強情だな。いつもはこれくらいで堕ちるのに。」
今押しつけてきた妖艶さなど跡形もなく消え、呆れるほど唐突にいつものララに戻った。さすがのララも諦めてくれたかと安堵したのも束の間、ララは不敵な笑みを浮かべる。
「だけど…まだまだだね。ハルっち様♪」
「へ?」
私の膝から立ち上がったララの手には、一冊の本が握られていた。
「ま、ま、まさかそれって…!?」
「そ、『閲覧権限』。あーしちゃんの得意技だかんね。説明は必要ないっしょ?」
彼女の言うとおり説明は必要ない。私はこの目で何度もその能力を見てきたのだから。
この世界ではその人にしか使えない特別な技や性質というものが、稀にだけど備わっていることがある。彼女が『得意技』と呼ぶそれは世間一般では『固有技能』と呼ばれているもの。それを持つ者は必ず名声を得られる、と言われるほど稀有な才能である。
『栄光の十二騎士』に所属している者はほぼ全員がこれを持っており、ララも例外ではない。
ララの固有技能、『閲覧権限』。
選んだ相手のあらゆる記憶、知識、経験、技能を本に写し、それを読み解くことで自らのものとする力。発動条件は不明。記録容量も不明。一度得た力は時間や場所を問わず再発動が可能で、制限としては他人の固有技能や勇者である私の魔法のように特定の個人に依存するものは獲得できない、らしい。
そして、私にチラつかせているあの本は『空白の写本』。ララが『閲覧権限』によって、私から抜き出した記憶の一部を写した書物。彼女はニヤリと笑い、その書物をペラペラと流し読んだ。
「ふぅむ、なになに?」
「いやぁぁぁ!」
私は自分の記憶が覗き見されていることに気づき発狂した。
☆
今日は選定の二日目。今日で私が隊長を務める特務部隊の新たな入隊者が決まる。だけど、私にとっての悩みの種はまだ残っていた。
あのリュート・ヒーロという男、それなりの実力も持ちながら運にも恵まれているらしい。彼は第二の儀『仙猿の腕試し』の相方にエメラルダを引き当てていた。
これでは彼を意図的に選定から除外することはできない。無理に除外しようとすれば、エメラルダのような実力者をみすみす見逃すことになり選定の意義が失われる。
「くっ、悪運の強い方のようですね。」
声色に悔しさが滲み出る。そして案の定、彼らは優秀な結果を見せた。洗練された魔法を駆使したメタンフォードの耐久戦とは逆に、超高火力の一撃によって仙猿の分身体を両断するという荒業で切り抜けてしまった。
他の参加者とは一線を画した結果に、これを不合格と見なすのはもはや不可能だった。戦いを終えた二人にその旨を伝える。
「貴女と共にあるためにここまで来た!まだやれる!」
その時だ。リュート・ヒーロが恥ずかしげもなく高らかに言い放ったのは。その言葉はしばらく私の頭の中を縦横無尽に駆け巡ることになった。
急いで彼らの前から立ち去ったはいいけど、頭はフワフワするし、胸が苦しい。胸がきゅっと締め付けられる。こんなに苦しいのはいつぶりだっただろうか。心臓が破裂しそうなほど、本当に苦しかった。
だけど、その苦しさは悲痛なものでは全くなくて、不思議と幸福感を伴っていたものだから尚さら意味がわからない。
「何ででしょう…私何でこんなにっ…。」
こんなのは絶対におかしい。今まで色んな方に出会ってきて、彼のように求婚紛いの言葉をかけられたことは何度かある。どんなに素晴らしい容姿をしていても、どれだけ甘い言葉をかけられても、私は迷いなく「ノー」を突きつけてきた。
なのにどうして彼の言葉だけはいつもいつも私を惑わせるのでしょうか。
「やはり何らかの精神攻撃しか考えられません…。これは危険です。ええ、とても!」
思い至る可能性はそれ以外になかった。だけど確たる証拠はないし、目的も分からない。ただ私に異常が見られることだけは確か。相手の手の内が判明していない以上、こちらが下手に動くと彼の動きが読めなくなってしまう。
私は熟考の末、一つの名案を思いついた。それは抽選によって作成されたトーナメント表に手を加え、対戦の組み合わせを書き換えること。
「見たところ、この選定で最も強いのはメタンフォード様で間違いないでしょう。彼であればきっとあの男を止めてくれるはず。…しかし、万が一ということもあるかも…。では、初戦では彼をぶつけて…。」
そうして私情盛り盛りのトーナメント表が出来上がった。我ながら会心の出来です。
「よし、出来ました!」
「出来ました!じゃないわ。なぁにを堂々と不正しとるんじゃい。」
「はて?」
「何が『はて?』じゃ。そんな愛らしい顔ですっとぼけても誤魔化されんぞ。終始見とったわい。」
「うぅ…。」
どうやらグランに一部始終を見られていたらしく、こうなっては言い訳のしようもない。
「どれ、一応見せてみい。」
呆れ顔のグランは私の手からトーナメント表を奪い取り、顎髭を触りながら一通り目を通した。
「嬢ちゃんは鬼だな。まぁ、予想はついとったが…ここまでしてあの小僧を入れたくはないか。」
「できれば…はい。」
よもや確証もなく『彼は常に精神攻撃を仕掛けてくるのです』とは言えず、『彼が近くにいるだけで私の心臓がドキドキして死にそうなんです』なんてもっと言える訳もなく。
「はぁ、ならば致し方あるまい。他の誰であっても許されんが、本来これは嬢ちゃんの部下を決めるための儀式だからのぉ。」
ということで、不正のトーナメント表は無事受理された。あとはドローとメタンフォードのどちらかが勝利を収めてくれることを祈るばかりとなった。
そして迎えた初戦。仮面の男は相変わらずめちゃくちゃな戦い方でドローを撃破した。もしルール無しの死闘をしていれば勝負は分からなかっただろうけど、今回のルールに則った上ではリュートの圧勝。
なんのつもりか勝利したリュートは私に向けて拳を突き出してくる。遠目からでも私に向けられたものだとはっきりわかった。
なんのつもりでしょうか…。は!もしや…私への宣戦布告!?『次はお前を殴る』とでも?ついに本性を表しましたね、この外道。やはり彼を野放しにしていては危険。次の戦いを待つまでもなく、この私自らその正体を暴いて差し上げます。
私は彼と直接決着をつけるために待合室に足を運ぶことにした。