勇者ハルティエッタの憂慮①
謎の襲撃者からの一件のあと、私はしばらく意識を失っていたそうだ。時間で言えばまる一日ほど。同じくしてあの仮面の男『リュート・ヒーロ』も気絶したらしいが、彼はまだ意識を取り戻してはいない。意識が戻らない理由は不明だが、失った理由は恐らく私と同じだ。
「はぁ、あれは何だったんだろう。」
ガルザとの戦闘の最中、リュート・ヒーロが行使した力。通常の魔力とは異なり、どちらかと言うと私が持つ勇者の力に似ていた。一時は彼の力が私にも流れ込んでいたはずだが、敵が去った直後にその力は抜けていった。そして、それに引っ張られるように意識を失ったのだ。
「ハルっち様、やほー!そんな顔してどなさったん?」
私の顔を覗くようにララ・ライブラが声をかけてきた。『栄光の十二騎士』の一員の中でも数少ない女性であり私と歳も近い。私が気兼ねなく話ができる騎士の一人だ。
「あ、ララさん。いえ、少し彼のことを考えていました。」
「彼?彼…ああ、彼ピッピ!なになに恋バナぁ?聞く聞くぅ!」
「い、いえ!そういう話ではなく…。というか私には…心に決めた人がいてですね…」
最後の方はあまりの恥ずかしさに声が萎んでいったが、ララは全てを察しているかのように聖母の微笑を浮かべた。
「いいのよ。吐いちゃいなさい。好きな人は誰で、その人とオールナイトフィーバーしたいって…。」
「もう!だから違うんですってばぁ。あ、でも、リューくんなら全然ありっていうか、むしろ私から…って何言わせるんですか!」
「きゃはっ!ハルっち様だいたーん。」
「むむむ。」
「拗ねた顔してもめんこいだけだゾ♪」
「もういいです!ララさんに話そうと思ったのが間違いでした!」
「もー、そんなに怒るなしぃ。わかってっから。あの仮面男子のことっしょ?聞かせてよー。」
思い悩んでいるように見えた私を見かねて、ララさんなりに気を使ってくれたのだろう。口調も態度も軽く、騎士として問題視されがちな彼女だが、こうして人一倍周りに気を遣える性格であることはあまり世間には知られていない。
「はぁ、笑わないでくださいよ?」
私はそんな彼女の優しさに甘える形で、胸に抱える憂いごとを話すことにした。
☆
仮面の男『リュート・ヒーロ』の初対面での印象は最悪と言って差し支えなかった。それは私が王都に戻った初日、大型依頼の達成報告という名のカムフラージュのためにギルドへ赴いたときのことだった。
彼は可愛らしい獣人に背中を押される形で私の前に立ち塞がった。そして、第一声。
「好きだ!おれをお前のものにしてくれ!」
正直、あまりの衝撃に心臓が飛び跳ね、腰が砕けそうになった。魔力を『健全なる肉体』に出力していなければどうなっていたことか。
理由はわからないが、とにかくその声を聞いただけで雷に打たれたような感覚さえ覚えたのだ。一切の敵意を遮断できる暗殺者の精神攻撃すら疑った。
ただ、彼から伝わって来るのが紛れもない好意だったため、その場で剣を抜くことはなかった。なかったのだが…それが逆に厄介極まりなかった。
私が私でなくなるような…具体的には私を構成している強い想いが揺らぎそうな、そんな危機感があったのだ。いや、一目惚れしそうとか全くそう言ったものではなく。
私はその蠱惑的な声に耳を傾けてはいけないと思い、彼の言葉を無理矢理にでも遮り、とにかく否定の言葉を並べ尽くした。今後、二度と私の前に現れないように彼の好意を完膚なきまでに叩き潰した…はずだった。
だが思惑は大きく裏切られ、彼とはたった数日で再会することになる。それが選定初日のことだった。
「なんでいるの…!?」
私は思わずヒステリックを起こしたように声を上げてしまった。
闘技場の広場。参加者の中で彼の仮面はこれ以上なく目立っていた。単に仮面をつけている者が彼しかいなかったこともある。だけど何より他の参加者が彼を避けるように立っているものだがら、集団の中で彼の周りだけがぽっかりと空いているのだ。
「なんで彼がここに…。」
「ああ、それなんだかな…。」
副官のグランはバツの悪そうな顔で、言いづらそうに説明してくれた。
「ガーネット様の弟!?」
「ああ、儂も迂闊だった。確かに王都のギルドに、あの『紅蓮の暴姫』の推薦でアカルージュ家の養子になった者がおるとは聞いておったんだが…。それも『常に仮面をつけている変人』と有名なはずだったんだがなぁ。」
確かに私も以前にその噂は耳にしていた。だが、あの場では気が動転していたのか、その可能性をこれっぽっちも考えなかったというのだから我ながら間の抜けた話である。
それどころか意気揚々と選定の参加条件を盾に拒絶しておいて、彼が万が一この選定で勝ち残ってしまった場合どんな顔をすればいいのか。だがそれ以前に…。
「そもそも!私は彼を近くに置いてはいけない気がしてしょうがないんです。特に理由があるわけではないですけど!ただ何となく…フィーリングで…そう、直感!勇者の直感が彼を遠ざけようとしているのです!」
「ふむ、嬢ちゃんがそこまで言うのであれば、ともすればあれは悪辣な輩である可能性も」
「いえ、それはないです。」
「おおう、急に真顔にならんでくれ。」
グランの大きな体がビクッと痙攣した。
「やけに食い気味に否定するのぉ。なら、なぜそれほどまでに彼奴を意識しとるんだ。」
「それは私が知りたいのですが…。」
二人揃って「うーん」と唸るが結局答えなど出るはずもなく、グランが希望的観測を述べてこの話は終わった。
「まぁ、そもあの様子じゃあ最初の項目ですら残ることはなかろうよ。」
「だといいのですが…。」
そうなってくれればどれだけ良かったか。
だが初めから嫌な予感はしていたのだ。そして、私の嫌な予感は大抵の場合予想を裏切らない。
「開始早々クリアしているんですが…。」
私の希望はものの数秒で打ち砕かれた。もし、彼より先にある程度の人数がクリアすれば、そこで打ち切るつもりだったのにまさか二番目でクリアしてくるとは。どれだけタフなメンタルの持ち主なのだろうか。
「ちょっとかっこいいかも…。」
口走った瞬間、私はパァンと思い切り自分の頬にビンタを食らわせた。勇者渾身のビンタは盛大な破裂音と小さな衝撃波すら生むほどの威力だ。
今何を!?目を覚ましなさい、私!気を強く持つのです!
「急にどうした!?」
「べ、別にかっこいいとか思ってません。これーっぽっちもかっこよくないです!」
「お、おぅ、そうか。だがあの小僧、中々骨があるではないか。儂はちぃとばかし見直したぞ。だが、嬢ちゃんの我儘も無下にはできんからな。」
グランは勢いよく立ち上がると、
「なあに、心配するな。儂が一肌脱いでやろう!」
そう頼もしく言い放ったグランは今までで一番輝いて見えた。
☆
「そうしてグランさんの計らいで、彼と脱落者全員で勝ち残り戦になったんです。」
「それでそれで?結果は?」
ララは興味津々なご様子で目を輝かせている。結果を聞く前から口元がニヤけているのを見るに、既に予想はついているのだろう。
「ララさん絶対に面白がってますよね…。」
「もちのろん!」
「むぅ、話すのやめます。」
「えええ、そんなぁ!ここまで話してお口チャックとかありえないし!結果は?ねぇ、結果はどうなったの、結果はぁ!」
彼女のこの感じだとここで黙ったところで、どこからか情報を仕入れてきて私を弄ぶのは目に見えている。だったら初めから白状しておいた方がまだ傷は浅い。
「はぁ、……の…でした。」
「うん?声ちっちゃ!ワンモアプリーズ!」
「もう!最後に残ったのは彼でした!明らかに、文句無しで!紛うことなき彼の圧勝でしたぁ!」
「で、かっこよかった?」
「それはもう!…って、そんなわけないじゃないですかぁ!」
焦って訂正するも、私の言葉など恐らくララの耳には入っていない。彼女はお腹を抱えて狂ったように笑い転げた。それを見て私はどうしようもなく顔が熱くなっていた。
「はぁ、はぁ…。ふぃー、めっちゃツボったし。」
ララは笑いすぎて出てきた涙を拭いた。
「それで?何となく話はわかったけど、ハルっち様は何にお困りなのかにゃあ?」
「そういえばまだその話をしていませんでしたね。」
そういえばララにはまだ話の本筋を話していなかった。悩み種としては、そもそもこちらが本題と言っていい。
ララはそのちょっとした空気感を察してか、真面目に聞く姿勢をみせる。
「実は今回の選定ですが、まだ終わっていないんです。最後の二人が選ばれる前に先の襲撃があったので…。ですが、再び選定を行う猶予はない…かもしれません。」
『かもしれない』。そんな不確かな状況を捨ておいていいはずもないけど、今の私達にはあまりに情報が不足している。もしかするとまた彼らの襲撃があるかもしれない。魔王の尖兵たる三魔獣が今このときどこかに出現しているかもしれない。
全ては可能性の話ではある。だけど、後手を取ることがどれだけの不利益になるかは先の襲撃で明らかになったばかりだ。
故に、今は私の回復と『栄光の十二騎士』の体制の確立は最優先事項なのである。
「なので選定の結果と今回の襲撃への対応を考慮するとエメラルダ様は確定しています。ですが、最後の一人は…。」
言い淀む私の代わりにララがキッパリと言葉にする。
「なるほどなるほど。それでリュートくんとフォー様のどちらを選ぶべきか悩んでいる訳ね。」