53話 栄光の十二騎士
まずハル姉と力を共有したことで手に入れた力は『健全なる肉体』。
こんなものがあるとは思ってもみなかった。常時発動型の魔法とでも形容すればいいだろうか。使用する意思がなくとも自動的に発動、継続されている。
この『健全なる肉体』の特筆すべき点は消費魔力がないことだ。魔力という対価無しで人間離れした膂力を手にすることができた。
つまりこれこそが勇者の基本性能であるということ。ハル姉とガルザの力が拮抗していたのを見て彼女はどれだけマッチョなのかと…いや、マッチョであったとしてもおれはハル姉が好きだけども。好きな女の子が自分より何倍も隆々とした筋肉を見せつけてきたら、男としては些か複雑な気持ちにもなろう。心の底から安堵したことは否めない。
何はともあれこの力を手に入れたおれは、多少弱っていたとはいえあのガルザを圧倒した。
『筋力強化』×『健全なる肉体』
たった一度剣を受けただけで動けなくなっていた男の姿は、もうそこにはない。能力の重ねがけにより得た力は、ガルザと剣を合わせる度に爆発的な衝撃を生んだ。息をもつかせない速度に避けることは能わず、されども防御をすれば剣が弾かれ攻撃に転じる機会を失う。
「くっ、忌々しい!」
初めてガルザが焦りの感情を見せた。それもそのはず。ハル姉はともかくとして、無力と侮っていた惨めな虫けらが一匹、気づけば猛毒をとって襲いかかってきているようなものだ。降って湧いた天災と変わりない。
「ハル姉を傷つけたお前は絶対に許さない!」
「図に…のるな!」
ガルザが無理やり機を見て剣を交えるも、鍔迫り合いにすらならない。聖剣クレイスは相手の剣に接触しても勢いは衰えず、そのままガルザの左腕を深々と切り裂いた。
そこで容赦を覚えるほど今のおれは優しくない。体勢の崩れたガルザに向けて追討ちの一閃。聖剣を振り下ろす。だが、ガルザも人間らしからぬ反応速度で瞬時に聖剣を防ぐように剣を頭上に持ち上げた。
『動作の先読み』×『天賦の剣術センス』
剣同士が接触する寸前、おれは即座に防御されることを予知して慣性を無視するかのように聖剣を静止。おれは流れるように手首を返すと、聖剣は相手の剣をすり抜けるように懐に侵入する。狙いは首から胴体へ。まるで剣が意思をもつ生き物のようにガルザを襲った。
「ぐぅっっ!」
すれ違いざま、ガルザの胸部から鮮血が吹き出すのを見た。心臓にはぎりぎり達していないものの、その一歩手前まで深々と刃が肉を抉った。
ガルザは怯むことなく振り向きざまにおれを薙ぎ払おうとするが、それすらもこちらの聖剣の動きが上回った。ガルザが剣を振るよりも前に聖剣を反転し下から斬り上げると、半月のような白い残像を生んだ。同時に剣を持つガルザの左手、肘より先だけが高々と舞う。剣がドサッと地面に突き刺さり、剣とそれを握る腕が不気味なモニュメントのように直立した。
「やってくれたな!」
ガルザはそれでも臆することなく、黒い鞭のように脚をしならせて跳び回し蹴りを放ってくる。おれはこれを左腕でガードするが、勢いを殺しきれずにガルザが小さく見えるほどの距離まで蹴り飛ばされた。
「ふぅ。こんなものか…。」
蹴りを受けた左腕に多少の痺れを感じつつも、自分の掌を何度か開閉し戦闘に支障はないことを確認。思ったよりもダメージはなさそうだ。一方のガルザは切り落とされた腕の止血をしているが、このまま戦いを続ければ血を失い過ぎて命を落としかねない。
「ガルザ、勝負はついた。諦めて降伏しろ。」
「降伏だと…?この俺が?」
「そうだ。もうお前に勝ち目はない。」
「ふっ…。」
ガルザが嘲笑を浮かべる。既にハル姉の『無垢なる刃』を受けてかなり弱っているところに、さらに腕まで失った男のできる顔ではない。あまりに余裕な態度に胸騒ぎがする。
「貴様らごとき畜生に下るなどありえない。」
「なっ、このまま続ければ死ぬぞ!」
「なるほど、この暗闇。この寒気。これが死か…。おぞましいな。」
まるで自分の命を他人事のように語るガルザ。まるで『死』という未知を味わうように自分の体を観察している。痛みや恐怖で気が狂ってしまったようには到底見えないが、逆にその様子に底知れぬ恐怖を感じた。
「業腹だが貴様の言う通り、俺にはあまり時間が無いのかもしれんな。」
「なら…!」
「だが。それは貴様らに下る理由になりはしない。」
ガルザはきっぱりと言い放つ。ハッタリや意固地などではない。信念や確固たる意思をも超えて、絶対に揺るがない存在意義を語るかのような屈強さが声に含まれていた。
「それにだ。もうじき死ぬとあればやむを得まい。俺は俺の全てをもって貴様とそこの女だけはこの場で殺して逝くとしよう。」
ガルザが身にまとう暗き力の再活性。快晴のはずの空がいきなり曇天になったように、急に暗くなったように感じた。気温は下がり、心なしか地面がガタガタと震えているようにすら思える。世界が『死』の恐怖に怯えている。
おれたちの前に姿を現したときよりもさらに強大な力がガルザを中心に渦巻く。衰弱していたはずのガルザから溢れ出す力はまさに…
「いいや。それはまだ困る。」
「…!?」
突如響いた優しい少年のような声にガルザは目を丸くする。それと同時に世界を震撼させていた力はあっけなく霧散した。
ふと気づくとガルザの数歩後ろに石造の玉座に座った少年がいた。少年とは言ったものの歳は同じくらいで白く不健康な肌に真っ青に染められた髪。体調を整えればさぞ美少年になっていただろう整った目鼻立ちだが、少し窪んだ目元とやつれた頬のせいか老けて見えるのが大変惜しい。
だがその弱々しい姿の反面、内包する力は間違いなくガルザを凌駕するといった歪な存在感を放っていた。
「ご機嫌麗しゅう、勇者様。一身上の都合により、このような姿勢でご挨拶することをご容赦下さい。」
少年は玉座に座ったまま、されど恭しくハル姉に向けて頭を下げた。ハル姉は状況についていけていないのか、ポカンとした顔で少年を見つめていた。というか、おれもこの状況が理解できないが、かなりまずい状況であるということだけは理解できる。
「それにしても…ふむ…。」
少年はガルザと、それからおれたちを一瞥すると数秒の後、コクリと一回頷いた。
「なるほど。想定外、新たな敵…それと力の共有…。手痛い仕打ちを受けてしまったようだね、ガルザ。」
「はい。申し訳ありません。」
「いや、謝ることじゃないよ。君はよくやってくれた。おかげで最優先の要件は済んだのだからね。それよりも、君がそこまで追い詰められることを想定できなかった僕を許してほしい。」
「滅相もないことでございます。」
ガルザは死の瀬戸際まで不遜な態度を貫いていたにも関わらず、あの少年の前では驚くほど畏まっていた。あれらを人間の尺度で測るべきか否か迷ったが、その様子を例えるなら上司と部下のようだった。
「さて、もうあまり時間もなさそうだ。もう一つの要件を片付けようか。」
そう言うと少年はおれを見た。目は座っている。顔には笑みを浮かべている。それなのに彼からは激情しか伝わってこない。そして直感してしまった。
おれは絶対にこの少年に勝てない、と。
「君は彼女の守護者かい?」
「ああ、そうだ。」
少年の視線は確実にハル姉を捉えている。ハル姉はまだ回復が行き届かず地面にへたりこんでいた。
「ならば君と交渉しよう。時間はあまりないから決断は早くしてほしい。」
「交渉だと?」
「聞く耳を持ってくれて嬉しいよ。そういえばこの場にはいろんな人が倒れているね。だけどまだ生きている。」
「何が言いたい?」
「ああ、いや。なんでも。」
彼の台詞は要領を得ないが、その言葉通り確かに戦闘不能になって倒れている者は多い。その中にはティーユやグラン、エリスやフラムもいる。おれは少年の意図が読めず顔をしかめた。
「さて、こちらからの要望だが…抵抗せずに彼女の身柄をこちらに渡してほしい。」
「抵抗すれば?」
「少々手荒いが、抵抗した者は確実に殺す。」
その脆弱な姿から発せられる『殺す』という言葉には、その言葉を聞いただけでも身の毛がよだつほどの殺意が込められていた。
「冷静に振る舞ってはいるけど…僕は今、仲間を傷つけられて腹を立てているんだ。ともすれば抵抗してくる人間には過剰な制裁を加えてしまうかもしれない。そうだね、例えば…この辺り一面を一瞬で消滅させることぐらいはしかねない。」
これはもはや『交渉』などという生ぬるいものではなかった。立場においても、力においても絶対的強者が人質をとった上で口にする『要望』は、それ即ち『脅迫』というのだ。
そして、少年にはその脅迫を確実に実行できてしまうほどの力がある。さすがのおれもこの要望に即答できるほど非情になれなかった。だからといってあのように人間を平気で虐殺する者たちにハル姉を差し出すという結論は世界がひっくり返ってもありえない。
「さあ、答えを聞かせてくれるかな。」
「…。」
だめだ。答えが出せない。誰も見捨てられない中途半端な情が心を縛りつける。相手がいつまでも待ってくれないだろうことに焦燥感が駆り立てられ、余計に判断ができない…そのとき
「私が…」
唐突にハル姉がつぶやくように声を出した。
「私が…あちらに、行きます…。」
ハル姉は震えながら小さな声を絞り出した。そのとき見た彼女の姿はいつも見ていた凛々しい勇者としてのハル姉ではなく、村にいた頃戦いを怖がっていた一人の少女だった。
そうだ。彼女だって普通の人間で、普通の少女だ。それなのに勝手な都合で世界を背負わされて、戦わせられて…。さらにはたった今、理不尽にも自分の犠牲を迫られている。そして、自分の身を差し出すことが最善の選択であると理解し、自らその道を進もうとしている。
その姿勢はまさに勇者そのものだった。いや、その決断ができるからこそ彼女は選ばれたのだろう。納得したのと同時に、この時点で既におれの心は罪深い決断をしてしまっていた。
エリス、フラム…それに一人でイスキューロを抑えてくれているエメ…ごめん。本当にごめん。何度謝っても許されないことはわかっている。どうかおれを永遠に恨み続けてくれ。それでもこれだけは譲れなかった。おれはあのとき誓ったんだ。おれはこの世界に存在するあらゆる全てからハル姉を守ると!
おれは震える少女の前に立ちはだかり聖剣を構える。
「だめ…!」
「だめなもんか!」
ハル姉の言葉に、過剰なくらいの反応を見せてしまう。
「おれが守るべきものは…守りたいものはおれが決める!」
大きな声にビクッとハル姉の体が反応した。その様子を見ていた少年は最後通告のように切り出した。
「そろそろ、答えが出たみたいだね。」
「聞いての通りだ。おれが生きている限り、お前たちにこの人を差し出すことはない!」
「やはり決裂か…。ならば僕は怒りをもって、君という人間を跡形もなく消し去るとしよう。」
少年が腕をかざすと、玉座の後ろに夥しい数の黒い火の玉が生じる。その数は十に始まり瞬く間に百を超え、千に至りさらに増殖した。そして、その全てが人の姿を象りやがて軍隊と成った。
その一人一人がガルザやイスキューロに及ばずとも、彼らに準ずる能力と常人離れした力を兼ね備えている。まさに『死』の軍隊ともいうべき黒の集団が空間を埋め尽くしていた。
「この数…!あなた一人では…」
ハル姉はおれを止めに立とうとするも腰が抜けたのか、どうにも力が入らない様子。
「申し訳ありません、ハルティエッタ様。やはり、おれにはあなたを見捨てる判断はできそうにありませんでした。」
おれは後ろのハル姉を視界に収めた。これがハル姉の姿を見る最後の機会になるかもしれない、などと思いながら。そして、おれは再び心を燃やした。
少年の合図とともに黒の軍勢がおれ一点に向かってなだれ込む。おれは気合の咆哮とともに一喝した。
「かかってこい!おれはここで死ぬつもりなど毛頭ない!全てを薙払って、必ずその心臓に刃を突き立ててやる!」
「やばば、イカした仮面してんし!良き良き!よし、君にはチョベリグポイント、ワンポインツ!マジ頑張ったっしょ!よーしよし、お姉ちゃんが褒めちゃるぞ!あ、それと真っ黒りんたちにはチョベリバポインツ贈・呈!」
意味不明な言葉とともに、黒の軍勢をグレンもかくやというほどの連鎖爆撃が襲う。いつの間にかおれの肩を組みながら見知らぬ女性が『たーまやー』などと楽しそうに叫びながら、おれの髪をくしゃくしゃにしている。
黒い長髪、切り揃えられた前髪にピンクのラインが一本入っている。顔を見ると右目の下にはピンク色のインクでハートマークが書かれていた。ショートパンツスタイルの黒の軍服を身に纏った女性。
「ライブラ様。差し出がましくも申し上げますが、恐らくは少年が困惑されております。」
爆撃をくぐり抜けて来た残党が襲いかかってくるも、執事の姿をした男が腕を一振りしただけで粉微塵に消えていった。
それでも万単位の軍隊を留めきれずに次から次へと押し寄せて来る。すると今度は敵勢後衛に雨の如く光の矢が降り注ぎ、次第に黒に侵食されていた空間が晴れていく。
そして、尚も大瀑布にも似た軍隊が押し寄せて来るも両拳をガチンと合わせて立ちはだかる男が一人。
「悪、悪、悪!我が正義の拳をもって滅ぶべし!オップラアアア!」
バカでかい掛け声ののった拳の一突きで軍隊は風に吹かれる塵のように吹き飛んでいく。
「す、すごい…。」
いきなり現れ敵を蹂躙していく集団に呆然としていると、肩を組んでいる…ライブラと呼ばれる女性はニカッと晴れ渡る笑顔を見せた。
「仮面の少年、マジグッジョブ!あとはあーしちゃんらに任せるっしょ!」
「…??」
独特な方言(?)に戸惑うおれの姿を見て女性は楽しげに続ける。
「あー、何てったっけー…ド忘れド忘れ。あ、そうそう!」
久しぶりに会った人の名前を思い出したかのような軽さだった。
「あーしちゃんは『栄光の十二騎士』の『魔導図書館』!し・く・よ・ろ・ちゃん♡」