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51話 凶刃

おれは再び神速の一歩で戦槌の打撃圏内にガルザを捕捉する。


「二度目はない!」


ガルザは横薙ぎの槌頭を受け止めるべく右手を突き出した。おれは直感した。この攻撃は止められる。そして、左手に持つ剣を一太刀浴び、おれの首は胴体とお別れ…。


本当にそんな未来が見えた気がして、ほぼ危機回避の本能に近い判断で、おれは戦槌に流し込む魔力を止める。


「…!」


その結果は…空振り。本来、巨大化した槌頭が直撃する間合い。魔力を込めなければ、その間合いは遠すぎる。


ガルザは訝しむようにおれを睨んだ。来るはずの手応えはなく、己の身体の手前で戦槌が空を切る。これは単なる人間のミスなのか、それとも他に意図があるのか…と。


「チッ…!」


既にガルザの背後に回っていたハル姉の刃が、首を狩り落とさんと強襲する。


キィィィン!


激しく金属を打ち合う音。おれは目前で起こった出来事に、認識が追いつかなかった。


直前までハル姉の気配にすら気づいていなかったはずなのに、ガルザはろくに目で確かめもしないまま、剣を最短距離で肩口から背後に回し、ハル姉の剣を防ぎきったのだ。


「まだだ!」


ハル姉の剣戟を阻んだことで、ガルザの意識はおれから僅かに逸れた。おれは空振りした勢いそのままに、軸足を入れ替え、回転を加えながら今度こそ強烈な一打を叩き込む。


戦槌がまるで見えない壁をぶち壊しながら進んでいるような。空間を歪めているとすら錯覚するほどの、質量と速度の乗った兇猛な一撃がガルザを捉えた。


人間の骨格がいとも容易く崩れるような嫌な感触が手に伝わる。そのまま振り抜くと、ガルザは力なくベチャっと音をたてながら地面を転がる。その速度も距離も、最初の一撃の時の比ではない。


「手応え…あり!」


そんな言葉で、おれはこの忌避すべき感覚を紛らわせた。明らかなオーバーキル。自らの手で人の死を決定させる嫌悪感に吐き気がした。


巻き上げられた砂がガルザの姿を隠す。おれは視界にガルザが映っていないことに胸騒ぎを覚え、彼の姿を目を凝らして探した。薄れる砂塵の中、チラっと光の反射を見た寸秒後、視界を何者かが覆った。


状況は理解を越えていたが、おれは反射のみで戦槌の柄を頭の上に掲げた。鈍い重低音がびりびりと全身を刺激し、上から抑えつけてくる途方もない力が戦槌を伝って脚に抜けて、地面がぼこっと陥没した。


「ぐうぅぅぅっ!」


驚愕と困惑の感情は言葉にならず、ただ上から浴びる超重力に歯を食いしばって抗った。ハル姉の魔法がなければ今頃はとっくに挽き肉になっていたかもしれない。


せめぎ合う中でようやくおれの理解が追いついた。おれの目の前にはあの男…ガルザが剣を振り下ろしていたのだ。無傷な姿を疑問に思う余裕すらない。刃は目前。じりじりと戦槌の防御が押し込まれる。


「させません!」


おれを助けるために、ハル姉はガルザに斬りかかった。その時、ガルザは今までの貼り付けたような無表情から一転、口の端から白い歯を覗かせる。


「ダメだ!ハル姉ッッ!」


「遅い!」


おれがふっと超重力から解放された瞬間、ガルザは残像のみを残しハル姉の懐に入り込んだ。ガルザの一変した動きにさしものハル姉も対応が遅れる。


ガルザの剣が胴を薙ぎ払う直前、ハル姉は身を捩らせてなんとか進行方向を交錯さけた。だが、完全には回避しきれず、鮮血が宙を舞う。さらにガルザの猛攻は止まらず、ハル姉は攻勢に転じたガルザの重い連撃を躱し、剣で往なすものの、戦局を覆すことができず防戦一方に陥った。


おれは二人の剣戟を見て歯ぎしりした。おれは今すぐにでも割って入ってハル姉を助けなければいけないのに…。


「助けなきゃいけないのに!」


俺の身体はガルザの一撃を受け止めたせいか言うことをきかない。戦槌を支えにしなければ身体を起こすことすら叶わない。


「たった一撃で…情けない!動け、動けよ!」


どれだけ念じても、おれの脚は持ち上がらない。そうこうしている間にもハル姉は追い詰められていく。先の負傷のせいか、ハル姉の剣は先程より鈍くなっている。山をも想起させるほどあった莫大な魔力も、今では大岩程度まで消耗している。


「クソッ!おれは馬鹿か!」


おれは所詮、癒術士なのだ。どこか強くなった気でいたが、それは単に幸運に恵まれていただけだ。調子に乗って前に出たものの…それでハル姉に庇われ、怪我をさせていては世話はない。


おれは何のためにここまで来た?痛みから、苦しみから、恐怖から…ハル姉を守るためだろ。


原点回帰。こんな形で力を行使するのは不本意極まりないが、今ハル姉にできる最大の支援を。


意識を向けると、血と共にハル姉の魔力の残滓が流れ出ているのが感じられる。勇者特有の、ハル姉の魔力はその他大勢のそれと比べて質が異なりわかりやすい。


漂う魔力の残滓を手繰り寄せるように辿っていくと、魔力源たる本体にたどり着く。ハル姉の身体を巡る魔力、自然治癒の根源たる生命力が形となって見える。


次第に魔力のほつれ、生命力が熱をもって活性化する場所が露わになった。右腹部、左大腿部、左胸部…。ついでに今まで気づかなかったが、聖剣へと流れ込む魔力まで感知した。


「ごめん、気づけなくて。」


魔力の流れを正常なものへと戻し、魔力を生命力へと変換する治癒術。聖剣に流れるハル姉の魔力に、おれの魔力を上乗せする強化。


ハル姉の視線がちらりとおれに向けられた気がした。激しい動きの中、彼女の口元は僅かに綻び、何か独り言のように呟くが剣戟の音にかき消されてしまう。


動けないおれを傍目に激しい戦闘が繰り広げられた。ハル姉の動きのキレは徐々に戻り、その戦いは再び五分の状態まで戻っていた。


ハル姉は一息のうちに三度打込み、四度押し返された。攻勢と守勢を何度も繰り返すうちにハル姉の聖剣、そしてガルザの剣も加速していく。


そこにおれの付け入る隙など見当たらなかった。目で追うだけで精一杯。一歩でも間違えば首が飛ぶような壮絶な死闘。


おれはせめてもと、場外からハル姉を見守るだけ。悔しい。わかってはいたことだが、自分に力がないことが死ぬほど悔しい。


「何か…他に何かないか。今のおれにできること…!」


今、戦況は拮抗しているが、圧倒的にこちらが不利なのは疑いようもない。こちらは目に見えるほど消耗しているのに対し、敵の力はまるで衰えていない。時間が経てば経つほど勝機は消えていく。


必死に探した。今の自分にできること。遠くから眺めているしかない自分にできること。未だに怪我の一つもないガルザにハル姉が勝つために…。


「あれ?待てよ。何かが…おかしい。」


考える時間はほとんどなく、口にした段階でその違和感の正体は明らかになった。いや、正確には初めからあった違和感をようやく違和感として認めたに過ぎなかったのかもしれない。


なぜおれはこの非現実的な光景を、当然のように受け入れてしまっていたのだろう。


さっきの一撃、おれ渾身の一振りは致命傷すら与えた手応えがある。それなのに、当のガルザに傷は見られず、魔力の痕跡を辿ってもそれらしきダメージは全くない。ついでに言えば、現在進行形で戦っているのか疑わしくなるほどに、息の乱れや姿勢の崩れもない。


思い返してみればイスキューロのときもそうだった。確かに手応えはあるのに、ダメージとして反映されている気配がない。


「おれの攻撃は通用しない…のか?」


そんなことが本当にありえるのだろうかと理性的に生じる疑問はある。だが、おれは直感的にその事実に納得し、同時に目の前のガルザがそれを証明していた。


記憶の中のガルザは、おれの攻撃に対しては生身で受けようとする反面、ハル姉の斬撃には必ず回避か剣での防御に徹していた。現にハル姉と刃を重ねている今でもそれは変わらない。つまり、おれの攻撃は生身で防げるが、ハル姉の攻撃はそうはいかないのでは…。


所詮は憶測でしかないが、そう考えると辻褄が合う。それがハル姉の勇者足りうる力や素質に起因している可能性も十分にある。


そうして、あの二人がもう十何度目かの鍔迫り合いに持ち込んだとき。たなびく白銀の髪の下、浅黒い首に切り傷とも言えないほどの薄っすらとした紅色の筋を遠目で見た。おれの考えは確信に変わった。


ハル姉の背後からの奇襲を受け止めきれていなかったのだ。


「だとすれば…おれのやるべきことは…!」


敵に止めを刺すことではなく、やはりそれは勇者であるハル姉の役目なのだろう。だが、一対一では戦況を覆すことは難しいだろう。


「おれの全ては、きっとこの時のために…!」


一刻も早く行動を起こさねば勝利への道は閉ざされる。そんな状況で迷っている暇はない。自分の介入が勝利への手がかりになるとすれは、それは自分自身が放てる最大威力の一撃に他ならない。


脚には相変わらず感覚はないが、そこに何一つ問題はない。これまで積み上げて来た経験を頼りに魔力を脚の筋力へと変える。


頭の中で、何百というシミュレーションが行われたが失敗する余地はない。


ハル姉とガルザが剣を交え、そして再び間合いをとった絶妙なタイミング。おれは軸足を犠牲に高々と跳び上がると、不意に既視感を覚えた。ヒノボリ村を旅立つ前、モノホーンとの特訓で腕を犠牲にしたときと酷似した景色。


おれは落下が始まる直前の静止で空中姿勢を整えた。戦槌を構え、今度はありったけの魔力を流し込む。風船に息を吹き込むように。槌頭が膨れ上がり、尚も流し続ける。瞬く間に、膨張を繰り返した槌頭はやがて空を隠し、地面に広域の影を落とした。


異変に気づいたガルザは無機質な表情でおれを睨むだけ。


「舐めるなよ。特大のをくれてやる!」


もし、魔力を込めている隙を狙って攻撃されていれば、間違いなく不発に終わっていた。それだけ隙の多い攻撃だ。


思い描いた通りの光景に気分が高揚する。そして、始まる落下。ゴォッと空気を押しどけながら徐々に速度を上げる巨大な槌頭はまるで大地を砕く巨人の拳。この一撃の威力は自分でも想像がつかない。


戦槌は既におれがコントロールできる質量を越えて、あとは重力に従って落下するだけ。


「潰れろおおお!」


超大な戦槌がガルザに降りかかる。戦槌を受け止めるにはあまりにも矮小なガルザの姿は、戦槌の落下と共に再び姿を消した。


戦槌が内包していた莫大なエネルギーが地面との衝突で炸裂し、砂塵の嵐を巻き起こした。地面には巨大な窪地が生じ、それを中心とした蜘蛛の巣状の亀裂がその威力を物語っている。


だが、やはりおぞましい魔力は変わらず戦槌の下から湧き出てくる。肉片すら残らないはずの一撃を受けて、なおも弱まる様子はない。それどころか、あろうことか建物のようなサイズの戦槌がわなわなと振動し始める。


「ありえない…。」


次の瞬間、槌頭は下から稲妻状にヒビが走り、二度目の振動と共に木っ端微塵に砕け散った。


「貴様は無力だな。」


ガルザの冷たい声が耳を突き刺す。今まで漠然としていた殺気が、明確におれ一人に向けられる。恐怖で思考が停止し、金縛りにあっているかのように身動きが取れない。


「力の差も理解できぬ畜生が。そこを動くなよ。俺が殺してやる。」


動くなと言われても元より動けない。喉がしまって声が出ない。呼吸すらままならず、体が空気を求めて短く何度も息を吸う。地上にいながら溺れているように。


絶対的な強弱を前に成す術はなかった。目の前にいるこの男は、生物としての格が違う。殺気を向けられてようやくそれを理解した。


ガルザはへたりこむおれの目の前まで来ると剣を喉元に押し当てる。


「全て無駄だったな。」


ガルザの『無駄』という言葉が頭の中を蹂躙した。日々の鍛錬も、重ねた経験も、出会った人達からの支えも…そして、このハル姉への想いさえも。死の間際、今まで生きてきた記憶が蘇り、全てが無駄だったと思うと悔しさだけが心を満たした。


ああ、仮面をつけていてよかった。最期にみっともない姿をハル姉に見せなくて済むのだから。


「リュート・ヒーロ。あなたは…無駄ではありませんでしたよ。」


それは自分の願望を汲んだ妄想の声…ではなかった。それは愛しい人から発せられた希望の言葉。ガルザもその声で我に返ったように、焦ったようにハル姉に視線を移した。だが、その様子はガルザにとって既に手遅れのようだった。


ハル姉の持つ聖剣の刃から白い炎が吹き出ている。ハル姉は剣を上段に構え、残存していた全魔力を剣に集約させていた。


「これは貴方への祈り。手には剣、心に御旗、これより築くは骸の祭壇。集いし想いに永遠とわの加護を。」


「チィッ、家畜ごときがあああ!」


ここに来て初めてガルザが取り乱した姿を見せる。殺す直前だったおれを無視して、獣のように吠えながらハル姉に飛びかかった。だが、詠唱を終えたハル姉は、ガルザと接触する遥か手前から光剣を振り下ろした。


無垢な(イエロス・)る白刃(シンヴォレオ)


眩いほどの光の斬撃が聖剣から放たれる。地面も空気も切り裂いて、またたく間にガルザをも飲み込んだ。あまりの光量に目が焼けるかと思い、おれはぎゅっと目を瞑った。


次に目を開けたとき、大量の流血とともに四つん這いになっているガルザの姿があった。明らかに命に関わる重症だ。ハル姉の魔力もほとんど尽きていたが、これで完全に勝負はついたはずだった。


「さ、さすがです、ハルティエッタ様!」


安堵と歓喜が内心を満たし、おれはついついハル姉の名前を呼んだ。


しかし、ハル姉は声に反応するどころか振り下ろした姿勢で静止し、ピクリとも動かない。どうも様子がおかしい。


「ハルティ…エッタ様…?」


呼びかけたがやはり反応はない。おれは恐怖の名残で抜かした腰をなんとか持ち上げ、よろよろとハル姉に歩み寄る。途中、ハル姉の口から赤い何かが流れ落ちるのが見えた。


『何か』なんてわかっていた。その正体が何なのかを認めたくなくて、脳がわからないふりをしているのだ。おれは現実から目を背けたままハル姉に近づいて、ようやく何が起きたのかを理解した。


ガルザの剣がハル姉の心臓の位置を貫いていた。

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