47話 見えない活路
空気を焦がすほどの高熱の刃は鼓膜を破る勢いで音を発しながら、イスキューロの身体に直撃した。その余波は暴風となって、確かにおれにまで届いたのだ。それなのに。
「熱ぃなあ!」
刃は確かに届いたのに…。今のがおれとエリスの最大出力だったのに…!
イスキューロが纏う衣服の裂け目から、肉を熱した音とともに蒸気が幾筋かたち上っているだけだった。それ故に絶望は大きかった。
避けられた方がいくらかマシだった。それでも死角からの神速の不意打ちに反応されてショックは受けただろうが…。
直撃したにも関わらず外傷はほぼなし。
「ああ、ようやくだ。」
何が楽しいのかイスキューロの感情が次第に昂ぶっていく。バンッと大きな音をたてて、己の右拳で左の掌をうった。
「お前らは最高の刺激だ!そのまま証明し続けてくれよ、俺の存在をよお!!」
何かの術を使うでもなく、何か策を労するでもない。力任せに迫りくるだけの『暴力』と化したイスキューロは、正に獣の名に相応しかった。
あまりに強大な力が意味するのは、『重い』だけでなく『速い』。拳を振るえば風圧が襲う。踏み込めば地面が揺れ、大地が割れた音と同時に眼前に奴の巨体が現れる。
「ッッ!」
放たれる拳は文字通り瞬き一つ許さない。言葉一つ、発する余裕も与えない。一撃でもまともに受ければ即死。必殺の拳は全神経を回避することに費やしてなお、拳は身体を掠めた。その度に骨が軋み、筋肉が裂ける。内臓が揺れて吐き気がする。
そんな状況でもおれたちが動き続けられたのは、治癒が何とか間に合うから。おれと一緒に戦っているのが他の誰でもないエリスだから。治癒と回避でなんとか保っている状況だ。
そして、お互いにイスキューロから大きく距離を取らないのは……いや、『取れないのは』と言った方が正確か。どちらにせよ、イスキューロから離れることはできないのには理由があった。
簡単な話、攻撃がどちらかに集中すれば瞬殺される予感がおれたちにはあったのだ。故に着かず離れず、交互に標的となりながら攻撃を凌ぎ続けた。おれとエリスにとっては地獄のような均衡状態が続く。
傷なら治そう。疲労なら癒やそう。だが、直撃だけはダメだ。間違いなく死に至る。そして、死者は返らないものだから。
だから、見切れ。躱せ。足を止めるな。集中を切らすな。怪我の有無は。奴の目線は。拳の位置は。重心は。予備動作は。追撃の体勢は。
気合と目に見える情報を全て注いでようやく紙一重。
疲労のせいなのか、痛みのせいなのか。思考は次第に終わらない地獄に侵され、精神が擦り切れていく。
もう何分それを続けたのだろうか。一分なのか十分なのか。はたまた一時間続けていた気もするし、たった十秒の出来事だったかもしれない。
時間の感覚が狂ったこの世界で、果てのない死の乱打を躱し続ける。
いつになったら終わるのだろう。
……ダメだ!考えるな!
あとどれだけ耐えたらいいのだろう。
……考えるなって!考えたら追いつかれてしまう。
早くこんな地獄は終わってくれと心の中で必死に願った。そして、それに呼応するように目を背け続けた事実が頭の中に滲み出る……。
いいや、初めから分かっていたのだ。
分かっていて考えないようにしていただけだ。
この地獄は終わらない。
ああ、そうだ。エリスの攻撃が通用しなかった時点でおれたちの勝ちの目は潰えたのだ。なら、おれたちはこいつを倒せる誰かを待たなければならない。
……誰かって誰だ?
グレンとメタンフォードの助けはあてにできない。
ガルザの相手をしているハル姉も同様。
なら、おれたちは一体誰を待てば…
ギリッ
唇を思い切り噛んだ。血が口の端から滴り落ちる。
「だから、考えるなって!」
そんなことは百も承知だったはずだ。
承知の上でメタンフォードを行かせたはずだ。
だから、おれは何も信じず、何も期待せず、誰も待たない。
死から逃れるためだけに走り続けるしかないのだ。
いつ終わるとも知れぬ耐久戦はなおも続いた。
そして……先に限界が来たのはエリスだった。
防戦の最中でも、エリスは時折『雷刀・凪一文字』を挿みながら反撃を試みていたが遂に魔力が尽きたのだ。発動が空振りに終わった瞬間、意表を突かれたかのように硬直が起きた。
イスキューロは当然その隙を見逃してはくれなかった。硬直こそほんの一瞬だったが、紙一重の攻防の中でその時間は致命的だ。
エリスは躱せない。おれは直感的にそう感じた。エリスをこんな危険に巻き込んでしまったことに後悔を覚えるより早く、必殺の拳はエリスに届いてしまう。
もはや為す術はない。おれは、それこそ神に祈る想いで目を伏せた。そしてまぶたの裏に焼き付いたのは、イスキューロの太い腕が華奢なエリスの胸部を貫く姿だった。
☆
「こりゃ参ったね、どうも。」
まさか自分がここまで追い詰められるとは思っていなかった。『紅蓮の暴姫』なんて大層な名前をもらっておきながら、たった三人を相手に防戦一方とは情けない。
「H〜〜♪Hh〜〜♪」
聞こえてくるのは恐らく『歌』だ。だが、それは聞き惚れるような芸術なんて代物ではなく、言語として成り立っているかどうかもわからない不可解な音が不規則なリズムにのって流れてくるだけのもの。
それを『歌』だと認識したのは、何よりその音を発する少女が歌うように口を開いているから。そして、どうしようもなく悲壮感に訴えてくるような感情が宿っていたからだ。
「いい加減くらいなよ!」
お構いなしに周囲一体を無差別に爆撃。居住区の真っ只中だが、それを気にして戦う余裕なぞ初めからなかった。
「何よ、何よ、何なのよアイツ!?何で歌が効いてないの!?それと…貴女も何か喋んなさいよ!!」
「……。」
『歌』を歌うのは最後方に佇む一人の少女。そして、それを守るようにアタシの前に立ち塞がるのは二人。一人はフラムと同い年くらいの小娘。もう一人はフードを深く被り、足元まで隠れる白のローブを纏った無言の女。全員かなり見目麗しいと評して差し支えないだろう。
「その『歌』、本当に厄介だ。」
「う、嘘言わないで!じゃあ、何でアンタは魔法使えんのよ!?」
「そりゃ、使えるさ!なにせ、アタシだからな!だが…まぁ、いつもの百分の一程度だが…ね!」
『ね!』と同時にさらに爆撃。だが、やはりいつもの調子には遠く及ばない。蓋されているのを無理やりこじ開けるように魔法を発動させる。あの『歌』が魔法の行使を妨害しているのは間違いないだろう。
「先に団員を逃したのは正解だったねえ。」
『歌』のせいで座標も出力もコントロールがままならない。力づくで発動させているが故に、繊細な操作はこのアタシをもってしても不可能だ。街が瓦礫の山と化していくのはこの際諦めた。
アタシにとっては何でもない日常だったけど…。強いて言えば闘技場が選定で盛り上がっているくらいの些細な非日常の中で起きた襲撃。無関係ではないのだろう。
殺意と共にこちらに向かって来た三つの強大な力を察知して、団員を全員逃し周辺住民の避難に当たらせていたのは我ながら最善手だった。それに、こういうとき団員の練度が高いと迅速に動いてくれて助かる。日頃の訓練の賜物というやつだ。
「でだ!アンタらは何者だい?アタシの力を抑えるその子も、アタシの爆撃を無傷で突破するアンタらも。どう考えても普通の人間じゃあないだろ?」
「はっ、言うわけないでしょ!頭湧いてんじゃない!?」
「小娘が言ってくれるじゃないのっ!」
手に持った長身の銃を一番厄介な『歌』の少女に向けて発砲。出力のコントロールを失った発砲で銃身がイカれたが、威力も速度も通常とは桁外れ。破裂音とともに、音速を超え、城壁をも軽く貫くだろう銃弾が放たれる。
キーン…
破裂音の中、涼しげに洗練された金属音が響いた。
「くっ、やってくれたねっ…。」
「…。」
放った銃弾は少女に届く前に、まるでそれこそが正しい物理法則であるように見事に弾かれた。
いつの間にか白いローブの女が少女を庇うように立っている。そしてその手には、どこから取り出したのか白く汚れない大鎌が握られていた。
最初に抱いた感情は『ありえない』という驚愕だった。ローブの女はただでさえ目で追える速度ではないはずの銃弾を、軽々と受け流したのだ。ましてや銃を見るのも初めてのはずで…。
動くことはおろか、目で追うことすらできないはずなのだ。ただの人間の反応速度であれば。
「埒が明かないね…。本当に。」
無理やり発動させている爆撃では決め手に欠け、頼みの銃も防がれた。今のアタシでは、長ローブの女との接近戦は一方的に不利…。
敵も様子見を終えたのか、生意気な小娘の魔法もローブの女の大鎌もその威力を増大させ始めた。
何とか爆発と使い物にならなくなった銃を盾にしてさばけはするが、『歌』をやめさせない限りはこの劣勢を覆す火力は出せない。
イライラを募らせる中、爆発が当たる度に小娘が何か喚いているのが聞こえた。
「くっ、こんのっ…。顔にキズがついたらどうしてくれんのよ…!このっ…オバサンっ!」
「ああ!?このアタシを…」
頭の中で何かがプチンと切れた。『歌』による蓋をこじ開けて、大量の魔力が流れていくのがわかる。
「はっ、何キレてんのよ!?本当のこと言っただけでしょ!」
「このアタシを……女扱いするんじゃねええ!!」
「なんでそこっ…わぶっ!!!」
怒り任せの一撃が小娘に直撃した。これまでにない今日一の火力だ。だが…。
「もーーっ、ほんっとに頭きた!アンタのその顔、めちゃくちゃにしてやるわ!」
無傷とはいかないまでも五体満足。頑丈さまで人間離れしているとは…。
これでわかった。この時、この場所でアタシに勝ち目はない。急速に懐に入ってくるローブの女を呆然と見つめながら、どこか他人事のように意味もなく三人の戦力を分析していた。
せめて。せめてアタシがもう一人いれば…
「いけないね…。悪い癖だ。」
そう。世の中の大体のことはなんだって自分一人でできた。敵は力でねじ伏せてきたし、居場所すら自分の力で手に入れた。頼れるのは己の力だけだった。だから、こういう場面でも欲するのは自分自身の力だけだ…。
敵の猛攻の中、勝ち目のない戦いにいつぶりか絶望すら感じた。
このアタシで勝てないのだ。もはや、この三人に敵う者なんてこの国には…。
そう思ったとき、一瞬だけ二人の男の姿が瞼の裏に映りこんだ。一人は誰かのために心を貫き通す、かつてアタシが憧れた強さをもつ少年。そして、もう一人は意外なことに…。堂々としているくせに、いつもどこか自信がなさげで頼りないあの騎士の姿。
「ふっ、アタシも焼きが回ったかね…。」
現実的に考えて、勝機のない戦闘の最中。ローブの女から振り下ろされる白刃を、いつの間にかただぼんやりと眺めていた。
背後から猛スピードで迫る男の存在を、どこか安堵しながら待っていたのだ。あの、紳士の皮を被った頼りない騎士を…。
「ガーネットぉぉぉおおお!」
前回より、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。少し仕事の方がうまくいかず、精神的にまいっており、更新どころではありませんでした。
そんな中、お待ち頂いているという声をいただきました。また、それをきっかけに、声に出さずともそう思ってくれる方もいてくれると思えました。
そんな方々に、これからもより一層楽しんでいただけるように誠心誠意、頑張らせていだきたいと思います。
まだまだ拙い箇所も多いかと思いますが、引き続き応援していただけるとありがたいです!