44話 鮫は沈む
俺、ドロー・メルフォンセは短気だった。『海を裂く鰭』の一番槍に上り詰めたのもその気性故だ。周りの騎士が戦くような場面でも、俺は一歩を先んじた。
それが俺のもつ圧倒的強みであり、誇りだった。強さに裏打ちされた自信。そして、その自信あればこその初めの一歩。それをもってして強者ひしめく前回の選定では一歩届かなかったが、今度こそと再度選定に臨んだ。
結果はどうだった?幻惑から抜け出す一次選定では、あの『お立ち台の騎士』に先を越された。それはまだいい。気にくわないが、あいつは最優秀に数えられる騎士だから。
だが、よりによってあの『仮面の治癒術士』にまで遅れをとった。俺の誇りとする第一歩でだ。それは何があっても許されることではない。誇りを踏みにじられたも同然だ。
俺は奴に負けたままではいられないと心を燃やし挑んだ二次選定。あの化物じみた猿を倒そうとした。組んだ奴が腰が引けて動けないのを傍目に、俺は自慢の一歩を踏み出した。だが結果は惨敗。おれの攻撃は全くと言っていいほど通用しなかった。
そして、仮面野郎との直接対決。おれはこれまでで失った誇りを取り戻すべく初撃に全てを賭け、そして呆気ないほどに敗北した。動きを読まれ、さらには先手を許し、何もできぬまま敗北した。
俺は俺が赦せなかった。
俺はなぜ他の奴に遅れをとるのか。
どうして俺はこんなにも弱いのだ。
赦せない赦せない赦せない
赦せない赦せない赦せない。
そして、最後のチャンスとばかりに機会は巡ってきた。
客席が盛大に破壊され、闘技場は恐怖と混乱に包まれたのだ。
現れた二人組は明らかに敵。
こんなことをしでかしたのだから罪人確定だろう。
ふと試合中だったメタンフォードを見ると顔を真っ青にし、仮面野郎に至っては恐怖にうち震えている。
必然のように、俺はここしかないと思い至る。失ったプライドを取り戻すにはここで一歩を先んじるしかないと。絶対に踏み出してはならないと本能が叫んでいたが、失ったはずのプライドが俺を盲目にしていた。
「『噴射』」
水の高圧噴射を莫大な推進力に変えて…
『激流槍』
全ての防衛網を破壊する必殺の一槍。仮面野郎を仕留めるはずだった最大威力の魔法。あのメタンフォードの防御すら貫く誇りを賭けた一突き。
俺は細身の男に向けて疾走し、巨大な水の槍を一閃する。
「よせっ!ドローぉぉおおお!」
珍しく焦燥に駆られたメタンフォードの声が遠くで聞こえる。
俺の槍は…どうなった?確かに直撃した手応えはあった。だが、いつものような貫いた感覚ではなく、鋼鉄を突いたような痺れる感覚。それに細身の男の背中からは槍の切っ先が見えない。貫いていれば刃が背中から突き出ているはずなのに。
「あ…れ…?」
俺はその光景に違和感を覚えた。
俺は一体何を見ているのだろう。
なんで俺は敵の背中を見ている?
しかもなぜ逆さまなのか?
どうして敵の向こう側に俺の身体があるのか?
考えることは…もうできない。
死の恐怖より先に、意識が急速に暗闇に飲み込まれていく。
最後に見えたのは、愛槍が自らの手から滑り落ちていく姿だけだった。
☆
その出来事は一瞬だった。メタンフォードの制止する声など聞こえていないかのようにドロー・メルフォンセは『死』に向かって走り出した。
大技だった。恐らくは彼の切り札だったであろうその技は、細身の男に届いた瞬間、粉々に砕け散った。
技は確かに当たっていたのにその男には血の一滴、傷の一つも見当たらない。そして、その男はおもむろに手刀を水平に薙いだ。
まるで喜劇や手品の類でも見ているのだろうか。慣性に従ってドロー・メルフォンセの首だけが、冗談のように軽やかに細身の男の頭上を越えて飛んだ。
「え?あぁ…、な、はぁああ!?」
気が動転してまともな言葉が出てこない。
今の一瞬で一人の命が奪われた。
それも、ついさっきおれが戦ったあのドロー・メルフォンセが一瞬で?
「ふん。他愛もないな。」
ドローの身体は鮮血を撒き散らしながら地面に墜落した。それが、ただでさえ混乱状態だった場内をさらなるパニックに陥れた。
「し、死んだ!あの、ドローがっ…!」
「何!?何が起こっているの!?」
「きゃぁああああああ!」
「少し、煩いな。」
細身の男は天に掲げた手を逃げ惑う人々に向けて振り下ろした。まるで無色の隕石が落ちたかのように、手を向けた先で全てがひしゃげる。そこにいたはずの人は一瞬にしてただの肉塊と化した。
「何、を…?何をしてるんだ!?」
おれは理解が追いつかないながら、想いのままに叫んだ。
「危ない!」
メタンフォードの声と共に視界から全ての光が消える。真っ暗闇だ。
だが、それもたった刹那だった。ダダダダダッと細かく連続した破砕音が頭上から急速に近づいて来て、最後の音で暗闇に光が指し込んだ。目の前にはもう一人の『死』がおれの一歩先の地面を砕いていた。
急に迫ってきた死に、一周回って冷静さが甦る。
助かった…!これはメタンフォードの多重防御ドームだ。メタンフォードが咄嗟におれを守ってくれたのだ。
そう理解した途端、さらなる恐怖が押し寄せてきた。
この防御ドームは上級魔法すら防ぎ切る絶対の防御壁だぞ!?
それが一息に最下層まで砕かれた?
それも素手で?
目の前の『死』には、おれと同じように魔力を筋力に変えた様子はない。つまり素の身体能力でメタンフォードの絶対防御を破壊した事になる。
「ああ?何だ、こいつ。ただのガキじゃねえか。だが、その仮面。気に食わねえな。」
鎧のような筋肉を持つ男が、尻もちをつくおれに手を伸ばしてくる。まるで動けないおれは死を覚悟し、抵抗の意思すら見せることが出来ずに…。
今度はビュンッと視界がブレた。おれは男の手から救出されるが如く弾き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がった。
「リュート!しっかりしろ!こんなところで死にたいのか!」
メタンフォードの声で我に返る。
「す、すみません!ありがとうございます!」
男は邪魔した者の正体を確認し、不敵に笑った。
「お前は…強そうだなぁ!!」
「あぁ、たぶん君よりは強いよ。」
メタンフォードはおれに対してやったようにその『死』に手をかざし、握る。男を五本の柱が囲み、密集してその大きな図体を拘束する。さらに外側から何度も柱が現れては男に向かって収束を続け、そのうち男の姿は見えなくなった。
拘束魔法の重ねがけ。封印に匹敵する強度の拘束のはずだった。
ゴゴゴゴッ
その拘束の中で軋むような音が鳴る。
「ハッハァ。お前、俺より強いのか。じゃあ、殺すしかねえなぁ?」
声がする。そして、男はまるで砂の城を崩すかの如き容易さで、メタンフォードの拘束魔法から抜け出してきた。いや、この男には『抜け出す』なんて意識すらなかったようにも思う。
腕を動かしたら砕けた。脚を動かしたら崩れた。そんな風に拘束を意に介する素振りすら見せなかった。
「イスキューロ!いつまで遊んでいる!さっさとその男を殺せ!」
「ああ!?どっちだ!どっちを殺せばいい!」
「チッ、馬鹿が。わからなければどちらも殺せ。」
「あいよ。」
イスキューロと呼ばれたこの男はおれたちに向き直ると興奮したように笑った。未だ上空にいる男は再び殺戮を始めようと動き出す。その視線の先はまさにエリスたちがいる場所。おれは見かねて…。
「まずい!あの男を止めないと!」
「分かってはいるがこちらも余裕がない!」
メタンフォードも目の前の男に注力するので精一杯。既に上空の男は再び天に手をかざし、何の躊躇もないまま残虐な力は振り下ろした。
「エリス!アサヒ!フラム!逃げろぉおお!」
おれは己の無力に打ちひしがれた。何もかも間に合わない。おれの大事な人たちは、あの醜い肉塊となり果てる。
見ていられなかった。現実から目を背けるようにギュッと目を瞑る。
そして、聞こえてきたのはガラスが割れたような音。
「遅くなりました。」
聞き慣れた声は救いの女神のようであり…。このときおれは何よりも、彼女に頼らざるをえない己の無力さを嫌悪した。この二人の『死』を前にして、今のおれでは何も守れないことが言葉にできないほど悔しい。
「これ以上、あなた方の好きにはさせません。」
愛すべき人、光り輝く勇者ハルティエッタが皆を守るようにして災厄の前に立ち塞がっていた。