43話 動乱
「は?」
聞き間違いだろうか。今、フォードさんは何て言った?選定に参加した目的はハル姉を抹殺すること?
「な、なんで…?冗談ですよね?」
声が震えるのは、彼から放たれる殺気に怖じ気づいていることだけが理由ではないはず。動揺が頭の中を掻き乱す。
「冗談を言っているように見えるかい?」
刺すような言葉はおれの心を揺さぶる。とてもではないが、冗談を言っているようには見えない。
だが、そんなはずはない。おれに対して少なからず悪感情を抱いていたことは知っているが、根はそれほど悪い人ではないと思っていた。公平で、公正な人間だと思っていた。
「どうしてですか…?どうしてそんなことを!?」
「邪魔だからさ。」
「邪魔?」
「ああ、ハルティエッタ様という存在がね。今、この国の最大戦力はどこにあると思う?」
その問いかけに、先日のグレンの言葉が甦る。
『今となっては目下、最大勢力は間違いなく国王直属特務部隊だろう!』
敢えて答えるのであれば、特務部隊ということになる。有力者を結集してできた部隊だ。異論を掲げる者はそう多くはないだろう。
それでもわからない。それが事実だとして、どうしてそれがハル姉を抹殺することに繋がるのか。考えても考えても答えは出なかった。
「特務部隊…ですか?」
「あぁ、そうだ。」
「それとハル姉に何の関係があるんですか!?」
「君はガーネットが一体どんな想いであの地位まで上り詰めたのか知っているかい?」
「想い…?」
おれは眉を潜めた。何も思い浮かばなかったからだ。
「ガーネットはね、いろんなものを犠牲にしてあの地位を手に入れたんだ。だが今、高々剣を抜いた程度の少女がその地位を脅かしている。」
は?
おれはその言葉を聞いて頭が真っ白になった。気づけばおれは、考えることを放棄していた。ただただメタンフォードの言葉で己の感情が沸騰するように沸き立つ。
高々剣を抜いた程度?
ふざけるな。お前がハル姉の何を知っている!
訓練の苦痛も。
国を救うという重責も。
戦うのが怖いと流した涙さえも。
『高々剣を抜いた程度』なんていう言葉で片付けられていいものでは決してない!
「最強はガーネットでなければならない。英雄はガーネットでなければならない。故に、僕はそうあるためにハルティエッタ様を抹殺する。」
二度目に発された『抹殺』という言葉。もはやおれの理性は限界だった。
「そんなことは…おれが許さない…!」
「別に君に許しを得ようとは思っていないよ。僕が君に勝って、特務に入る。そうしたら寝首を搔くくらいはそう難しいことでは」
おれはメタンフォードが言い終える前に駆け出していた。おれの脚の骨は砕け、筋肉は断裂する。
身体を包む光が自傷に対して作用しなかったことは幸運以外のなにものでもなかったが、ここで敗北したところでこの行為を止めるつもりは更々なかった。
一歩を踏みしめるごとに脚が壊れ、治る。その度に肉が裂ける痛みと神経を繋ぎ直す痛みが交互に押し寄せる。痛みに顔を歪ませながらも、おれは脚を止めることはない。
既に未知の速度に達していたが、まだ加速する。蔦のように絡まる空気の壁を引きちぎりながら、さらに加速する。
「なっ!」
メタンフォードは咄嗟に壁を作り出した。おれは瞬時に反応し、戦鎚を片手で振るった。このときその戦鎚の軽さに疑問を持つほど、おれの頭は冷静ではいられなかった。
目の前の男を倒す。ただそれだけの意思が身体を動かしていた。
メタンフォードが壁を作りながら後退し、おれはそれを破壊しながら距離を詰める。立場は逆転した。今度はおれが追う番だ。
「まさかここまでとはっ!」
いつしかメタンフォードの顔から余裕は消えていた。驚愕と焦りで、顔を青ざめさせる。おれはただ飢えた獣のように、我武者羅に得物を振るい続けるだけだ。
☆
「まさかここまでとはっ!」
まるで想像なんてできていなかった。攻勢に出たこの少年がここまでの変貌を遂げるなんて。
それにしてもこの速度はなんだ?魔法なしの人間が動ける速度ではないぞ。試合開始時ですら類稀な速度を叩き出していたというのに、今それを優に超えている。
「まさか!」
チラリと見えたリュートの表情を見て、嫌な想像をしてしまう。苦痛に歪んだ悲壮な顔。そしてその想像は、次の瞬間に現実として確定する。
「脚が壊れるほど筋力強化をかけているのか!?」
地面を蹴り上げる度に脚の形が歪んでいたのだ。しかも壊れてすぐにそれを治すという荒業まで繰り返している。
信じられない。とても正気の沙汰とは思えなかった。今、リュートは何度も脚を挽き潰す拷問のような苦痛を、自らの意思で続けている。
普通の人間であればその痛みで発狂していてもおかしくはない。
僕は少しだけ後悔した。
ハルティエッタ様を抹殺する?自分でも笑えるくらい馬鹿らしい即興の嘘だ。だがこう言えば、彼の真価が現れるだろうとは思っていた。彼は他人を想いやったとき、最高のパフォーマンスを発揮するはずだと。その相手は親しみの深い者ほど強くなると。
その仮説は見事に当たっていたわけだ。だが、結果的にそれは僕の想定を果てしなく上回った。
そのたった一つの嘘でここまで身を捨てられるなんて考えられなかった。技術的にも精神的にもそんなことができる人間がいるとは思ってもみなかった。
「君は…強いな!」
何とかリュートの攻撃をいなしながら、どうしてもそう言いたかった。僕は己の弱さを痛感したかった。
だけど、リュート。その強さはとても痛々しい。健気なんて生易しいものではない。自己犠牲を意にも介さないその姿はまるでかつての…。
そこである考えに至って、気持ちのいいくらい得心がいった。
ああ、彼女がこの少年を認めた理由がようやくわかった。リュートはかつての彼女と似ているのだ。彼がもつ強さは、僕が追い求め続けてきたものそのものだ。
なぁ、リュート。
君はどうしてそうなんだ。
どうしたらそこまで強くなれる。
なぜそこまで自分に非情になれる。
この戦いが終わったら全てを聞こう。彼は本気で怒るだろう。疑いもするだろう。だけど僕は、もっと彼と話がしてみたくなった。
「だがそれはこの試合が終わった後だ。僕にだって譲れないものはある。この試合だけは勝たせてもらおう。」
そうは言ったものの、リュートの猛攻を捌ききるのは至難の技だ。
初級魔法であれば意識から発動までほとんど遅延はない。後手の対応に最も適していると言っていい。だが、今のリュートの前ではその耐久力は紙にも等しい。
だが、中級以上の魔法はそもそも発動に多少の遅延が発生する。それでも通常の戦闘であれば気にならない程度のものだが、超速の猛攻の中では確実にその遅延が命取りになると本能が叫ぶ。
「しまった!」
それは取るに足らない微かな歪みだった。本来であれば隙とも呼ばないような些細な瑕疵。
むしろ、見てから対処していたのでは間に合わないリュートの連撃を、よくぞ正確な予測と培われた直感だけで躱し続けてきたと言ってもいい。
ここに来てリュートの動きはさらに進化した。
リュートは戦鎚を地面の土を巻き込んみながら振り抜いた。僕はその飛沫する土砂を反射的に剣を持たない手で受け止めてしまった。
僕は魔法の種類、タイミング、座標を手の動きと連動させることで精密なコントロールを実現している。その手を土砂から目を守ることに使ってしまったのだ。これは今のリュートに対しては、致命的な失策となる。
リュートはまるで僕の死角が見えているかのようにスルリと視界から消え、次に現れるときには戦鎚が目前に迫っていた。
これは…間に合わないっ!
敗北する未来が頭を埋め尽くす。
でも、いいか。君に負けるのなら。
元より僕は敗北していた身。
今さら君に負けることなど悔しくも……
…そんな訳ない。悔しくない訳がない。
僕はなんのために力を磨いてきたんだ。
それはいつかガーネットをも越えて
彼女を守れるようになるためだろう?
ならば、少なくとも。
少なくともこの『戦い』だけは。
『戦う強さ』だけは負けるわけにはいかないじゃないか。
それが強さを見せてくれたリュートに対して、僕から提示できる覚悟だ。
『顕現〈地精ッ…!』
だが、その魔法を発動しようとした直後、闘技場は激震した。同時にリュートの戦鎚も、まるで時が止まったかのようにピタリと止まった。
☆
恐ろしい何かが来る…!
おれは五感ではない何かで察知した。重くて、暗くて、寒い。この世ならざる気配。肩に垂れ下がるラビの耳も逆立っているから、錯覚などではない。
次の瞬間、爆発音と同時に観客席が盛大に吹き飛んだ。今ので確実に怪我人が出ただろう。最悪、死人が出た可能性すらある。エリス達の座っていた場所ではない。
目を凝らすと、爆発によりぽっかりと空いた空間に二人の人影が浮いていた。一人は肌の色は暗く白銀の髪を靡かせる細身の男。もう一人は、髪を掻き上げ、全身に鎧のような筋肉を纏った精悍な顔つきの男。
これは、どういうことだ…!?身体が萎縮して動かない。かつて喰悪鬼と初めて対面したときと同じように。だが、目の前にいるこの二人はそんなものとは比べ物にならない存在感を放っていた。
存在するだけで周囲の気温を十度も下げているような。寒くもないのに歯がカタカタと震える。死を目の当たりにしているような悍しい感覚。
そして細身の男は口を開いた。
「我々は今より、貴様らの種を殲滅する。」
今回、視点の切り替えが複数回ありますので、
読み辛いと感じた方、申し訳ありませんでした。