37話 選定の意図
「うそだろ・・・。」
おれとエメラルダは絶句した。煙の中から姿を表した猿に驚愕したのだ。そしてさらに信じがたいのは、先ほど倒した猿が分身であるというその言葉。
もう無理だ。おれにもエメラルダにもこれ以上戦い続ける力は残されていない。
「いや、まだだ。こんなところで終わるわけにはいかない。」
おれは力の入らない手で戦鎚を握り直す。強がりでも何でも、おれは立ち向かうしかなかった。おれに出来ることは結局のところ諦めずに立ち続けることだけだ。
『日射す場所は久しかろう。』
猿はおれを見て一言だけ呟いた。過去を懐かしみながら、嬉しさを覚えるような声色だった。
その真意はおれの知るところではない。そもそもこの猿と会った記憶はないし、日の下を歩けぬほど悪いことをした覚えもない。猿の言葉はおれには全くピンとこない台詞だった。
「終わりですね。」
と、唐突にハル姉の声がおれたちの敗北を宣言した。それほど大きな声を出している様子はないのに、広間まではっきりと声が聞こえる。
「待ってくれ!まだ終わってない!」
「いいえ。これ以上は無駄なことです。それに、あなた方に戦い続ける力は残っていないのでしょう?」
ああ、そうだ。客観的に見れば、おれたちに余裕が残されていないのは明白。そもそもそんなことは自分自身が一番分かっている。だけど・・・!
「それは諦める理由になりはしない!貴女と共にあるためにここまで来た!まだやれる!」
「はぅ!」
ハル姉が聞き慣れない奇声をあげて、よろめきながら心臓を抑えた。
どうしたんだ、今の尋常ならざる反応は!?それに、どこか苦しそうだ。もしかしておれの知らないところで、ハル姉の体に異変が起きているのか!?病気か怪我か、それとも他の何か。
ならば、尚更おれはこんなところで負けている訳にはいかないだろう。
あぁ、どこからか力がみなぎってくる。ハル姉を守らなければ。ハル姉に振りかかる災いは全ておれが払う!
「見ていてくれ!貴女のために勝ってみせる!」
「あっ・・・。」
ハル姉は再び身体を揺らすが、なんとか踏ん張って倒れるのを堪えた。次の瞬間、果てしないプレッシャーがおれたちを襲った。放っているのはハル姉。後ろによろめいた身体を既に正常な位置に戻していた。
「いいえ。貴方の想いが果たされることはありません。」
ハル姉はニコやかに断言する。笑みを浮かべてはいるが、その奥には苦悩とも怒りともとれる激情が籠っていた。
また、余計なことを言ってハル姉を怒らせてしまったようだ。なかなかおれの気持ちが伝わらない。もどかしさだけが積る。
いっそのことこの仮面をとって、もう一度正直に気持ちを伝えてみようか。何度もそう思ったが、結局のところ拒絶されたときのことを考えると恐怖が勝って行動に移せない。おれは一度嫌われているから。今もまだ、きっと嫌われているから。
そんな峻順のうちに、ふっとおれたちを押し潰さんとしていたプレッシャーが消えた。随分と体が軽く感じる。ハル姉は再び口を開いた。
「と、言いたいところですが。今、あなた方が相手をしていたのは神獣の分身です。そして、それを倒した時点であなた方は次に進む資格が与えられました。ですので、これ以上は意味がないことなのです。」
「へ?」
ハル姉の言葉を理解するのに暫く時間がかかった。台詞をゆっくりと咀嚼し『次に進む資格が与えられました』というところでようやく自分の状況を飲み込むことが出来た。
終わったのか?とりあえず次に進めるのか?
そう思ったとき、勘違いで一人相撲をしていたことが急に恥ずかしくなった。エメラルダは見るからに尊敬の眼差しを向けてくるが。
困る。非常に困る。こんな醜態をどうしてそんな曇りなき眼で見ることが出来るのか。普通出来ないぞ。その証拠に回りを見てみろ。観客は皆一様に嘲笑なり、白けるなりで空気が冷えきっているじゃないか!
「さすがは先生です!『貴女と共にあるためにここまで来た!』。いやぁ、憧れるなぁ。」
「やめろ!」
何に憧れるというのだろう。彼女には羞恥という概念がないのか。あるいはその羞恥を悦とする真正の変態なのか。
「「ふっ、あっははは!」」
いまだに尻を地につけているエメラルダと眼を合わせると無性に笑いが込み上げてきた。それはどうやら彼女も同じようだ。
笑い終えると、おれの脚にも限界がきたみたいでがくっと膝から崩れた。
「はぁぁ、もう無理だ。あのまま続けていれば。」
「何を仰います。先生ならどういう形であれ最後まで立ち続けていたと思いますよ。それがハルティエッタ様のためであれば。貴方はそういうお方です。」
「それは・・・そうかも。」
思い返せばいつだってそうだった。ハル姉のためだと思えば何だって出来た。どこからか力が湧いてくる。負けられない、負けるわけにはいかない。その想いだけでここまでやって来たといっても過言ではない。
「だから、あと二勝。ようやくスタートラインが見えてきた。」
おれは遥か高みに立つハル姉に手を伸ばす。意外なことにハル姉もこちらに手を伸ばしかけたように見えた。が、何でもないように身体を返す。
期待を抱き過ぎてそう錯覚してしまったのだろう。残念に思いながら彼女の背中を眼で追う。
「先生・・・。」
「待った。やっぱりその呼び方やめない?」
「やめません。」
思いの外、頑なな姿勢を見せるエメラルダ。なぜその呼び名に到ったのかまるでわからないが、変えるつもりは全くないようだ。
「ボクは貴方の強さに憧れました。それに努力を認めて、褒めてくれました。」
いや、エメの方が強くない?エメが『誉めてくれ』と言ったのでは?
ツッコミどころしかないが、エメラルダはあくまで真剣に語っていて口を挟めない。
「ボクは先生と組めてよかったです。」
色々言いたいことはあったが、結論としては彼女と同じだ。口から出そうになる様々な言葉をのみ込んだ。
「あぁ、おれも貴女と組めてよかった。」
本心からの言葉だ。この選定を通過できたのは紛れもなく彼女の力あってこそだ。そして同時に自分自身の力のなさを思い知らされた戦いでもあった。
自分が強くなることは、最初から諦めていたはずだった。そんなことは百も承知のつもりだったのに。だが、最近は戦う術を得て、自然と強くなった気でいたのだ。
『強者の力にあやかってるだけのハイエナがよぉ。でけぇ面してんじゃねえよ!』
かつて誰かに言われた言葉を思い出す。
そうだ。おれは強くなんてない。だからこうして治癒術士としてハル姉を支える道を選んだのだ。
そうやって自分を戒める。戒めなければいけないことがこれから待ち受けている。ここから先は誰にも頼れず、己の力のみで勝ち進まなければならないのだから。
「では、お二人とも。こちらで一度休憩なさってください。」
地面に腰を下ろすおれたちを迎えに来たのは、歴代最高の治癒術士と名高いティーユだった。そのおっとりした表情と柔らかな物腰は相変わらず聖女と呼ぶに相応しい風貌だ。疲れきったおれたちにとっては、まさに女神が降臨しているかのようだった。
おれたちがティーユに連れられて休憩所に向かっているとき。ティーユはおれにだけ聞こえるように話しかけてきた。
「どうしてそこまでハルティエッタ様にこだわるのですか?」
彼女は吐息が耳にあたりそうなほど顔を近づける。ぞわぞわと背中を這い上がるものがあった。
身の回りにこういった女性は意外にも少ない。そもそも大人の女性はシスターとグレンとエメラルダ、後は年齢的にエリスもそうか。
総じて性を意識させるような雰囲気はなかったと言っていいだろう。だが、この人はどうだ。容姿、仕草、口調のどれをとっても女性のそれだ。ここにきて、おれは己の弱点を知ることになった。
「うふふ、顔は隠してるつもりでも耳は真っ赤よ。」
「けしからんでございます!」
おれは身の危険を感じ、反射的に意味不明な言葉を発しながらその場を跳び退いた。
「あら?そんな小動物のような反応なさらなくても。」
「あ、いや。すいません、つい。」
「つい、でそんな行動をとられると少しだけ傷つきますね。」
と口では言いつつ、それほど悲しんでいる様子もない。何だか全てを見透かされているような。それでもって全て許容しようとするような。そうか、これが包容力か。
「さて、着きましたよ。」
案内された先には、メタンフォードを始めとして先の選定を勝ち抜いてきたであろう者たちが集められていた。中は特殊な結界が張られ、一歩踏み込んだだけで足元から熱が全身に伝う。体が勝手に修復され、痛みも疲れも溶けていく。
視野の外でボソッと『ハルちゃんをよろしくね。』と聞こえた気がした。空耳だったと言われれば、そう思ってしまうくらい微かな声。ティーユを見ると既に背を向けていて、真意を問うのは憚られた。
「リュート。待っていたよ。」
メタンフォードはおれの姿を確認すると、安堵したように微笑む。
「ええ、この戦鎚のおかげで戦い抜けました。」
「そうか。それは役に立ったか。」
猿に対して有効打を与えることは叶わなかったが、攻撃を弾き攻略の糸口を掴むことは出来た。生身で同じ事をしようとすれば、身体へのダメージは計り知れなかっただろう。
「はい、とても。そういえば!あの広間を耕したのはフォードさんですか!?」
「耕したって?あぁ、少しだけ散らかしてしまったか。」
少しだけ散らかした・・・。あれはそんな規模ではなかったような。まるで子供の砂遊びのことを言っているような軽さだ。
「だが、君たちがあの猿を倒してしまったのには驚いた。」
「え?フォードさんも倒したのでは!?」
「え?あれは耐久力の試練だろう?倒す必要なんてないと思うが・・・。序盤で相方がダウンした時にはかなり焦ったけどね。」
「あ、え、え?」
「気づいてなかったのかい?」
メタンフォード曰く、そもそも猿を倒すことが勝ち抜く条件だとしたら、通過できる組の数が不明確だ。それにも関わらず黒子は説明のとき、上位四組と言った。では、そもそもエメラルダの刃すら通さない猿を相手に何を基準として上位とするのか。
「答えは簡単だ。」
「それが、耐久時間だと!?」
「そうだ。現に一定時間経ったらあの猿も消えたしね。」
おれはエメラルダと再び眼を合わせ、今度は大きな溜め息に変わった。耐久だと分かっていれば、こんなに疲弊することもなかっただろうに。
それにしても、メタンフォードはあの猿を相手にあれだけの長時間一人で相手をしていたことになる。選定の意図を理解する洞察力、神獣を相手にして危なげなく耐久してみせるその実力。メタンフォードの化け物じみた力がいよいよ目に見え始めた。
「では、いよいよだね。」
涼しい顔をしているが、明らかにおれに対する宣戦布告だ。
「はい。でも、トーナメントで当たるとは限りませんよ。」
「いいや。必ず当たる。そうだろ?」
メタンフォードの言いたいことは簡単なことだ。お互い負けなければ必ず最後には当たる。たったそれだけのシンプルな事実。個人的には最後まで当たらないで欲しいのだが。
「だが、なぜ今回はトーナメントを採用したのだろうね。」
「なぜというと?」
「だって考えてみるといい。僕らがこれから戦うことになるのは何だ?」
「なんだ、と言われても・・・。」
思い浮かんだのは災厄が現れる前兆と言われる三匹の魔獣。そして災厄そのものである魔王。
「あ・・・。」
「そうだ。トーナメントはあくまで人と人の戦いだ。この方式で見極められるのは対人戦の能力だろう?不要とまでは言わないが、これから起こる大災害を前にそれは重視すべき能力なのか?」
「確かにそう考えるとトーナメントは不自然ですね。対人戦を見据えた何かがある、ということでしょうか。」
「あぁ、それが正しい。それになぜ席に空白ができたのだろうね。」
脳裏によぎるものは確かにあった。だが、それを関連づけさせる確たる証拠はないし、実際に何が起こったのかもわからない。気にはなるが、今考えてもしょうがないことだ。
「すまない。これでも『大地を穿つ爪』の団長でね。色々考えずにはいられないんだ。」
この人の視点は一体どこにあるのだろうか。自分の目線とは遥かかけ離れたところにいるのは確かだ。
そして、驚きと思案の休憩時間は突如として終わりを告げた。
「さて、そろそろ来るな。」
「え?」
「ご明察。」
もう驚くまいと心に決めていたのに、いざ現れるとどうしても心臓が跳ねる。今やお馴染みの黒子だ。
「最終選定のトーナメント表をもって参りました。」
参加者は八名。有力候補のメタンフォード、エメラルダ、ドローはいまだ健在。エメラルダは決勝まで当たらないのは確定しているため、メタンフォードとドローの位置が明暗を分けることになる。
確率は低いが、残る二人と当たらない可能性はある・・・。
いや、ない!どうせおれのことだ。そんなにも事が上手く運ぶ訳がない。残る二人と当たらない可能性があるのと同時に逆もしかり。
黒子は紙の巻物を広げると底に書かれていた文字が紙から離れて、ひとりでに宙を浮いた。
おれはトーナメント表の左側。そして、メタンフォードとドローの位置は・・・。
「見事に全員当たりますね!わかってました!」
少し涙目だった。