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36話 すべてをかけた一撃

遡ること数十秒前。『旋裂の暴風(ウラガーノ)』を猿に撃ち込んだエメラルダは俺の視線に気がつき駆けつけた。


「やはり大したダメージは与えられていないようです!」


「わかってる。おれの狙いはこの時間だ。」


おれはエメラルダの肩を借りてようやく立ち上がる。


「まだ、何かあるのですね!?」


「賭けもいいとこ。正直、勝機なんてあるかどうかもわからない。」


だけど、それ以外にもはや打つ手なんて残っていない。そもそも、それが実現できるかも五分五分だと思っている。


「たぶん時間はあまりない。単刀直入に伝えると・・。」


どのように伝えたら最も分かりやすいか。そんなことが頭を過る。そして、紡いだ言葉は恐ろしくシンプルだ。


「『荒れ狂う斬撃(テンペスタ・ラーマ)』を収束させる。」


エメラルダははっとしたあと、己の剣を見つめた。


「なるほど・・・。理解しました。」


さすがは剣の達人。どうやって、とは訊かなかった。たった一言の理想を聞いて、己がすべきことを理解したのだ。


「可能か?」


「意識したことはありませんが技術的には可能かと。」


技術的には、ね。


エメラルダの言葉には抵抗の意思が込められていた。つまり、その手段を理解はしているが()()()()()()()()。技術的には可能だか、()()()()()()()()


「ですが、それは剣に対する裏切りです。」


なんとなく分かっていた。アカルージュ邸で聞いた話の一つ。エメラルダが極めた剣を変幻自在な太刀筋を真骨頂とした柔の剣術とするのであれば、おれが要求する剣は一撃必殺の剛の剣術だ。


剣術の違いなんぞ。


剣を握って来なかった者はそう思うだろう。おれも同じようなものだ。だが、エメラルダの顔を見ると踏みきることが容易でないことはすぐに分かった。


勝利のために他の剣術を頼る。それは、極めた剣術が劣っていることの証明に他ならない。そして剣の達人にとって、極めた剣術は人生に等しい。


おれがエメラルダに強いるのは己と師の人生を否定することだ。


だけど、やはりおれにとってこの選定は絶対に通過しなければいけない場所。手段を選んでいる余裕はない。


例え、それがエメラルダを利用することになってもだ。


「これはおれの我儘だ。エメにも優先すべきものがあるのは分かっている。」


おれは直立の姿勢から、腰を折る。今おれが見せられる精一杯の誠意だ。


「だから、それを承知の上で頼む。貴方の誇りと研鑽によって研がれた刃、おれに預けてくれないか。」


エメラルダはピクリと眉をひそめ、怪訝な顔になる。気に障ることを言ってしまったのかと不安になった。


「誇りと研鑽・・・ですか。家柄と才能の間違いでは?」


その言葉は、自分に向けた皮肉のように聞こえた。やはり、貴族ならではの悩みとか柵とか、そういったものは日常茶飯事なのかもしれない。おれにはさっぱり理解できない感覚だ。


だから、おれは思ったことを思った通りに口にする。


「才能だけでそこまで強くなれた訳じゃないでしょ?」


「ふっ。」


エメラルダはなぜかその問いに吹き出した。おかしい。特にウケを狙ったつもりはなかったはず。


「違いますね。ボクは頑張りましたよ!頑張ってきたんです!」


「そうだろうね。」


「なら、ボクを全力で褒めてください!」


「えぇ・・・。」


エメラルダはおれの両手を掴みぐっと顔を近づけた。唐突な要求におれは戸惑いが止められない。褒めろと言われても、何も見てこなかったおれが何を褒めればいいのか。


「お願いします!」


だが、あくまでエメラルダの声色は真剣そのものだ。仕方なく、褒める時の言葉をかける。


「よ、よく頑張った、ね?」


「もっとです!頭に手とかのせたり撫でたり色々あるはずです!」


エメラルダは語気を強めて、同時に要求内容を追加した。おれは何がなんだかわからず、言われた通り自分より高い位置にあるエメラルダの頭に手を乗せる。


「よく頑張った。」


「まだです!それが貴方の全力ですか!?ボクは全力で褒めてくださいと言ったはずです!」


全力で褒めるとはなんぞや。おれは今何をさせられているのだろう。こんなことしている場合じゃないんだけど。


どうしようもない気持ちのまま、昔教会で飼っていた犬との出来事を思い出した。


『お手』とか『お座り』とか、芸が出来たときすごい褒めたっけ。


「おぉ、よしよし!頑張ったな!よーく頑張った!エメは誰にも負けないくらいすごく頑張った!」


とりあえずエメラルダの髪をグシャグシャにしながら、頭を撫で回した。犬にしたときと同じように。触り心地のよい滑らかな髪が指に絡む。


「満足です!」


再び顔を上げたエメラルダはそれはもう満面の笑みだった。呼吸を荒げて興奮ぎみに。


「リュート様の提案、乗らせていただきます!」


「本当か!?」


「はい!」


エメラルダの中でいったいどんな葛藤があったのか分からないが、何はともあれ結果オーライ。ちょうどタイミングよく猿の咆哮が囲っていた竜巻を吹き散らした。


「こんなにも早いとは!」


まだまだ未熟ですね、とエメラルダは苦笑いをこちらに向ける。


「エメ。言った通りだ!これに全てをかける!」


「はい!」


エメラルダは猿に向き直り、剣を構える。エメラルダの極めた剣術にはない上段の構え。


「それでいけるんだな!?」


「なんとなく、これが一番可能性が高い気がします!」


確かに理に叶っている。『荒れ狂う斬撃(テンペスタ・ラーマ)』を収束させるには余分な気流を生み出してはいけない。それを実現するには考えうる限り、最低でも二つの条件がある。


一つは正確な直線で剣を振ること。これは簡単な話だ。線が歪めば、それだけ気流は分散する。


もう一つは速度。例えば、水面を斬ったとき刃が通った空間には一瞬で水が流れ込んでくる。その流れこそが余分なものであり、それは空気も変わらない。だから、それよりも早く剣を振り抜き、風の刃を完成させる。


この二つを加味すると、上段の構えから振り下ろすことは理に叶っている。何せ物は真っ直ぐ落ちるから。物は落ちるとき加速するから。剣を振るときそれらの道理の恩恵が受けられる。


だが、気になるのはエメラルダの『なんとなく』という言葉。


「なんとなくって!?」


「なぜかこれならいける気がするんです!シュバッ、っていけばいいんですよね!シュバッ、って!」


ここにきてまだ驚かされることになるとは思わなかった。エメラルダの言葉を信じれば、感覚だけでその構えにたどり着いたことになる。おれはどうしようもなく思ってしまう。


天才って恐っ!


だが、味方に恐れ戦いている場合ではない。


『面白い!その()()の構え、()()のつもりか!』


猿は未だ本気を出していない。油断をしているわけではなく、単におれたちを試しているだけなのだろう。


エメラルダの上段の構えに対して、真っ直ぐ突っ込んでくる。


「ふぅ。いいことを思いつきました。」


エメラルダは剣を構えたまま、瞳を閉じて剣に魔力を宿す。『すべてを懸ける』という言葉通り残る全ての魔力と集中力をたった一振りに注いでいる。おれは自分の回復に回していた魔力を全てエメラルダの剣に向けた。


情けないが、今のおれに出来ることはこれだけだ。後はエメラルダに()()しかない。


そう思った瞬間、奇妙な感覚を覚えた。何かが内から殻を破るような、そんな感覚。同時におれの中にあった魔力は超速と呼ばれた生成速度を超え、莫大な量の魔力がエメラルダの剣に宿った。


猿は目前。この距離で外すことはないだろう。最後の一騎討ち。


「参ります!『荒れ狂う斬撃(テンペスタ・ラーマ)朱刃(しゅば)』ッ。」


これまで、魔力は無数に分散し風の刃を成していた。だが、この一振りだけは全ての魔力を消費してたった一つの刃を作りだした。威力は通常のものとは桁外れ、比べること自体が間違いなほど強烈だった。


振った剣は、ついぞ眼では追えなかった。エメラルダがいつ振り下ろしたのかわからない。ただ、エメラルダを囲むように足元で風が起こったのだ。


剣の先には動きを止めた猿。そして、凹凸のない断面を見せる割れた大地。エメラルダを起点に、広間は真っ二つに裂けていた。


猿は身体の中心から二つにずれ始めたかと思うと、倒れる前に薄く濁った煙を放ち見えなくなった。


もっとグロテスクな光景を想像していたため、その様を見なくて済んだのには安堵した。


「おっと・・・。」


エメラルダは見るからに全身から力が抜け、その場にへたりこんだ。


おれはその隣まで歩み寄ると彼女はおれを見上げ『褒めてください』と力なく微笑んだ。


「あぁ、本当にとんでもない一撃だった。」


おれは不遜と知りながらも、へたりこむエメラルダの頭に手をおいた。ここまで散々彼女に頼ってきたおれに、褒める資格なんて毛頭ない。だが、彼女が望むのであればそうしてやるのがおれが果たすべき義務だろう。


「自分でも驚いています。」


「これはエメが何千、何万回と剣を振ってきた証だ。誰が何と言おうとおれが保証しよう。実際に見てきた訳ではないけどね。」


「はい・・・先生。」


「うん?え?今なんて?」


それなりに良いことを言った自負はさておいて、突然の先生呼び。これが驚かない訳がない。エメラルダが何を思ってそう呼ぶのか、皆目見当もつかなかった。


「貴方はボクの先生です。」


「いいえ、違います。」


「先生と!呼ばせてください!」


「ねえ、聞いてる!?違うんだけど!?」


「なんですと!?」


なんですと、じゃない。全く意味がわからない。何も教えたことはないし、これから先も何かを教えることはないだろう。先生と呼ばれる謂れは一切ないのである。


「先生はボクを生徒と認めないと仰るのですか!?」


「違う。おれはおれが先生であることを認めてないと仰っているんだ。」


「ははは。またまた、ご冗談を。先生が先生でなければ何だというのです。」


「何だと言われれば・・・。何だろう。あれ、もしかしておれは先生なのか?」


「当然です。」


先生という言葉のゲシュタルト崩壊。混乱と疲労のせいで、まぁいいか、なんて気持ちになる。


「そうか、おれは先生なのか。」


「はい!」


後から思い返すと、このときのおれはなんとアホだったのだろうか。先生という響きに気分をよくし、既に考えることを放棄していた。


『いやぁ、実に見事だ。あの身体を真っ二つにするとはな。分身だけに。』


聞き慣れない甲高い声。ぎょっとして煙に眼を向けると、うっすらとシルエットが浮かび上がった。影は濃くなり輪郭をはっきりさせる。


自分の身の丈の半分くらいしかないそれは、紛れもなく猿だった。

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