35話 神獣の力
間抜けな叫びとともに迫ってくる巨大な蹴鞠。回避し続けても一向に止まる気配がない。
このままでは体力だけがジリジリと削られていく。遠ざかる足を止め振り返った。戦鎚を握る手に力を入れる。
「リュート様!?何をっ」
「このままではらちが明かない。打ち返す!」
地面を強く蹴り、空中から回転しながら落ちてくる猿を迎え撃つ。
『真っ向勝負、大いに結構!』
「おおおおお!」
衝突の瞬間、戦鎚の頭部にありったけの魔力を込める。丸まった猿の大きさには届かないが、衝突面が直径二メートル程度まで大きくなる。
『なに!』
猿の少し焦った声。次の瞬間、教会にある大きな鐘のように重く透き通った音が闘技場に響き渡る。
刹那の拮抗。だが、猿の回転は勢いを増し、直に押し返される力が上回り戦鎚が弾かれた。
『ぬん!』
「全然効いてない!?」
「いえ、軌道は変えられています!」
エメラルダにとっては称賛の言葉だったのかも知れないが、おれにとってはかなりショックだ。今の手応えで軌道を変えるので精一杯とか・・・。
結論、真っ向勝負には無理がある。あの猿の攻撃は戦鎚の威力を遥かに上回り、エメラルダの刃を通さないほど守りが硬い。
「なら、やれることを全部試さないとな。エメ!詠唱の間はおれが守る!拘束魔法いける?」
「承知っ!」
エメラルダは足を止め、仁王立ちしたまま目を閉じる。体の脱力、極度の集中をもってして初めて成せる魔法。この間は外部からの攻撃に対して、あまりに無防備。
『そんな隙を見逃すと思うか!好きにはさせんぞ!』
猿は目を閉じているエメラルダに向かって跳び上がる。空中で回転を増やし急加速した。
「させ・・・ない!」
今度は真っ向から打ち返すのではなく、軌道を変えるために横からの一撃。エメラルダが集中するための時間を稼ぐ。猿は何度もエメラルダに向けて攻撃を仕掛けるが、その全て側面から叩き軌道をねじ曲げる。
エメラルダは大きく息を吸うと詠唱を始めた。
「叩き、交えて、紡ぎ出せ。風の索は枷となりて、汝の四肢を絡めとる。不動の契り。足掻きの末路は絞首の苦悶。締め上げろ。」
詠唱と共にエメラルダの中を巡る魔力が右腕に絡みついた。エメラルダは猿に向けて手をかざす。それに合わせておれの魔力もエメラルダに流し込んだ。
「『縛風』」
エメラルダにまとわりついた魔力が消え、突風が起こる。風は砂ぼこりを上げて、さながら蛇が獲物を追うように爬行しながら猿を目指す。そして・・・。
『なに!?だが、こんなもの!』
風は跳び上がった猿の足を捉えた。猿が無理やり風を剥ぎ取ろうと回転する度に、その動きで生じた風がさらに猿にまとわりつく。
相手が巨体であればあるほど威力を発揮する拘束魔法『縛風』。ドラゴンの羽ばたきや巨体が生み出す風すらも拘束具へと換えるその魔法は、あの猿にとってもどうやら有効なようだ。
『ぬぁんだとぉおお!』
やがて猿の回転は空中で止まり、自由落下の後に地面に激突した。
「ひとまず動きは止めれたか。」
本来であれば、ここで追い討ちをかけるのが定石。だが、何せ今相手をしているのは幻想種をも越える神獣だ。これで終わったなどとは到底思えない。
思った通り、砂塵の中に猿の影が浮かび上がる。その足取りは決して軽やかとは言えないが、少なくとも全身を拘束魔法で縛られている状態とは思えない。
『重石を全身に巻きつけたような感覚。おお、いいわぁ。太古の大岩ほどではないがな。ガッハッハ!』
「怒らせてしまったようです!」
やっぱり猿の声はエメラルダには届いていないのだろう。間違いなく猿は怒っていない。まぁ、確かに声が聞こえないと威嚇しているようにしか見えないか。
「大丈夫。魔法は効いてる。あの回転攻撃を仕掛けて来ないのがその証拠だ。」
「だといいのですがっ!」
猿はお構い無しに跳びかかってきた。回転はせずに長い腕をしならせて、巌のような拳を叩きつけてくる。それでもその威力は軽々と地面を割るほど。
おれとエメラルダは猿から大きく距離をとった。
「『 旋裂の暴風』なら効くと思う?」
「いえ、正直『縛風』を受けてあれだけ動ける敵に有効とは思えません!」
であれば、それより下位の魔法など無駄打ちになるのは見えている。今あるカードであの猿に対抗するにはどうしたらいい?
「しまった!」
考え事をしていたせいで反応が遅れた。猿は拳を直接叩きつけることを諦めたのか、その大きな掌で地面の土をつかみ投げつけてきたのだ。大量の土に視界が塞がれる。
気づいたときには遅かった。一瞬で側面に回り込んで来た猿は平手でおれをはたいた。
地面を抉るほどの力を一身に浴び軽々と飛ばされる。一秒とかからない内に闘技場の壁に叩きつけられた。
「がはっ!」
「リュート様!」
一発でわかる。体の損傷が酷い。追撃されれば間違いなくおしまいだ。
『荒れ狂う刃』
エメラルダは間髪入れずに猿に放つ。だが、強化されていない彼女のそれでは猿の毛を逆立てるのが限度。
それでもエメラルダは無数の刃を放ち続ける。その目的が、おれが回復するための時間稼ぎなのは誰の目にも明らか。
それは猿も承知の上。エメラルダを無視し、先におれを片付けようと歩みを止めない。
彼女は股を潜り、腕を駆け上がる。様々な場所に刃を通そうと試みるも有効部位を一つも見つけられない。
この戦いを見ている者のほとんどは既に勝負ありと判断しただろう。当のおれも今の一撃で意識を半分持っていかれた。目の前の絶対的な力に勝てる未来が全く見えない。
視線を上げると心配そうにこちらを見つめるエリスとアサヒ。目を少し移せば、北の座ではハル姉がこちらを見ている。
そうだよな。こんなところで諦める訳にはいかないよな。
この選定を通過して何がなんでも特務部隊に入隊する。そして、必ずハル姉を守る。動けないならちょうどいい。猿に有効な手立てを少しだけ考えよう。
全力で魔力を治癒に回しながら、頭をフル回転させる。
彼女のもつ最大火力は『旋裂の暴風』と『荒れ狂う刃』。このうち彼女の体感からして、恐らく前者は効かないだろう。試してみてもいいが、彼女の残存魔力が心許ない。後者ならばおれの強化込みで薄皮を傷つけられる程度。
あぁ、寝不足が祟ってか全く手段が思い浮かばない。エリスから往復ビンタをもらった頬がまだ痛む。
もし、今回の相方がエリスだったら・・・。
ふとあり得ないことを考えてしまった。エリスと一緒だったらどうやって立ち向かっただろうか、と。
その瞬間、脳裏を過るのはかつての記憶。ヤマタノオロチとの一戦。エリスが放った魔法と剣術の合技。一刀必殺の高火力魔法『雷刀・凪一文字』。
「あ・・・。」
ピシッと脳に刺激が走った。猿と渡り合う手段を一つだけ思いついてしまった。だが、回復するための時間が圧倒的に足りない。そして、この方法をエメラルダに伝える手段もない。
「エメ!『旋裂の暴風』だ!」
「ですが!」
叫ぶと身体に響いてとんでもない痛みが伴う。
「頼む!もうそれしかない!」
「・・・っ!分かりました!」
エメラルダは僅かに逡巡した後、詠唱に移る。
『ほぅ。それが童どもの奥の手か!』
エメラルダがこれまでで一番魔力を収束させた。これが最大の攻撃手段だと理解した猿は掌で胸を打ち彼女を挑発する。
詠唱を終えたエメラルダはその手を猿に向けて唱えた。
「捻切れ!『旋裂の暴風』!」
暴風が猿を囲むように渦巻き、砂ぼこりを巻き上げながら猿の姿を完全に隠した。急激な上昇気流により黒い雲を生み出し、所々で稲妻が発生する。
闘技場に現れたのは紛れもなく嵐そのものだった。風が吹き荒れ閃光が走る。嵐の中では、猿は叫んでいた。
『ガッハハハ!なんじゃい、この程度か!そよ風で我を包んで如何とする。』
猿は大きく息を吸うと本物の咆哮を放つ。
「グワャァァア!」
雷を伴った黒い竜巻は一瞬にして散り散りとなった。上空に生じ始めていた雨雲まで波紋のように分散していく。
「こんなにも早いとは!」
エメラルダは渾身の一撃がいとも簡単に破られて動揺が隠せない。
これが神獣の力か。咆哮の一つで天候まで変えられるとか正真正銘の化け物としか言いようがない。
こんなものを相手に人間二人でどうにかできるものなのだろうか。それに、やはりおれの回復は間に合わなかった。
万事休す。
誰の目から見ても明らかだった。おれたちを除いては。
「エメ。言った通りだ!これに全てをかける!」