2話 力の胎動
あれから数日、おれは魂が抜けたように空を眺めている。まさか断られるとは微塵も思っていなかったため、その分ショックも計り知れない。
「キライ、キライ、キライ、キライ…。あれ、おかしいな。どれだけ花占いをしても最後の一枚がキライになるんだけど。やっぱりハル姉はおれのこと嫌いなんだ。」
「落ち着いて、リュート。選択肢がキライしかないんだもの。必然よ。」
シスターが涙目のおれの肩に手を置いて慰める。
「でもさ、シスター。嫌いって言われたのに勝手に好きを混ぜて占うわけにはいかなくない?」
「もう!なんでそこだけ律儀なのよ。その律儀さをもっと前から発揮しておけば…。特訓にかまけている間、一度もあの子に声をかけなかったんでしょう?」
「ぐぬっ。…はい。」
シスターの指摘は図星もいいところだった。これまで彼女の力になるべく精進はしてきたものの、未だにあの日のことを謝れていなかった。
バカか?バカなのか?お前の頭に脳ミソははいっとらんのかい、と壁に頭を叩きつける。
「ちょっと、血が!」
「いいんだ。こんな中身空っぽの頭は一度カチ割っておいた方が…」
「そうじゃなくて壁に血がつくでしょ!」
あ、そっちか。とぼやいて頭から流れる血を止めた。シスターも治癒術にずいぶん慣れたなと過去を振り返る。少し前までは小さな怪我でも心配はしてくれてたっけ。
「それで?ハルちゃん、本当に嫌いって言ってあなたの同行を断ったの?」
「うん、それは間違いない。き、きら、嫌いな人間は連れていかないって…。」
「それ以外は何も言ってなかった?」
「それ以外って…。」
嫌い、という言葉で記憶がほとんど吹きとんでいたが他にも何か言っていた気がするな。血が流れて少し冷静になった頭で思い出す。
「…。あ、言ってた!」
それは神からの啓示のように、脳内でハル姉の声が再生される。
「『自分の身も守れないのに、迷惑なだけよ』って。」
「そう。それなら次にあなたがやるべきことはわかるわね?」
おれは黙って頷いた。そうと分かれば一分一秒も惜しい。どうしたらいいだろう。どんな力をつけるべきだろう。わからない。わからないが、
「とりあえず森に行ってくる。」
「無茶はしないようにね。」
「ううん、シスター。無茶は絶対にすると思う。だって、勇者を助けられる人間にならないといけないんだから。」
「はぁ、そうよね。あなたならそう言うわよね。なら言葉を変えましょう。絶対に死なないように。」
☆
おれはひたすら山に籠って小型の魔獣と対峙した。攻撃する手段はもっていないため、観察、回避、離脱を何度も繰り返した。
時には木に叩きつけられ、横腹を裂かれながら、その度に治癒を施して逃げ延びた。たまに大きな魔獣に見つかって危うく命を落としかけたが、今もこうして生きている。
三ヶ月もそんな生活を続けていれば、気づいたことの一つや二つはあるというものだ。
一つは、痛みや疲労、眠気などで集中力が落ちると治癒の効率が下がること。普段では完治が一秒にも満たない傷であっても、十秒から長ければ数分程度かかるまでに効率が落ちてしまう。
もう一つは、しばらく魔物の動きを見ていると、わずかに先の動きを予測できること。ほとんど無意識だが、その直感に助けられる場面も少なくはなかった。
課題は集中力を持続させることと先読みを直感に頼らないこと。特に前者はなんとしても早く解決しないといけない。
「は?この程度の傷を治すのになんでそんなに時間がかかるの?舐めてるの?キライ。」
あぁ、見える。ハル姉に蔑んだ目で見られながら、クビにされる未来が見える。そんなのだめだ。蔑まれるのはいい。だが、クビにされては元も子もない。
よし、集中力をつけよう。
「ムリ!痛ったぁ!」
「ムリ…。ねむい。 」
「はぁ、はぁ。ム、ムリだ、はぁ、はぁ。」
さらに三ヶ月、過酷な特訓を続けた。食べると強烈な腹痛を引き起こす毒草を摂取した。
二、三日眠ることなく特訓を続けた。
何時間も全力で走りこみをしてから治癒を試みた。
だが、どれも上手くはいかず、どうしても効率が落ちてしまう。人間である以上、集中力を切らさないというのは無理な話だったか。
『じゃあ、どうする?諦める?』
自分に問うてみる。脳内のハル姉ボイスで。
「…諦める。」
それが結論だった。ハル姉に問われてもなお出来ると思えないのだから、それは出来ないのだ。
だが、『諦める』というのは集中力を持続させることを諦めるだけ。効率を落とさない、ということを諦めた訳ではない。極論、集中していなくても治せてしまえば良いのだ。
あと、半年。孤児院で面倒を見てもらえるのは十五歳まで。十五になったら、おれはハル姉のいる王都に行く。それまでにここで出来ることは全てしていこう。
☆
これまで一歩ずつ着実に力をつけてこれていたと思う。だが、これほどまでに劇的な進歩は今後ありえないだろうと思える転機は突然にやって来た。
何がトリガーとなったのかわならない。身体を痛めつけるような特訓が実を結んでいるのだとしたら報われた気持ちにもなる。
その日、いつものように森で特訓しているときにふと気がついた。
「うおっ、なんだこいつ!」
いつの間にかおれの左肩に耳の垂れたウサギが干されていた。乗っているのではない。干されているのだ。手にも脚にも力はなく、白いタオルのように肩にかかっている。
どこからどう見ても、何度見ても動物である。だって、目が合うし。驚くことに重さはまるでない。触れている感覚もない。違和感があるとすれば肩が少し温かいくらいだ。
「え?いつから?」
尋ねてみたところで当然返答はなし。さも、『いつも通りですが何か?』とでも言っているかのようにキョトンとした表情をしている。視線をはずすとウサギも視線を反らす。再び見るとウサギも目を合わせる。
改めてもう一度言おう。なんだこいつ。
退かそうと摘んでみるが、指は空を切る。撫でようとしても触れる感覚はない。押さえつけてみても、すり抜けて自分の肩に触れるだけ。
特に悪さをしようとしている様子もなく、ただそこにいるだけの存在のようだった。どれだけ動いてもずり落ちないそれは、気持ちかわいい気がしたのでしばらく様子を見ることに決めた。決めたのだが…。
「やばい!なんで今日はこんなに魔物が多いの!?」
一本角の獣『モノホーン』、『人喰いコウモリ』、『火熊』などなど大型魔獣がひっきりなしに襲いかかってくる。こうも次から次へと遭遇してしまっては、このウサギに原因を求めてしまっても不思議はあるまい。
「お前か、お前が呼んでるのか!?」
ウサギを見ると片目だけ瞬きしたような気がした。いや、きっと気のせいだ。気のせいに違いない。
『逃げてばっかりいないでさぁ、反撃の一つや二つしてみたら?』
なんて言う、小粋なジョークを聞かされた気分だ。
無理を言わないで欲しい。反撃も何も、こちとらその術がないのだ。剣の才能もない、魔法の適性もない。だからこうして治癒術士を目指しているというのに。
「…っ!」
少し気が抜けた瞬間だった。後ろからザックザックと地面を抉る音が聞こえてきた。
振り返るとモノホーンが立派な一本角をギラつかせながら、前足で地面を抉っている。まさに突進数秒前の姿勢。やつの突進速度は一秒で20mの距離を縮めるほどと聞く。 しかも初速で、だ。
気づいたときには遅かった。ボワァ、という短く鈍い鳴き声と共にモノホーンはスタートをきる。魔法で急に大きくなったのかと錯覚した。瞬時にして全長ニメートルの巨体が眼前に現れる。
大岩を投げつけられたようなとてつもない衝撃に襲われた。痛みは感じなかった。全身の骨が砕け、肺が潰れて呼吸が止まる。
時間にすればおよそ一秒にも満たない時間。おれにとっては永遠の時間をかけてミンチにされているような感覚だった。
幸か不幸か意識を保ったまま宙に放り出され、受身も取れず地面に叩きつけられた。
ヒュー、ヒューと細く掠れた耳障りな呼吸音だけが、やけに印象的に耳に残る。モノホーンがおれを喰うために近づいてくるが、身体はピクリとも動かない。身体の動かし方さえ忘れてしまったみたいだ。
これほど大きな怪我を負ったのは初めてだ。だがこれは治す、治さない以前の問題だ。思考がままならない。意識が飛んでいないことが不思議なほどの重傷。
こんなところで死ぬのか。まだ、おれは何もしていないのに。
他人事のように死にゆく己を思い浮かべながら眼を閉じた。
昔、ハル姉に抱きしめられた時のことを思い出した。聖剣に選ばれなかったときの絶望を思い出した。初めて治癒に成功したときの感覚を思い出した。ハル姉に酷いことを言ってしまったときの、彼女の悲しい顔を思い出した。そして、そっと眼を開く。
死ねない。こんなところでは死ねない。動け。動け。まだ、ハル姉に謝ってないだろ。おれは特別なんかじゃない。奇跡は起きない。考えろ。どうすれば生き残れる。どうすれば身体が動く。力が入らないこの身体をどうすれば…!
ピシャリと、『力が入らない』という言葉に脳が反応した。魔力は生命力に変換することで、傷を癒すことができる。もしそうなら、果たして可能だろうか。魔力を『動くための力』、即ち筋力に変換することが。
身体が熱くなる。動け。動け。動け。
???「人喰いコウモリは翼を開くと全長10mくらいあるぞ。顔の大きさは人間の顔の4倍くらいだ。火熊は怒ると身体に炎を纏うぞ。」