28話 急転直下
王立闘技場は国が運営する円形の巨大な闘技場。そこでは年に一度、騎士団の序列を決める闘技大会が行われるのだが、勇者の登場、もとい特務部隊が成立してからはメンバーの選定するステージとしての役割が大きくなった。
その広さと言ったら、アカルージュ邸がすっぽりはまって余りある広さだ。
円形の広場から北を見上げると三つの玉座が並んでいる。真ん中に国王、向かって左にその妃。そして右に特務部隊隊長、つまるところハル姉が座るらしい。
偉い人は後から入ってくるらしく、選定の参加者から先んじて広間に集結しつつあった。
観客席は広間を囲むように何層にも広がり、関係者で埋まり始めている。その中にはエリスとアサヒ、さらに驚くべきことにムスッとしているフラムの姿まであるではないか。
おれは三人に向けて手を挙げた。こういう時、手を振り返してくれる人がいるというのはすごく心強いものだ。
「ああ、あいつだろ。噂の『ドM仮面』って。」
だって、広間はヒソヒソ話で辛いのだ。ハル姉の手前、仮面をとるわけにもいかない。背に腹は代えられない、の極致と言える。
「身の程を弁えずハルティエッタ様にプロポーズしたらしいな。それで速攻断られたとか。」
「いや、俺が聞いた話だと奴隷に志願したらしいが。」
耳が痛いな。帰りたくなってきた。そう捉えられても仕方がない言い間違えをしたのは確かなのだが。
「お前たち、もう少し正確な情報を手に入れる手段を考えた方がいい。正確には『おれはお前のものだ!』からの『とりあえずお断りします』だ。」
助け船かと思いきやこれだ。なんの脚色もない過ちが一番精神的にキツイ!叫びながら走り去りたい気分だ。
そこに、聞き覚えのある柔らかい声が飛び込んできた。
「君たち、良いのかな?他人を貶めて緊張を和らげたいのは分かるけど。品位を疑われてしまうよ。」
「メタンフォードっ・・・様!いいえ、私達はそんなつもりでは!」
「し、失礼しました!」
噂話をしていた騎士たちは思わぬ横槍に飛び上がって散っていった。去り際、『くそ、下級貴族が!』などと捨て台詞が聞こえるに、メタンフォードもなかなか苦労しているのだろう。
「メタンフォードさん!先日ぶりですね!」
「ん?君と会うのは初めてだと思うのだが・・・。」
仮面をつけているのに慣れすぎて、たまにその効力を忘れてしまう。仮面をずらして顔を見せる。
「あ、おれです!」
「おぉ、君か!すまない。全然気がつかなかった。」
「あ、これ正体を隠す呪術がかかった仮面らしいので、気付かなくて当たり前です。」
「へぇ、そんなものがあるんだ…。面白いな。あ、それと僕のことはフォードでいい。お互い何やら苦労してるみたいだから仲良くしよう。」
この前はいきなり敵対心を見せられて少し警戒したのだが、杞憂だったらしい。微笑む彼は、優しい人そのものだ。
「それにしても開始が遅いな。定刻は過ぎているのに。」
確かに。もうそろそろ始まってもいい頃だが特になんの指示も出ていないのが、どこか不安を煽る。
「ドローなんて、イライラし過ぎて名物の高速貧乏揺すりをし始めてる。」
メタンフォードの視線の先には、眉間に皺を寄せながら片足を異常な早さで振動させる男がいた。もはや残像ができるレベルの貧乏ゆすりから高い身体能力が窺える。今回の有力候補の一人、ドロー・メルフォンセだ。
知人が近くにいる安心感からやや緊張が解れ、周りを見渡す余裕が生まれていた。
そんな中、一際強い視線を感じそちらに眼を向けると一人の女性と視線が交錯した。艶やかな淡い緑の髪を後頭部の高い位置でまとめ、顔立ちは中性的で美形の部類。その腰には剣を携えている。
彼女はおれに向かって会釈をした。その流れるような所作は、常人とは一線を画していた。おれは一度だけあれに近いものを見たことがある。
「もしかして、あの女性がエメラルダ・ヴァンヴェールですか?」
メタンフォードに問うと、驚いた顔を見せる。
「凄いな。よくわかったね。」
「はい。一度だけセルヴェールを見たことがあります。なんというか、佇まいが少し似ていたので。」
「なるほど。そう言われるとそうかも。リュートはなかなかいい眼をもってるね。」
本心から言っているだろうその言葉に、単純ながら嬉しさを感じてしまう。それと同時に洗練されたエメラルダの所作にただただ感動していた。
だから視野が狭くなっていたのだと言われれば、なるほど、確かに頷ける。それほどまでに彼女の所作は美しいものだった。
だけど。だけど、さすがに。こんな変化に気付かないほど視野が狭くなっていたとは考えづらい。
「え?」
思わず声がでる。天変地異でも起きたのか。瞬きをしたほんの僅かな時間に世界はひっくり返った。
おれはいつの間にか王都の外にいたのだ。
「何でこんなところに?」
そんな疑問はすぐに消え去った。轟音が鳴り響き、ズシンと派手に地面が揺れる。それも立っていられないほどに。そして、絶句するほどの光景が目の前に広がっていたのだ。
王都の半分が山に潰されている・・・のか?いや違う。山を背負うほどのとてつもなく巨大な怪物が王都に侵入してきているのだ!
「きゃああああ!」
「逃げろ、逃げろ、逃げろおおお!」
王都の至るところで悲鳴と怒号が飛び交っている。
その巨大な怪物はドラゴンのような首を持っていた。そいつは大きく口を開くと、顎で地面を抉りながら人が密集している場所へ容赦なく近づいていく。
「やめろおおお!」
おれの叫びも空しく、砂を掬い上げるように竜の顎は人海を丸のみにした。数多の悲痛な叫びと共に人々は怪物の口の中へと消えていった。
まさに目の前にあるものこそ、人は絶望と呼ぶのだろう。
「なんなんだよ、これ!何が起こってるんだ!」
回りに一緒に試験を受けていた人は誰一人いない。それどころか、観客の一人としていない。おれだけが王都の外で一人佇んでいる。
あまりの衝撃に理解が追いつかない。夢でも見ているのだろうか。
答えは否だ。これは紛れもなく現実だと、体と心がそう訴えかけている。夢の中ではあらゆる感覚が曖昧なものになるのだが、自分が今感じている細やかな五感は紛れもなく本物だとわかる。
「はっ!ハル姉!ハル姉は無事か!?」
現実に起こっていることならばなおのこと、ハル姉の安否を確認しなければならない。
闘技場の位置を考えるとハル姉は怪物の近くにいるはずだ。なのに、怪物に対する恐怖心が足を絡めとり身動きが取れない。
『あんな化物どうしろって言うんだ。ハル姉ならきっと大丈夫だ。誰よりも強い勇者なんだから。』
そんな言葉が過ってしまった。おれは自分の頬を殴った。
こんな時こそ助けに行かないでどうする!
おれは何のためにここまで来たんだ!
ハル姉のために命を投げ出すくらいの覚悟を見せろ!
おれは自分を叱咤し、絶望にからめとられた重たい足で何とか一歩を踏み出した。
「は?」
気づくと再び選定の場所に立っていた。観客席の様子も特に変わりない。エリスとアサヒ、フラムの三人の姿を確認できたのに、安堵よりも何が起こったのかわからず不気味さが先立つ。
「今のは?」
「よかった。戻ってきたね。」
メタンフォードは特に変わった様子はない。だけど、他の参加者は違った。皆が一様に茫然自失と立ち尽くし、何もない宙を眺めている。その目に光は宿っておらず、生きながらにして死んでいるような虚ろな眼。
「フォードさん!今のは!?」
「恐らくだが、彼らはまだ幻覚を見せられている。僕たちは一足先に帰って来たというところだろう。」
メタンフォードはあくまで冷静かつ客観的に判断する。
幻覚を体験したことはないが今のがそうなのか?幻覚にしては感覚がリアル過ぎる。現に脚が震えて仕方がないのだ。今でも気を抜くと膝から崩れ落ちる自信がある。
「なぜおれたちだけなんでしょう?」
「いや、何人か戻り始めたな。」
見ると確かに、ドローとエメラルダ、後から何人か続くように意識を取り戻し始めていた。
「リュート、戻ってくる直前に何があった?」
「何も。おれは王都の外にいて、たくさんの人が巨大な化物に食われているのを見ていることしかできませんでした。でも、大切な人は絶対守らないと、と思って王都に戻ろうとしたところで。」
その言葉を聞いて、メタンフォードは呟きながら思案を巡らせた。そして、一つの結論にたどり着いたようだ。
「なるほど。つまり、幻覚から戻るトリガーは恐らく・・・。」
「こんなところでしょう。」
メタンフォードの言葉を遮るように黒子衣装を身に纏った長身の男がどこからともなく現れた。