23話 勇者の凱旋
「なぁ、聞いたか。」
「あぁ、聞いたぜ。勇者様の凱旋だってなぁ!」
「俺、未だに勇者様を見たことねんだよなぁ!噂によれば、えれぇ美人だそうじゃねえか。」
邪神教団の壊滅からしばらくして、ギルドでは久しぶりの勇者の帰還に湧いていた。どうやらハル姉のパーティに欠員が出たらしく、メンバーの補充が行われるそうだ。
「これは俺も張り切らないといけないぞお。」
そういうおれもテンションが上がっている。仮面で顔を隠してはいるがそわそわが止まらない。ようやくここまでたどり着いたのだ。何がなんでもメンバーに加わらなければいけない。
「ぐぬぬぬ、勇者と言えばリュートの想い人よね?」
突然背後にアサヒが現れる。
「うお!あの、いつの間にか影に潜むのやめない?心臓に悪いんだけど。」
この子、あれ以来ちょくちょくおれの影に潜むようになっていた。さすがに家まで着いてきている訳ではないが、一人で買い物をしているときとか急に現れるのだ。
『影踏み』は集中すれば感知出来るが、逆に言えば集中しなければわからない。意識していなければなおさらだ。さらに、最近は『影踏み』の練度も上がって、なおのこと感知が難しい。
「でも私、他に潜む宛がなくて・・・。」
「別に潜む必要なくない?ある?あ、そう。じゃあ、ほら。エリスとか?」
エリスは耳をピクつかせて、可愛らしく首を傾げた。状況が分からないまま、アサヒに向けて両腕を広げる。
「おいで?」
「うぅ!可愛いが溢れる!」
アサヒが訳の分からないことを言いながらエリスに飛びついた。
見た目の上ではアサヒの方が歳上に見えるのだが、実年齢は逆だ。関係もエリスがお姉さん・・・いや、獣人だから精神年齢は十歳だっけ?じゃあ、見た目通り?もう訳がわからない。
二人がじゃれているのを見ているとエリスの髪の隙間から耳が見えた。それは頭についている野性的な耳ではなく。人間と同じ位置、同じ形の耳だ。
長年の疑問だったのだ。普通の人の耳にあたる部分が、獣人ではどうなっているのか。何もないツルツルの状態なのか。その疑問が今、ようやく解消された。
「リュートがつれないの!」
アサヒは頬を膨らませながらおれを指差す。
「大丈夫。照れてるだけ。」
エリスがそう言ってアサヒを宥める。本当のことを言わんでよろしい。可愛い子に言い寄られると、正直なところ揺れそうになるのだ。
そんな緊張感のないやりとりをしている時だった。
「道を空けろお!」
一人の報せをきっかけにギルド内のざわめきはより一層大きくなった。ギルド本部は軽く千人は収容できるようになっているのだが今日はごった返してまともに歩くのも一苦労なほど。
冒険者のみならず、その家族までもが見物しに来ている有り様だ。
扉が開かれると、バターにナイフを入れるかのように人混みが二手に割け、入り口から受付まで一直線に道が出来る。
そこをハル姉を先頭に、グランとティーユ、後は顔も知らない人たちが数人ぞろぞろと歩き去っていく。ちらりと見えたハル姉はそれはもう美しかった。幼さを僅かに残しつつも、立派に大人の女性としての魅力があった。
艶やかな髪は輝くように。透き通った白い肌。若干膨らんだ胸部と括れが魅惑的な曲線を描いている!スラッと伸びた脚が。キリッとした表情が。軽やかな足取りが。エトセトラ、エトセトラ・・・。
やっと会えた。一年としばらくぶりの再会だ。これが嬉しくないわけがない。
だが、落ち着けおれ!ここで失敗すれば振り出しに戻ってしまうんだぞ!それどころか本当に詰んでしまう!え、この姿勢?クラウチングスタートですが何か?そんなことはどうでもよろしいのだ!落ち着かなければ、またハル姉に嫌われてしまう!
「リュート、落ち着いて。」
エリスが呆れたように見下ろしている。気づけば両手を地面につき腰を上げ、地面を蹴る足に力が入っていた。
「ん、んん!落ち着いているとも。本当に。」
誤魔化すように咳払いをする。手をパンパンと払いつつ、姿勢を直立に戻した。アサヒが変態でも見たときのような蔑んだ眼をしている。これは気のせいではない。
「これは末期ね。」
「もう手遅れ。手の施しようがない。」
アサヒとエリスの二人は視線重ねると、呆れたようにため息をついた。そんな病人を前にしたときのような反応は止めて欲しい。
「あ、でも妹枠ならあるいは・・・ありかも。」
アサヒが何をもってありかは分からないが、とにかくだ。ハル姉に話しかけに行くタイミングを見計らう。
だが、そんなタイミングは全然来ない。全くもって、話しかけられる雰囲気ではないのだ。
『あぁ、受付で依頼達成の報告をしている!』
『小さい子達と握手してる!』
『もうギルドを出ようとしている!』
見惚れている内に、ハル姉一行は次の場所に向かおうとしていた。次の予定は王に謁見するのだとか。ここを逃せば再び話しかけられる機会がいつになるかわからない。
人混みが分かれてできた道を、ハル姉一行は堂々たる歩みで通り過ぎていく。
あぁ、話しかけないと!でも、なんて話しかければ。本当に正体がばれないかな。行ってしまう!どうしよう!
迷いで一歩を踏み出せないおれを見かねて、エリスが後ろからものすごい力で押してくる。
なるほど。これが人間離れした身体能力の成せる業か。
などと冷静に分析している場合ではない。ちょっと待って。何を言うか考えてないんだって!
「あの、何か?」
そして、ついにハル姉の前に立ちはだかってしまった。ハル姉は少しだけ眉間に皺を寄せる。それもそのはず。いきなり仮面の男が道を塞いできたら誰でもそんな顔になる。
大丈夫だ。表情からしてばれてない。おれは『リューくん』ではない。リュート・ヒーロ、仮面の治癒術士だ。そう自分に言い聞かせる。
『おれを仲間にしてくれ!』
『おれの力はお前のためのものだ!』
事前に考えていた台詞が頭を巡る。その時、ふとシスターの言葉が脳裏を過った。
『まずは大事なことを言えるようになるのが先ね。ハルちゃんに気持ちを伝えないと。』
そうだ。おれはあの時のことをずっと後悔してた。会ったら必ず伝えようと思っていた。おれがハル姉のこと大嫌いな訳がない。おれはハル姉が・・・
「好きだ!おれをお前のものにしてくれ!」
おっと。色々おかしいぞ。言おうと思ったことがごちゃ混ぜになってえらい言葉になってしまう。
次の瞬間、観客達の反応は様々で爆笑する者、指笛を吹いて茶化す者、何が起こったか分からないが騒ぎに便乗する者で溢れ返った。
「坊主!いきなり出てきてプロポーズとは恐れ入る。だがのぉ、仮面をつけたままと言うのは些か礼を欠いているとは」
「待って、グラン。」
「お、おぅ。」
ヤバいヤバいヤバい!ハル姉、完全に怒ってる。ニッコリ笑った顔がなお怖い。こんな公衆の面前で辱しめを受けたのだ。ハル姉の後ろに般若の面が見える。勇将と呼ばれたグランでさえたじろぐほどの気迫。
「とりあえず告白はお断りします。」
とりあえずお断りされた。
「私は相手のことをよくも知らずに軽い気持ちで告白する人を軽蔑します。それに人はものではありません。故に貴方を私のものにするなんてことは絶対にありません。」
ああ、取り返しのつかない失敗をしてしまったようだ。
「そういう意味で言ったわけでは・・・。」
「では、どういう意味です?」
「えっと、その。ハル・・・貴方の力になりたくて。仲間にしてほしいという意味で・・・。」
必死の弁明も虚しく、ハル姉の気迫が増していく。
「貴方の噂は聞いています。知らないようなので教えてあげましょう。特務、いえ、私の仲間になるには条件があるのです。」
「条件?」
そんなもの聞いた覚えがない。エリスは興味がなかっただろうから知らなかったとして。おれの交友関係は極端に狭く、勇者の仲間になりたいと打ち明けた人はほとんどいない。必然的に条件に関する情報も入ってこないのである。
「はい。条件はたった一つ。貴族もしくは第一級冒険者であること。メンバーの選定はこの中から行われます。つまり、貴方はメンバーに入る資格すらないということですね。」
ハル姉から浴びせられる『軽蔑』という言葉ときっぱりとした拒絶の意思に、おれの心はとっくに折れていた。