20話 奇跡
『凍結監獄』
教会内部は冷気に支配された静寂の世界となった。カキア以外にこの空間で動ける者はいない。指先はおろか瞬きの一つも許されない。そして呼吸さえも。まるで、空間ごと固定されてしまっているかのようだ。
「終わりだ。君達はよく戦ったけど、まだ足りなかった。」
少し寂しそうに告げる。日暮れを報せる鐘がなり、遊びを終えて帰らなければいけない子どものようだ。
「この魔法は僕以外の全てを凍結させる。まずは動きから。そしてそれは、間もなく君達の意識にまで到達する。」
筋力強化をしてはみたが、1ミリも動けない。もはや力ではどうにもできない。だんだんと呼吸ができない苦しみが意識を奪いにかかる。確かに少しずつ思考も単調になっていく。考え事もろくにできない。
「発動条件は一つ。空気中の蒸気量が上限に至っていることだ。」
結界による空間の閉鎖。氷魔法の多発による気温の低下。水魔法の蒸発による水蒸気の増加。まさに全てがこの魔法を発動させるためにあったかのようだ。子どもじみた態度に完全に騙されていた。全て掌の上だ。
「もうそろそろ意識も保てなくなるだろう。これでお別れだ。あ、そうだ。どうせなら最期に、奇跡が起きるよう神にでも祈ったらどうだい?」
肺が空気を求めて胸に苦痛が。策を練ることもままならない。助けが来るという希望もない。本当に奇跡でも起こらない限り、この状況から脱する可能性はゼロと言っていい。おれだけならとっくに心が折れていただろう。
だが、その奇跡は既に起こっていたのだ。体に熱が灯ると、それは一気に全身を巡る。次第に体の外にまで流れだし凍った空間を溶かしていく。おれとフラムの周囲から新たな蒸気が上った。
「バ、バカな!何が起こっている!?」
カキアが今までになく取り乱している。仕留めるための大技を放ち、確かに決まった。誰がどうみても勝負は決まっていた。それなのに、予想外の何かが目の前で起き始めているのだ。
「何が起こってるんだ!?」
「はぁっ、はぁ…。何がと言われればそれは…。」
ようやく新鮮な空気を取り込むことができたことで、体が喜んでいるかのようだ。そして、呼吸を整えて渾身の皮肉を言い放ってやる。
「奇跡、かな。」
「馬鹿を言うな。こんなの奇跡でもなんでもない。お前が気づくのが遅いだけだ。」
フラムが悪態をつきながら拳をおれに向けて突き出す。これは拳を突き合わせればいいのかな。恐る恐る拳を近づけると焦れったそうにフラムから合わせてきた。なんだか初めての体験ですごく嬉しい。
「そうだ!この魔法を奇跡で抜け出すなんて馬鹿げている!どういうことだ!?」
焦りのあまりカキアが口調を荒げている。
「『与熱』だ。知っているだろう?」
火炎系初級魔法『与熱』。火炎系魔法を習得するときに最初に練習するだろう初歩的な魔法である。火を起こさず、特定の場所に熱を与える魔法だ。発動は簡単。出力調整もしやすいことから練習には最適だ。
「なんだと!?そんなもので上級魔法である『凍結監獄』を相殺できるわけないだろう!その程度では熱量がっ・・・。はっ、まさか!」
おそらく正解にたどり着いたのだろう。その『まさか』である。おれはフラムが『与熱』を発動させようとしていることを察知し、そこに出来うる限りの強化をかけたのだ。
空間を凍結する魔法に対抗して、熱による相殺という一手だった。
動くことも出来ず、呼吸すら許されないあの空間でそれを実行するには幾つかの条件がある。
まず術者が『与熱』を無詠唱で発動できること。治癒術士が発動者に触れなくとも『強化』ができること。そして、放熱量が空間ごと凍結させている『凍結監獄』を相殺できるまでに高められること。
「つまり、奇跡だよ。フラムとおれが揃ってここにいること自体がな。」
そしてそれは、努力をした者にのみ与えられる奇跡だ。おれはハル姉を助けるために、フラムはグレンに追いつくために。
動機は違えど、その努力がなければ今回のことは成し遂げられなかった。
「ふ、ふざけるな!そんなものでっ。そんなもので僕の魔法がっ!」
「『痺銃』」
激昂しているカキアに対して、凍結から戻ったエリスからの不意討ち。完全に意識の外にあった攻撃だったのか、呆気なくカキアに直撃する。当然、直撃したカキアは麻痺して身動きがとれなくなり、立場が丸きり逆転した。
フラムとエリス、そしておれが各々の顔を見る。『あれ?終わった?』と確認するように。十秒程度遅れてようやく実感が追いついた。
「終わったあぁぁぁ!」
緊張感から解き放たれたとたん、一気に膝にきた。その場で尻もちをついてしまう。
「まだ終わりじゃない。詰めが甘いぞ。最後まで仕事を果たせ。」
相変わらず無愛想な顔のまま、尻もちをついたおれに手を差しのべてくる。その手をとるとぐっと引き上げられた。無性に『いっぱーつ!』と叫びたくなる。
『おぉ、なんか戦友みたいだ!』
口には出さなかったが、その動作一つですごく感動してしまった。拳を付き合わせるのも、こうして体を引き上げられるのも初めてだ。
若干浮かれた気分になりながらも、言われた通り最後の仕事を果たす。司教カキアの捕縛だ。
着用者が魔法を行使出来なくなる輪状の魔道具『魔人の楔』。『三柱教』の柱の一つ、『叡智』の紋章が刻まれている。
自警団と騎士団のみに与えられているその魔道具をカキアの両手足にはめ、拘束具で縛った。
「何とかだね。」
その言葉に尽きる。この司教、とんでもない強さだった。事前の作戦では戦力になるのはアサヒとシンヤだけ、と聞いていたがとでもない。もし全員をまとめて相手していたら敗北は必至だっただろう。
「じゃあ、一旦出ようか。」
「待って。」
教会の入り口にエリスが佇む。その声から不安が伝わってくる。
「どうした?」
「出られない。」
「え?」
「ここ、まだ見えない壁がある。」
エリスは再度、その見えない壁をノックするように指の関節部分で叩いて見せる。
「カキア!」
彼は呼び掛けてもそっぽを向いて、無視を決め込む。
「もう話せるんだろ!?カキア!」
「うるさいなあ。そんな大声出さなくても聞こえてるよ。」
物凄く機嫌の悪い子どものような反応だ。
「なんとか牢獄っていうのを解いてくれ。」
「概念牢獄だ。」
被せるようにフラムが訂正する。
「ごめん、フラム。その概念牢獄って何?」
「本来、概念牢獄は伝説にしか存在しなかった魔法だ。だから僕も詳しいことは知らないが、今使えるのは勇者であるハルティエッタ様だけかと思っていた。」
少しだけ説明を聞いた。その名の通り概念としての牢獄。物理的な牢獄とは違い、出ることが不可能な半ば封印である、とのことだった。聞いても何がなにやらだ。
ハル姉ってそんなことまでできるんだ、などと驚いている場合ではなかった。
「どうすれば解ける?」
「わからない。だが、発動者であるこいつの言うことを信じるのであれば、こいつを殺す以外に方法はない。」
何の躊躇いもなく、何の感慨もなく。フラムは冷静にそう判断した。
「待った。もうカキアは戦えない。他に方法はないのか?」
フラムは黙って首を振った。
気になる点はもう一つある。どうして『魔人の楔』をつけているのに概念牢獄を維持できているのだろうか。おれたちには圧倒的に情報が無さすぎる。
「カキア。おれたちはお前を殺したい訳じゃない。この概念牢獄を解いてくれないか。」
「ククッ。あははは!お優しいことで。だけど、ムリなんだよ、一度発動すれば解除は不可能。僕を殺すしかない。さぁ、やってみなよ!」
殺せないと見るや、カキアはここぞとばかりに煽り始めた。『殺ってしまってもいいのでは?』と思わないでもないか、ぐっと堪える。
どうしたものだろう。カキアを殺すしかないのか?本当にそれ以外に方法はないのか?どうしておれたちが殺し合わなければいけないのか。
「あれ?なんだろう。この違和感は。」