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16話 失いたくないもの

追手は足音からして二人のみ。視認できた二人で間違いないだろう。手の内の知れない相手を、この細い路地で迎え撃つのは愚策。しばらく進んだ先にほとんど人通りのない広間がある。そこを接敵する場所と決めた。


わずか十秒あまり。正面で待ち構えていると、フードを深く被った人影が一人だけ姿を現した。


「で、どちら様かな?ファンの方なら喜ばしいんだけどね。本当に。」


「はっ、てめぇみたいな気色悪いやつにファンなんざいるわけないだろ。」


随分と辛辣に言い切ってくれる。男はここまで走ってきて息切れ一つない。相手からは、言葉から受ける印象ほど嫌悪を感じない。だが、嫌悪とは別に凄まじい殺気が向けられていた。人からここまでの殺気を向けられたのは初めてだ。さすがに気持ちの良いものではない。


「お喋りするつもりはねえ。俺たちのために死んでくれ。」


正面に立つ彼は動く素振りがない。と注意を向けた瞬間、背筋に寒気が走った。もう一人いるはずの敵の気配を直感で探知し咄嗟に頭を低くした。


「うそっ!今の避けるの!?」


もう一人は既に背後に現れ、おれの脛椎めがけて小刀を振り抜いていた。予想外な動きに驚きの声を隠せていない。女の子の声だ。


いつの間に後ろをとられたのだろう。


頭を下げたことで崩れたバランスを立て直すために、片手を地面につき筋力増加で跳ね退いた。


「ごめん、お(にい)。外した。」


「だからお(めえ)はとろいって言ってんだ。」


仕留められなかったと謝る小柄な敵に、おれはどうしてもあのアサヒの顔を思い浮かべてしまう。 声、体格、動き。どれをとっても昨日の彼女のままだ。


「まぁいい。殺るぞ。」


「『影踏み(オスクリタ)』」


二人は改めてこちらを見ると同時に動き出した。男が刃物を投げる。その瞬間、少女の姿が消えた。正確に言うなれば地面に溶けていった。次いで死角から襲い来る男の刃を受け流しながら、少女の居場所に注意を向ける。


唱えた呪文と今見た光景から推測するに、彼女は影に溶け込んでいる。集中すれば僅かな気配からおおよその位置は見当つくが、出てくるタイミングがわからない。かといって、そちらに注意を割き続けられるほど、男の攻撃を捌くのも易しくない。


刃はまるで意思を持った生き物のように、おれの動きに追従してくる。一瞬も気を抜けない。影の中の敵に気を張っている余裕がない。


「だったら・・・。」


強引に男から距離をとった。勢いのあまり、おれは着地でバランスが崩れる。その瞬間を狙って、背後に再び少女が現れた。今度は確実に攻撃を当てるために、小刀を突き刺してくる。


「バカ!罠だ!」


「え?」


そう。罠だ。男の方は気づいたみたいだがもう遅い。体を翻し後ろに放った回し蹴りは少女に直撃し、そのまま壁まで弾き飛ばした。咳き込む音が聞こえたが容態を確認している暇はない。


男に注意を戻したときには、既に刃物が目前に迫っていた。正確に眼球を狙う投擲。間一髪で頭を反らしながらバク転に移行し、体勢を立て直した。


「あっぶな。」


「ちっ、なんて反応速度してやがる!」


男は追撃をかけてくる。繰り出される攻撃にはエリス程の速度はなく、リーチもない。だが、人を仕留めるためだけに練り上げられた動きは、対人戦の心得がないおれにとってはこの上なくやりづらい相手だった。だからこそ、集中して相手をするには影からの奇襲を先に潰す必要があったのだ。


ただし一対一になったところで戦況が好転しないのも確か。相手を殺すための刃物に何の細工もしていないとは思えない。かすっただけで詰む可能性だってある。ジリ貧だ。攻めるに攻めきれず、回避し続けるので手一杯。


「で、あれば残す手段は無力化のみ!」


「何をごちゃごちゃとほざいてやがる!」


「はっ!」


上段の構えから振り下ろされる刃をその両側面から手のひらで挟み込む。正真正銘の白刃取り。失敗すれば今ごろ体から内臓がこぼれ出ていたところだ。


「なに!?」


男は無理やり刃を押し込もうとするが、筋力強化を侮ることなかれ。押すにしても引くにしてもこれ以上動かせると思わない方がいい。


「くそっ、とんだ化物じゃねえか。死んでくれよ!頼むから!」


目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。殺意、焦燥、懇願、安堵、そして蛇に巻きつかれた十字架の紋様と異なる人間の魔力。


力が拮抗する。その最中に男の視線は少女が叩きつけられた壁に移った。つられて視線をそちらに移して後悔した。そこに横たわっているはずの少女の姿がなかったのだ。


だが、どうすることもできない。この拮抗状態を崩せば刃を受けかねない。かといって、現状維持では影から出てきた少女に斬られるのは確実。


「こんなことなら、エリスに相談しておくんだった。」


口には出してみるが、初めからその気は更々なかった。こんな訳のわからない状況に彼女を巻き込めない。それにいちいち人に頼っているようではこの先、ハル姉の横に立つに相応しい人間にはなれないのも確かなことだ。


「本当にそう思う。でも、それがリュートだから。」


聞き慣れた声。いつもながらの落ち着いた声にどこか安堵を抱かずにはいられなかった。


少女は救援者の声に慌てて影から飛び出て来るが、エリスが上空から大太刀を振り下ろす。少女は辛うじて反応して小刀で受けるが、勢いを殺しきれずごろごろと転げた。


「エリス!なんでここに?」


「話はあと。」


その横顔を見てぞっとした。間違いなく怒っている。だが、その矛先は見据えている彼らではない。おれだ。


「くっ、仲間か!」


「退け。もうあんたたちに勝ち目はない!」


「くそ!俺たちは退きたくても退けねえんだよお!」


刃に入れる力が増すが、それでも刃が動くことはない。


『退きたくても退けない』という言葉と彼から流れてくる感情。それらが示唆するものは、即ち襲撃の失敗イコール死、という可能性だ。何かに強制されていなければこうはならないだろう。


「なぁ、お互い殺されるのは嫌だろ?」


おれは不意に男に話しかける。


「は?そんなの当たり前じゃねえか!」


「だったらよく聞け。」


小刀に入る力が微かに抜けた瞬間、刃を両手で挟んだまま、男の胸部を蹴り飛ばした。男は小刀から手が離れ大きく後ずさる。


「生きたければ退いてくれ!死にたくないんだろ?なら教会に帰って大人しく祈っていろ!」


男ははっとした表情のあと眉間に皺をよせる。明らかに迷っている。その直後、手のひらサイズの黒い球体を取り出しおれたちに向けて投げつけてきた。エリスがその球体を両断すると、中から煙が吹き出し場を満たした。


煙が晴れた頃には敵二人の姿は消え失せ、少女が転がっていた場所には花形の細工が散らばっていた。


「追う?」


「いや、無理だと思う。それにおれの考えが間違いでなければ、どのみちまた会うことになる。」


「わかった。そんなことより、リュート。正座。」


「はい・・・。」


恐い恐い恐い。今しがた死闘を繰り広げたばかりなのに、それを遥かに上回る恐怖が体を硬直させる。いきなり冷水を浴びせられたような気分だ。


「言いたいこと、わかる?」


わかります。散々一緒に戦ってきたのに、何の相談もなくこうして命を危険にさらしているのだ。きっと、とても不安にさせてしまったことだろう。


「はい。巻き込みたくなくて、何も言えませんでした。」


素直に告げるとエリスが特大のため息を吐いた。


「リュートのそういうとこ、良いところだけど嫌い。」


「面目ない。」


「私はもう仲間を失いたくない。仲間をなくすくらいなら死んだ方がマシ。」


それは暗に、おれが死ねばエリスも死ぬという意味だ。その眼は脅しでも何でもなく、本気でそうするのつもりなのだと物語っていた。


「リュート。もし、次に同じ事をしたら・・・」


「したら?」


自分が生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。エリスは大太刀を抜き、正座しているおれの肩に刃を当てる。


「達磨さんって知ってる?」


「ひっ!」


つい想像してしまった。脚も腕も切り落とされて身動きが全くとれないまま遂げる一生。背中が嫌に冷たい。


「もう絶対にしないです!ハル姉に誓って!」


「わかればいい。」


慌てふためくおれを眼下に見下ろしつつ、再度どでかいため息をついてエリスは太刀を納めた。


「あの二人のこと、話して。」


「わかった。ただ、これはフラムにも話したい。一度、自警団に戻ろう。」


エリスにとっての逆鱗に触れて、恐ろしい反面ここまで思われていることに嬉しさを感じていた。やはり、大事なことは言わなければいけないよな。


「エリス、ありがとう。」


「ん。」


エリスは少しだけ照れ臭そうに顔を背けた。



目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは兄の顔だった。頬に擦ったように黒い煤がついている。恐らく煙幕を使ったのだろう。段々と頭が冴えてきて、状況が理解できたところでつい言葉がこぼれる。


「失敗、したんだね。」


「あぁ。」


兄はこれから私達に待ち受ける運命を覚悟したように、低い声で唸るように返事をした。


「今からでも戻って殺そ?ね?」


兄は無言で首を振る。その顔は完全に諦めている顔だった。


「なんで!?このまま戻っても殺されちゃうだけだよ!だったら相討ち覚悟でも殺しに行こうよ!」


「ダメだ。」


「ねぇ、なんで!?」


兄は顔を歪めるだけで無言で俯いた。こんな兄は初めて見る。


「もう、戻ろう。頼むから最後くらい言うことを聞いてくれ。」


再び兄の口から出た言葉は、今まで皮肉ばかり言っていた人のものとは信じられないくらい痛切だった。


あぁ、今晩にでもあの司教に殺されてしまうのだろう。心のどこかで、またいつか王都のあの人に会えるかもと思ってはいたが、もう叶いそうにない。


ふと右手首を見ると彼からもらったブレスレットはなくなっていた。その瞬間、私は心のどこかで生きることを諦めてしまっていた。


ゆっくりと時間をかけて教会に戻ると、月明かりを背に司教は壇上で待ち構えていた。


「失敗したね?」


この世にこれほどおぞましい笑みがあるのだろうか?そこにいるのは、もはや司教などではなく死を宣告しに来た死神だった。

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