14話 狂気
薄暗い教会の中。外から溢れてくる月の光と小さく揺らめく蝋燭の灯火だけが光源になっている。
壇上には一人の男が立ち尽くしていた。
「こんな時間に呼び出して悪かったね。」
男は慈悲深い声で信徒の三人を迎え入れた。
「いえ、司教様のご用命ですので。」
「私どもはいついかなるときも馳せ参じる所存でございます。」
「それでは、順にご報告をさせていただきます。」
三人は祈りの言葉を口にするようにそれぞれの仕事ぶりを男に報告した。
「なるほど。暗殺は付き人の騎士に阻まれて失敗。そして、首都の彼は捕縛されてしまったと。呪具はどうなりましたか?」
「はい。恐らくは自警団の管理下かと。ただ、噂ではありますが、ギルドに奇妙な仮面を着けた治癒術士がいるとの報告も受けております。」
「ふむ。わかりました。あなたはそのまま調査を続けなさい。もうよいです。後の二人はもう少しお話がありますので残っていてください。」
「はい。それでは失礼します。」
報告をしに来た一人は体を翻し、教会を出ていった。
「それではあなたたちにはこれを。」
グチュ。
静寂の中で、生々しい音が響く。
「あの、これは?」
信徒は左胸に突き刺さったナイフを見下ろし、不思議そうに司教の顔を見返す。
「あなたは次の世界に先立つ権利を得られたのです。教えに従った結果です。誇ってください。命を克服した存在になるのです。」
「はい・・・。ありがどうございます、ごふっ。ありがどうっ、ごばいばず。」
信徒は口から血を垂らしながら、笑顔のまま後ろに倒れた。
「あなたもです。」
「はい。ありがとうございます。」
司教はゆっくりと確実にナイフを心臓に突き刺した。信徒は苦痛の表情を浮かべることもなく、ただただ笑みを崩さずに受け入れていた。
二人の笑顔の死体が漏れた月の光に照らされている。
「二人の魂が正しき道を歩まんことを・・・」
司教は肩を震わせて、醜く愉快に顔を歪ませる。
「っくく。ぷっ。ぎゃっははははは!馬鹿だ!馬鹿だこいつら!次の世界に、って。そりゃあの世だよ!何故気づかない!」
先刻まで司教だった男は腹を抱えて二人の死体を嘲笑う。
「シンヤ、アサヒ。」
「ここに。」
一切の狂いのないピタリと合った声と同時に、黒い衣装の二人が姿を現した。
「そのゴミ、捨てといて。」
「御意。」
死体を見てもなお、二人の息は相変わらず乱れない。
「あとシンヤ。」
司教は乱暴にシンヤの胸ぐらをつかんで耳元で囁きかけた。
「そろそろ無能を見るのも飽きてきた。」
冷徹なんて生温い。その言葉は死刑宣告と大差ない。暗に、次にしくじれば待つのは死のみだと理解させられる。
「勇者どもはもういい。王都に仮面を着けた治癒術士がいるらしい。仮面と一緒に首を持ってこい。」
「かしこまりました。」
追い込まれた獣ほど恐ろしいものだ。シンヤはまさに、それのように眼光を鋭く光らせた。
☆
今日は久しぶりの王都。だが残念なことが一つあった。この兄さえいなければ楽しい楽しいお使いになっただろうに。
「わかってるのか、アサヒ!」
「わかってるから!仮面の男を見つけたら捕縛でしょ!?仮面は捕縛、仮面は捕縛、仮面は捕縛!はい、これでいいでしょ?」
「ったく。」
シンヤは一つ年上の兄だが、これがまた嫌らしいやつなのである。仕事ではあと少しで私が仕留められそうな獲物をいつも横取りして『早い者勝ちだ』とか『とろとろしてる方が悪い』だの嫌味ばかり。加えて普段から『足運びがなってない』だの『避けるのが遅い』だの、いちいちうるさいのだ。
「じゃあ、お前は・・・って、アサヒ!」
「わかったからー。手分けして探した方が手っ取り早いでしょー!どうせ、相手は治癒術士なんだしー!」
「ったく、本当にしょうがないやつだな。」
最後にシンヤが何か言っていたが、既に聞こえないところまで離れてしまう。どうせ嫌味しか言っていないだろうし。
「さぁ、自由だー!仮面の人はいっないよねー?よし、服見よう!」
王都はやはりあの教会周辺と違って賑やかで華やかだ。綺麗な花屋にお洒落な服屋。家具や装飾品のお店まで。どこもかしこもきらびやか。
「あぁ、素敵。これでボーイフレンドの一人でもいれば最高なんだけどなぁ。ま、ムリだよね。」
そう。私があの仕事をしている以上、そんな贅沢なものは望めない。だってそうでしょう?他人の命を奪っておいて、自分は幸福な人生を送るなんて。
「なぁ、そこの嬢ちゃん。俺たちと遊んでいかねえか?」
「これってナンパ!?やだなぁ。どんな人かし・・・はぁ。ムサい男ばかりだわ。」
「何か言ったか嬢ちゃん。」
「ううん。何も!」
「どうだい、俺たちと。」
「ごめんなさーい。これから用事あるの。」
「少しだけでいいからよぉ。」
強引に脂ぎった手で私の腕をがっしり掴む。
あ、これ断っても引かないやつだわ。めんどくさいなぁ。殺るか。
「えぇ、じゃあ、少しだけですよ?」
「お、いいね。しっかりと楽しませてやるからよ。」
三人は下衆な笑みを浮かべながら私を路地裏に連れていこうとする。これから起こることが手に取るように分かる。この三人の頭のなかでは既に私は服を剥かれて、辱しめを受けていることだろう。
人目のつかない場所まで連れて行かれると、リーダーらしき男が下卑た笑いを顔面に張り付けて服に手をかけた。
「止めた方がいいと思う。」
後ろ手にナイフを掴んだところで横から邪魔が入った。ふと、そちらを見ると私より少し年上くらいの少年が近づいてきた。体と動きを見て、すぐにわかった。彼はものすごく強い。
このシチュエーションはまさか。王子さまなのでは?
「なんだお前?」
「あ、そうか。この格好では初めましてか。」
「はぁ、何を訳のわからねぇこと言ってやがる。」
「ぶっ殺されてぇのか!?」
「やっちまうか。」
少年は躊躇するでもなく三人の男に近づいていく。
一瞬の出来事だった。たった3発。それぞれの男の顎に一発ずつ打撃を加えて失神させる。
「この三人全然懲りないなぁ。このスポットそんなに気に入ってるんだろうか。」
「あの!」
「はい!」
「お名前はなんと言うのでしょう!?」
「な、名前ですか。リュートと言います。」
「リュートさん・・・。お願いです。今日だけ私とデートをしていただけないでしょうか。」
「デ、デートですか!?」
リュートは驚いて少し大きな声を出した。『ハル・・・いるし。』『・・・メだよな。』と小さな声で呟く姿を見て急に我に帰った。いきなり女性からデートに誘うなんて、なんてはしたない。
「いや、間違えました。ちょうど貴方と同じくらいの兄がいまして。お誕生日プレゼントを選びたいのです。なかなか王都に来れる機会もなく、知り合いもいないのでどうか案内していただけないかと。ダメですか?」
「誕生日か・・・。」
リュートは首から下げた十字架を取り出して懐かしむように眺めると。
「わかりました。いいですよ。ぜひ、良いものを選びましょう!」
この時、私は初めて兄に感謝した。ありがとう。私より一年先に生まれてくれて。男であってくれて。
そして、私は仕事のことなどすっかり忘れていたのだった。