12話 帰還
エリスの雰囲気が急変した。彼女から感じる魔力は先程とはまるで別人のものだった。いや、別人というよりももっと異質な何か。これは、魔物にとてもよく似た魔力だ。
「エリス!」
おれの呼び掛けに彼女は一瞥もくれず、新たに生じた魔力を消費し『暴食の女王』に止めをさした。
「う゛あ゛あ゛あ゛!」
エリスは動きを止めることなく、次から次へと首のない骸を量産していく。そこに、先程まであった美しい太刀筋はない。ただ力のままに、本能のままに刀を振るう獣がそこにいるだけだった。
いつか本で読んだことがある。獣人特有に見られる病だ。『獣化』と言ったか。精神負荷が極限を迎えることで発現すると言われている。となれば、その原因になったのは間違いなくおれが攻撃を受けてしまったこと。
「エリス!おれは大丈夫だ!生きてる!だから正気に戻ってくれ!」
彼女の耳におれの言葉は届かなかった。時間がたつほどに彼女の戦いから人間らしさが消失していく。
その、たったわずかな時間で全ての幼態は屍と化した。彼女は怒りの向き先を失った結果、『暴食の女王』の死骸に向けて何度も何度も雷を落とす。
「エリス!」
エリスはビクッと反応するとおれにその視線を向けた。
言葉が届いた!
そう喜んだのも束の間、エリスは唸り声と共におれに向かってきた。雷で形作られた爪が命を刈り取るために襲いかかってきた。
彼女の攻撃を受け流すのは悪手だ。必ず回避しなければならない。相手をしてみて改めて理解したが、雷の衣に触れた時点で体が麻痺する。なんとも戦いづらい。既に刀を持たない戦闘スタイルにまで『獣化』していたのが幸いして、やっと避けることができる速度だ。
「エリス!目を醒ましてくれ!」
何度も呼びかけた。だが、返事の代わりに返ってくるのは唸り声ばかり。
『獣化』が始まった場合、元に戻る術はない。
本に書いてあった言葉を思い出す。解決の糸口が見つからず諦めかけたそのとき、ふと一瞬だけエリスと眼が合った。前髪のせいで今まで気づかなかったけど、その眼からは一筋の涙が溢れていた。
「エリス!まだ、いるんだな!」
この獣の中にまだエリスはいる。
そう確信したら諦めるわけにはいかない。獣の攻撃をかわしながら、中にいるエリスの痕跡を探した。そう思ってみるとなんとなくだけど、やはりわずかに以前のエリスを感じる。
どこからだ。どこからエリスを感じられる?
そして一番最初に目についたのは、彼女の野生的な耳だった。決して初めから触ってみたいと思って見ていたわけではない。依頼の最中、ことあるごとにピクピクと動かしていた耳をずっと見ていたなんてことは絶対にない。だけど。
エリスの耳ってこんなに激しく動いてたっけ?
一度気になり出すと避けながらでも気になって仕方がなかった。
「自慢じゃないけど、おれの直感ってよく当たるんだ。だから、ごめん!」
タイミングを見計らい、彼女が爪を横に薙いだ瞬間に彼女の耳めがけて両手を伸ばした。雷の衣に触れたことで瞬時に筋肉が収縮し、おれの手は彼女の耳をがしっと掴んだ。
「ひゃうんっ!」
なんとも可愛らしい悲鳴が漏れた。彼女は爪を振り抜いた状態で固まった。端から見るとかなりシュールな絵面になっていることだろう。しかし、この状態は見た目に反して壮絶な苦痛が走っていた。端的に言えば感電しているのだ。
だけど触れたことでようやくわかった。風前の灯火のようにエリスの存在感がか細く燻っている。
エリスの燻った存在感は彼女の生きようとする意思そのものだ。怪我を治すときに感じた自然治癒力となんら変わりはない。
感じる。そして、感じることができる力であれば、おれは魔力から変換することができる。
壮絶な苦痛の中、言葉は発せないが歯をくいしばって祈る。必死に願いながら彼女に力を送り込んだ。
帰ってきてくれ!
生きようとするエリスの力は怒濤の勢いで荒ぶる力を抑えこんだ。ある一定ラインを越えると纏っていた雷もふっと消える。エリスはプルプルと震えながら、おれから全力で目を合わせないように俯いていた。
「あ、あの、エリス?」
「ひ、ひゃい!?」
すっ頓狂な返事をするエリス。
「戻ってこれた?」
「おかげ、さまで。」
震えたまま、エリスは未だに眼を合わせようとしない。
「それ、どういう感情?」
「えっと、あれだけ感傷に浸っていたのに意外とあっさり帰ってこれた恥ずかしさと・・・」
「恥ずかしさと?」
「敏感な場所を強く握られて、何とも言えない気持ち、になってる。」
「あ、ごめん!」
「はわゃ!」
手を放そうと思ったが感電した影響で離れず引っ張ってしまう。
「ごめん、感電してて放せない・・・。」
「そ、そんな。」
しばらくして、体の自由がきき始めたのでようやく手が離れる。
「とりあえず、おかえり。」
「うん、ただいま。」
彼女の顔は恥ずかしさで真っ赤になっていた。こっちまで今さら恥ずかしくなってきた。なんだか気まずい雰囲気になりながら、無言で屍となった魔物の心臓から魔石を取り出す作業を繰り返す。ちなみにこれが魔物を討伐した証になるのだという。
お互いふらふらになりながら、無言を貫いたままギルドに帰ることになった。
「あらぁ?お二人とも何かあったんですかぁ?」
ギルドではニヤニヤしながら受付譲が清算の準備を進めていた。顔を背ける仮面の少年と顔を真っ赤にしてそっぽ向く獣人の少女。受付譲にとっては勘繰り甲斐のあるシーンだ。
「ちょっと、ね。」
顔を赤らめながらエリスは『暴食の女王』の魔石を机にごとっと置く。
「どぅえ!?どういうことですか!そんな照れたように差し出す代物ではないですよ、これ!?ちょっとどころじゃなく大問題です!」
およそ女性が出してはいけないような声を発しながら、受付譲は魔石をもって奥に引っ込んでいった。
受付に二人並んで取り残されているとエリスが口を開いた。
「ごめんなさい。今回こんなことに巻き込むつもりではなかったのに。」
相変わらず抑揚のない声だった。
「うん、分かってる。」
「怒らないの?」
「怒らないよ。無事に帰って来れたしね。」
「そう。・・・あの。」
「うん?」
エリスはゆっくり息を吸うと、
「リュートの力になりたい。」
「それってどういう・・・?」
少し今までより強い口調にだった。すがりつくような、そんな言葉だった。
「依頼を受ける前に、言ってた。ギルド会員では時間がかかりすぎるって。」
「あぁ、聞かれてたのか。」
依頼を受けたときの受付譲との会話を思い出す。彼女にとって、いかに真剣なのかが伝わってくる。だからこそ、おれは簡単に頷くことはできないと思った。
「おれには目的がある。」
「うん。聞かせて。」
先程まで全く視線を合わせようとしなかったのに、今は真剣に仮面の奥のおれの眼を見つめた。
「おれは勇者になってしまったハル姉を助けるためにここまで来た。傷ついたときには癒せるように。戦うときは支えられるように。そしていつか、ちゃんと守ってあげられるように。おれはハル姉のために戦えるようになりたい。」
「なら、私はどんな形でもいいから手伝いたい。」
「なんでそこまで?」
「私がそうしたいと思ったから。」
即答だ。彼女らしい答えだった。彼女の意思はそれほどまでに固いようだ。巻き込んでしまった後ろめたさとか暴走から引き戻してくれた恩義とか、そういう感情ではない純粋な決意を感じる。
「わかった。いざとなったときは頼りにするよ。」
ここまで言ってくれるエリスに仮面のままというのは失礼な気がして、エリスにだけ見えるように仮面を外した。
「よろしくね、エリス。」
エリスは驚いたような顔を見せた。相変わらず垂れた前髪ではっきりとはわからないが、目を大きくしている。
「思ったより、かわいい顔してる。」
ボソッと呟いたエリスの言葉で急に恥ずかしくなり、再び仮面をつけ直す。
「ま、まぁ、轢き潰した豚ほど酷くはないと思う。」
「ふ。」
エリスは笑った。少しだけ依頼前とは変わったと思う。何かに怯えながら言葉を選ぶ少女はもういない。やはり、女の子は笑っている顔が一番いい。だから、改めて思う。
ハル姉にはずっと笑っていてほしい。例え、隣にいるのがリュートではなかったとしても。そのために、仮面の男は何だってする。