10話 獣の咆哮
喰悪鬼を倒してもなお、不穏な気配は消えなかった。それどころか奥に向かうほど、その存在感は大きくなる一方だった。
「たぶん、さっきのは幼態。」
どうやら本来の依頼は成態の喰悪鬼の討伐らしく、さっき倒したのは3メートルの巨体ながら幼態だったらしい。
「まだやれる?」
「おかげで、大丈夫。」
「それにしても、あれで幼態とはね。」
「前は、あんなに強くなかった。やっぱり、最近、魔物が活性化してる。魔王の誕生が、近い、かも。」
『魔王』という言葉にどうしても敏感になる。『勇者』にとって宿命の敵。対峙するとき、隣におれはいるのだろうか。
「そういえば魔王ってどこに現れるんだろう。」
伝承では魔王が誕生するとき、それを守るかのように伝説の三獣が現れるという。それらが出現した地点の中心が魔王誕生の地である、ということらしいのだ。
出現時期は不明だが、同時に現れるわけではない。時代によって語られる三獣も姿は様々である。ただ共通して言えるのは、1体の出現による被害は途方もないという記録が残っていることだ。話では、山一つ消えるなんてことはざらにあるみたいだ。
つまり、ハル姉は魔王の前にこの三体の獣を討伐しなければならない。いまだ1体目すら姿を表していないが、聖剣が解放されているということはそれも遠い未来ではない、と歴史が示している。
「着いた。」
そこは光る鉱石が散りばめられた大きな空洞だった。予想に反して何もない空間をエリスと二人で見て回る。
「嫌な気配はするんだけど。」
「いる。絶対に。」
何かを察知しているのかエリスは警戒を強めている。彼女が言い切るということは恐らく近くにいる。だが、よく考えたらあんな巨体が隠れるスペースなんて見渡す限りない。
その時、エリスの足元で小石の音がした。嫌な予感がする。耳元で警報が鳴り響くようだった。気づけばおれはエリスに向かってとっさに駆け出していた。見て確かめる余裕はない。本能にしたがってエリスにしがみつきその場から飛び退いた。
「エリス!上だ!」
直後、さっきまでエリスの立っていた場所に巨大な物体が落ちてきた。それは、全身の肉が垂れた醜い化け物だった。
「『暴食の女王』!」
突然のことに珍しくエリスが大きな声をあげる。
「逃げて!」
彼女の叫びは同時に発せられた化け物の咆哮にかき消された。咆哮が呼び水となり、周囲に一、二まわり小さな物体がぼとぼと落ちてくる。
「なんだ!?」
落ちてきたそれらをよく見ると、全てよろめきながら立ち上がり始める。全て喰悪鬼の幼態だった。
「想定外、最悪。」
エリスのその言葉が全てを物語っていた。出口はおろか周囲には無数の喰悪鬼の幼態。出口に向かう方向は『暴食の女王』と呼ばれる巨体が立ちふさがっていた。
「あのデカいのはなに!?」
「喰悪鬼、の成れの果て。希少個体。」
あれが喰悪鬼?まるで原型を止めていないじゃないか。動くための足は体の肉に埋もれ、太く長い腕は重力に逆らえずに垂れ下がっている。赤い目だけがこちらの姿を捉え、敵意を示している。
「どうすればいい!?」
「幼態の数を、減らす。隙が、あったら、逃げて。」
「エリスは?」
「時間を稼ぐ。」
「うーん、脚下。」
エリスが驚いた顔を見せる。
「・・・っ!どうして?」
「仲間を置いて逃げるなんてできるわけない。」
「ナカマ・・・?」
「え、違うの!?ちょっとショック・・・。と、そろそろ我慢の限界みたいだ。とりあえず数を減らすのは賛成。戦いながら考えよう。」
「わからない。けど、わかった。」
エリスは困惑気味に抜刀し刃を女王に向ける。
「『雷々纏羅』」
「ウィズ、ヒーロ!」
エリスが戸惑いの表情を浮かべこちらを見る。魔法増強をかけているのだから、少しだけ便乗したくなったのだ。
「ご、ごめん。ついノリで。」
「ふっ。かまわない。ヒーローみたいで、いいと思う。」
初めて彼女が笑ったところを見た気がした。
彼女が敵を斬り捨て、おれはひたすら回避に専念する。初めに会った個体ほど育った幼態がいなかったのは唯一の救いだった。エリスは一体を倒すのにはそれほど手こずらないようだが、如何せん数が尋常じゃなく多い。
「クイーンが何もしてこないのが気になるんだけど!」
「身体能力、ほとんど、ない!」
エリスは着々と喰悪鬼の首を落としていく。血飛沫の中、踊るような体運びとそこから繰り出される高速の斬撃はまさに舞いを舞っているようだった。雷の衣がきらびやかに彼女を飾る。時折見せる前髪の隙間から見える彼女の顔は美しく見えた。
「見惚れてる場合じゃないぞ。」
自分に言い聞かせながら喰悪鬼の隙間を縫って移動し、時には殴り蹴り飛ばす。幼態とはいえ2メートルもある巨体が襲ってくるため油断はならないが、これまで鍛えてきた動体視力と反応速度をもってすれば避け続けるのは難しいことではなかった。
「GyAAAA!」
幼態の数が半分をきったころだった。ついに中央に構える女王が動き始めた。己が動く代わりに初めの個体と同様に黒い閃光を無数に放ち始めた。我が子を巻き込ませないように傍観していたが、かなり数を減らされて動かざるを得なくなったというところだろう。
初めの個体は放出口が1つだったのに対し、女王は無数に閃光を放つ。なにより厄介なのは放出音が聞こえたときには既に着弾しているというその速度。幼態との戦闘の最中、避けきるのは至難の業だ。攻略の難易度がぐっと跳ね上がる。
まただ。放出の度にエリスは安否を確認するかのように、こちらに視線をやる。
「エリス!こっちは大丈夫だから!」
声は届いたていないのだろうか。やはり彼女は放出の度にこちらを見ずにはいられないようだった。
「情けない。」
前衛が後衛を心配して集中できないとあっては本末転倒だ。あの放出をなんとかできないだろうか。
自傷覚悟で女王を仕留められるか。
そのあと、エリスへの魔法増強を持続できるか。
いろいろな考えが頭を過るが不確実性が高く、実行には移せない。だが、迷っている余裕はない。なんとか回避はできているが、このまま攻撃が続けばどちらかが被弾してしまう。そうなれば今の拮抗状態は簡単に崩れ、共倒れは必至だ。
「エリス!女王の弱点はわかる?」
「分厚い、肉の奥に、心臓。幼態を相手にしながら、だと、そこを仕留められない。」
機動力がない分、厳重に守られているわけか。だが、彼女の言い方から察するに幼態の邪魔がなければ仕留められるということだ。
「なら、これでどうだ!」
エリスへの魔力の供給量を急激に上昇させる。
「・・・っ!」
一瞬、エリスの雷の衣が広範囲に増大する。周囲にいた喰悪鬼は突然体に流れてきた電撃に身体を硬直させた。
「これなら、いける。」
エリスは合間をすり抜け女王のもとへ駆ける。数匹動けるようになった喰悪鬼を一振りで屠ると女王の頭上に跳び上がり刀を頭から突き刺す。
わかる。彼女がわずかに残る魔力を振り絞って魔法を繰り出すのが。おれはいつも通りそこにありったけの魔力を流し込むだけ。
「『落神』」
目映い閃光と轟音。特大の雷が女王の体を貫いた。それはまるで落雷のようだった。
彼女は力尽きた女王の上で息絶え絶えに、肩を上下させている。パチッと眼が合うと、少し微笑んだ気がする。
「あとは、幼態を片付けたら・・・え?」
完全に油断していた。死んだと思っていた女王から最期の閃光が放たれる。黒い閃光は意図も容易くおれを貫いていた。上手く脚に力が入らず膝から崩れる。
「ぁっ!あぁっ、あぅ、うぁ」
エリスの顔が真っ青だ。苦しそうに頭を押さえている。喉を絞り上げて、声をなんとか出している。
「うぅ、うあ゛あ゛あ゛っ!!」
彼女の獣のような咆哮が洞窟に響き渡った。