9話 雷の衣
おれが受けた依頼は危険地帯での薬草や特殊鉱石の採集だ。魔物の討伐ほどの危険はない割には報酬がめっぽういいのだ。危険地帯と言うだけあって大型の魔物もしょっちゅう見るが、生き抜くだけなら他愛なかった。
だけど、今回はいつもと勝手が違った。エリスは魔物を見つけた瞬間、駆け出すのだ。
「あ、『雷狼』・・・。」
「『岩龍』もいる。」
「『砕猿』まで・・・。」
どれもこれも凡人の到達点たる第五級冒険者以上が討伐対象とする魔物ばかり。エリスはそれらを尽く一人で斬り伏せた。彼女は身の丈に合わない長さの太刀を目にも止まらぬ速さで操り、魔物をぶった斬る生粋の『戦士』だった。
「依頼にはないんだから別に倒さなくてもいいのに。」
「でも・・・。放っておいたら、仮面さんが危ない。」
「そんなこと気にしなくていいよ。これでも逃げ足だけは速いんだ。それより、前線に出ていくエリスさんの方が危ないから。次は一緒に逃げよう。」
「どうして・・・?」
「エリスさんが怪我をしてしまうかもしれないし?」
「わからない。どうして・・・?」
手際を見るにあの程度では怪我をしない自信があるのだろう。だけど、それを見守る側は気が気ではないのだ。彼女の戦いは評判通り『猪突』の名に恥じない戦いぶりだった。全く『避ける』という選択肢がないように見える。それに女の子を戦わせていると、怖いと泣きながらも戦いを強いられたハル姉の姿がちらつくのだ。
「いいから。次に大きなのが来たら逃げるよ。」
「わかった。でも・・・変な人。」
「今さら。フリーランスで仮面の治癒術士が変じゃないわけないでしょ?」
その後は、大型の魔物を見つける度に迂回、退避を重ねて依頼の収集はなんとか片付けた。
「さて、次はエリスさんの依頼だっけ?」
また、黙って頷いた。
「そう言えばどんな依頼?」
「『喰悪鬼』の討伐。」
え?ちょっと待った。『喰悪鬼』と言えば天才踏み入る第三級冒険者の討伐対象じゃないか!それを達成するとなれば、かなりの有名人になれるはずである。
「ごめん、聞くの忘れてたんだけど。エリスさんのランクって?」
「今は確か、第二級、のはず。」
「第二級!?それはもう手伝いはいらなくない?」
「でも、治癒術士、いるから。」
いくら強かろうがルールはルール、ということらしい。
第二級冒険者。ドラゴンやそれに類する幻想種を除いた全ての魔獣を狩る者。幻想種への挑戦権をもつ、最強クラスの人種であることは間違いなかった。
「あれ、でもそこまで昇級するのには4年以上かかると思うんだけど。エリスさんは一体いくつで・・・いや、あんまり聞かない方が」
「いい。構わない。私、これでも、19年生きてる。」
唖然となってしまった。なんとこの少女が年上だとは。見るからに年下だと思っていた。
「それは!とても失礼しました!」
「気に、しない。人間の年齢で言えば、まだ10歳。」
獣人は普通の人の倍生きるというが、それは本当らしい。
それにしても、と思う。引き受けてしまった手前引き返すわけにはいかないけど、第三級レベルの討伐依頼だと思うと緊張してしまう。
「大丈夫。仮面さんの動き、なら、問題ない。」
と言ってくれてはいるものの不安は不安だ。ほの暗い洞窟へとたどり着くと、さすがにわかる。奥に潜む魔の気配。
「この先、いる。」
「なるべく、足を引っ張らないように頑張るよ。」
大丈夫、と言うとエリスは躊躇いなく洞窟の最奥へ突き進んでいく。さすがは『猪突のエリス』。だが、喰悪鬼も獲物を待って出迎えるほど殊勝ではなかった。新たに迷いこんだ獲物を狩るべく、唸り声と共に姿を現した。
「Grrr・・・GyAAAA!」
咆哮を受けて、体が反射的に萎縮する。死への恐怖が体の内から引きずり出される。
「まずっ。体がっ。!」
まるで自分の体が自分のものではなくなるような感覚に陥る。
「大丈夫。」
エリスは半分振り返り、前髪に隠れた視線をこちらに送る。そして、やはり臆することなく喰悪鬼に向けて駆け出すのだ。
「『雷々纏羅』」
魔法・・・なのだろう。微かに聞こえた彼女の声に呼応して、大気にヒビが入るように閃光が走る。そして、彼女は雷をその身に纏った。
やつの怒号が飛ぶ。次の瞬間、太刀と爪とが打ち合う鈍い音が響く。おぞましい牙や凶悪な爪、見上げるほどの巨体がエリスを襲う。そして彼女は、あんな細腕でやつの攻撃を受けきり、はね除ける。
彼女の戦いを見ていると激しい違和感に囚われた。攻撃を打ち合う度に喰悪鬼の体が痙攣し、一瞬動きが止まって見えるのだ。最初は勘違いかと思ったがそうではなかった。彼女が纏う雷の衣に触れた瞬間、敵に電撃を流して動きを鈍らせていた。
だが、やつもだてに第三級クラスの魔獣に認定されているわけではい。得意なはずの近接戦闘で敵わないと見るや、黒い力を圧縮し直線状に放出する。彼女は避けずに前進。一瞬こちらに視線をやり、再びやつとの距離を詰める。
壮絶な戦闘はエリスが痙攣の刹那に喰悪鬼の首を落とすことで決着がついた。だが彼女の体も黒い力の放出に所々貫かれ、とても余裕があるようにも見えなかった。気付けは彼女の中の魔力も底を尽きかけていた。
「ご、ごめん。見てることしかできなかった。」
「無事なら、いい。次、行くよ。」
「ちょっと待って。そんなボロボロの体で!?」
「これくらいなら、大丈夫。まだ、先にも、いる。」
再び奥へ向かおうとする彼女をこのまま行かせれば、治癒術士の名折れである。
「ちょっと待って。」
彼女の細い腕を掴んでその場に座らせた。怪我は左肩と右脚に抉られたような跡が、服を少しめくると右脇腹の辺りに強打の跡があった。傷口近くに手を当てると生きようとする体の意志が感じられる。
「すごい。傷が・・・。」
「伊達に治癒術士やってないでしょ。」
「うん。あたたかい。」
10分程度。それなりに大きな怪我であったとしても治せる、早さの限界だ。自分であればものの数秒で完治できるが、やはり他人になると余計に時間がかかってしまう。これではまだまだ戦闘中に完治させるには至れない。
「本当に、すごい、と思う。」
「やめてやめて。ちょっと照れる。でも、反省してるんだ。エリスさんが戦っているとき何もできなかった。」
「どうして・・・?」
「怖かった。相手は見たことのない化け物で、恐怖に呑まれてしまったから。でも、次こそは絶対に力になる。」
「わからない。」
返事は先ほどと同じだった。
再び進み始めた道中、彼女の話を聞いた。元々は獣人の戦闘部族であったが、魔力の少なさ故に厳しい慣例についてゆけず生き場所を追われたのだとか。『雷々纏羅』はその後に会得したそうだが魔力の消費が激しく、魔力量の乏しい彼女にとっては皮肉以外の何物でもなかった。
「他と違って徐々に魔力を消費してるんだね。」
「そう。だけど、次から、もう使えない。さっき、思ったより使った、から。」
だが、それは相当に厳しいのではないだろうか。あの魔法を使うことでようやく互角以上に戦えていたのだ。それを使わずにとなると・・・。
「エリスさん。少し試したいことがあるんだけど、いいかな?」
「・・・?」
徐々に魔力を消費するタイプの魔法に対して、魔法増強をかけられるだろうか。試しにやってはみたが、結果は成功だった。
「これなら最小限の消費で、いつも通りの威力を発揮できるんじゃないかな?」
エリスは自分の身体中を隈なく調べると、再び前髪に隠れた黄金の瞳を向けてくる。
「仮面さんって・・・。」
「あ、あとその『仮面さん』っていうのを、そろそろやめてくれると助かるんだけど。」
エリスは少し困った顔をして、しばらく考えた。
「じゃあ、リュート、さん?」
「リュートでいい!」
「じゃあ、リュート。私は、エリスで。」
「わかった。じゃあ、もうしばらくよろしく、エリス。」
うん、と頷くとエリスは改めて洞窟の奥へ向かって歩きだす。その表情は前髪のせいで見えないままだったが、少し嬉しそうに見えたのは錯覚であってほしくないところだ。