花丸雪貝
むかし、ある村に、茂平という男の人が住んでいました。働き者と評判で、両親を亡くしてからは、一人で住んでおりました。
その夜は吹雪でした。黒潮の流れるこのあたりでは、たいへん珍しいことです。
茂平の家を訪ねる者がありました。
真っ白な着物を着た、雪のように色白の女の人でした。
「道に迷ってしまって、もう歩けません。どうか一夜の宿をお貸しください」
「それはお気の毒に。さあ、どうぞ」
茂平はそう言って女の人を家にあがらせました。でも、実は少し恐ろしく感じていました。これほど色白の人間を、見たことはありません。
茂平は、北の国にいると聞く、雪女の話を思い出していました。
「ひょっとしたら、凍え死にさせられるのだろうか。しかし、本当に困っている人間なら、追い返したら死んでしまう」
茂平は思いました。
「奥の部屋が空いているので、どうぞ」
茂平は話も早々に、女の人に奥の部屋をすすめて、障子を閉めきりました。
びくびくしながら、茂平は朝を迎えました。ゆうべの雪はすっかりあがって、太陽の光が差し込んでいます。
茂平は女の人におかゆをすすめました。おかゆを食べると、女の人のほおにうっすらと赤味がさしました。
どうやら人間だったらしいと、茂平はほっとしました。
「どこから、おいでかな?」
「さあ…」
「名前は?」
「さあ…」
どこから来てどこに行こうとしているのか、名前は何というのか、女の人は全てを忘れてしまっているようでした。
持っているものといえばただ一つ、小さな香箱を大切そうに抱えていました。手がかりになるかと思い、茂平がそれを見せて欲しいというと、女の人は急に怒ったような態度になって、茂平をきっとにらみつけました。
「これは大切な物なので、お見せしません」
茂平は気にはなりましたが、それ以上は香箱のことには触れないことにしました。誰にでも人に見せたり言ったりしたくないことはあるものだと、茂平は自分に言い聞かせました。
行くあてもない女の人は、茂平の家で暮らすことになりました。
茂平は女の人をお花と呼んで大事にしました。桜の咲くころには、すっかり打ち解けて、夫婦のように暮らしていました。
ただ、押し入れにしまいこんだ香箱の話だけは、何もしてくれませんでした。
桜が散ってつつじが咲きだすころ、お花は具合が悪そうにすることが多くなり、体も少しずつやせてきました。
「近ごろ具合が悪いようだが…」
「そんなことありませんわ」
最初は気づかなかったのですが、どうやら朝晩冷えた日には、少しだけ具合が良くなるようでした。
茂平は少しいやな予感がしました。
花菖蒲が咲き、あじさいが咲き、やがて熊蝉の鳴き始めるころには、お花はすっかりやせこけていました。
「お花、おまえ、まさか…」
言いかけた言葉を、茂平は飲み込みました。このころには、茂平は、お花はやはり雪女で、暑さで溶けつつあるのではないかと思うようになっていました。でも、知ってしまうのはこわいという気持ちもありました。
香箱に何か秘密が隠されているかもしれませんが、盗み見する気にはなれません。
茂平は早く秋が来て、さらに冬が来てくれるよう祈りました。
夏も終わりに近づいて、つくつくぼうしが鳴くようになりました。
お花はますますやせて、立って歩くのもやっとのありさまでした。なんとか夏を乗りきってほしいと、茂平は冷たい井戸の水をくんできて、お花の体を冷やしてあげました。
お花はひとりになると、香箱を取り出しては、ぼんやり見つめていることが多くなりました。茂平に見られているのに気づくと、隠すように押し入れにしまうのでした。
そんなある日の午後、お花のいる奥の部屋で、ばったりと人の倒れたような音がしました。
茂平があわてて障子を開けると、お花の姿はそこにはなく、お花が大事にしている香箱が、部屋の真ん中で開いていました。
香箱の中には宝貝が一つ入っていました。深い琥珀色の宝貝の背中には丸い窓があって、その向こうの闇の中に降りしきる雪が見えています。
茂平はお花が、その闇の向こうに行ってしまったのだと思いました。
「お花や、お花。戻っておいで」
茂平は呼びかけました。
「おまえさまのほうこそ、こちらにおいでなさいな」
闇の向こうから、お花の声が聞こえました。
「何をいっているんだ、戻っておいで」
「いえ、おまえさまのほうこそ、こちらにおいでなさいな…」
同じやりとりを何度も繰り返すうちに、茂平はだんだん気が遠くなっていくのを感じました。
誰もいなくなった家の中に、深い琥珀色の宝貝が一つのこされていました。貝の背中にある丸い窓の向こうでは、止むことのない雪が音も立てずに降り続いています。
家の外では、太陽は西の空に傾いて、ひぐらしが切なげに鳴き始めていました。




