ある日 その1
気まぐれでの不定期更新になると思いますが、楽しんでいただけると幸いです
俺がお仕えしている、主君の話をしよう。
俺の主君は、メイザーズール辺境伯がお年を召されてから得た娘である、メリナ嬢。御年十四才だ。
上に兄を四人、姉を五人持つ末っ子の彼女は、社交界に出ていても可笑しくない年齢である。だと言うのにも関わらず、辺境伯領からろくすっぽ出ることもなく、日々緩やかに過ごしている。それはさながら、深窓の御令嬢だ。旦那様も年を召しているせいもあって、メリナ嬢には兎に角甘い。
蝶よ花よと持て囃されて、領地内だけで自由に生きてきた彼女を世間は勝手に憶測する。ついた二つ名は、メイザーズール家の『幻の美しき小人』。姿を見せない、幻の美少女として有名だ。
確かにその評価は間違っていないと俺も思う。実際、今まで見てきた娘たちの誰よりも美しい。
シミ一つない真っ白な肌は陶器のように滑らかで、淡く色づいた頬は化粧なんてなくとも十分愛らしい。プラチナブロンドのウェーブのかかった髪はよく手入れがされていて、メイド長が腕によりをかけて編み上げたレースのボンネットでまとめあげられている。すらりとした手足は、下手に触れると壊れてしまうガラス人形のように繊細。
そう、容姿は噂通りに端麗だ。
だが現実は、違う。人とあまり関わりを持たずに自分の世界で生きてきた彼女は、一風変わって育ってしまった。
仲間の騎士に聞いていた、我が儘令嬢――――とは違う。むしろそれならまだ、俺だってやりようがあったと思う。
メリナ嬢はふだんぼんやりとされているが、時おりぽつりと毒を吐く。それはもう、俺にどうしろと言いたいのか解らない、何とも困る毒を吐くのだ。
そんな彼女に振り回されて辞めた騎士は、指を折って数えられないくらいだそうだ。俺が彼女付きになった理由として、兵舎で訓練を受けていた頃から存分に発揮してしまっていた面倒見の良さが買われたと聞いている。
でも――――。
「エオノール……」
――――と、いけない。仕事の途中であった。
眼前に広がるのは、真っ白な綿雲を浮かべた青空を映すブルーファールの静かな湖畔。水鳥が悠々と泳いでいる様は如何にも平和そのものであると言える。そしてその向こうに群青色を映してそびえているのが、我が主人の父君が守られている国境でもある連山セトアルマ。私の故郷にはないこの長閑な光景は、辺境伯嶺きっての湧水地であり、平和の象徴だ。
若草が萌え、小さな花が咲き乱れる。風はそんな植物の青さを柔らかく含み、さわさわと草木を撫でていく。
この上ない、平穏な一時。
そしてそんな景色の中で、俺を見上げる麗しの淑女。
プラチナの長いまつげに隠された、伏し目がちの翡翠の瞳は神秘的だ。その向こうからこちらを見つめる濡れた瞳は、如何にも庇護欲をそそる。
――――――――が。
それまでのメリナ嬢は、目の前に立てたイーゼルに黙々と向かい、ブルーファールと連山セトアルマを描いていた。だがふとその手を止めて、鈴のようなか細い声で私を呼んだかと思うと、至って淡々と告げられたのだ。
「いい加減、わたしの後ろに立たないでもらってもいいかしら? 貴方は唯でさえ背が高いし、存在感がとてもあるから、絵を描いてるとすごく気が散るの」
「ああ……その、申し訳ありません。メリナ様」
そう、これだ。
今回は身長、と来た。
俺はメリナ様身辺を守るための盾であり矛。そして彼女の邪魔をしていい立場にない。故に自然と身の置き場が限られてきて、必然的に視界の外にいる事になる。
けれどもそれすらもやめて欲しいと言われるとなると、さて、どうしたものだろう。
だが、彼女は待ってくれやしない。
「それに様付けはやめてって、いつも言っているでしょう? エオノール。パパは確かに身分は高いけれども、わたしは偉くないわ」
頑張れ、俺。ここで負けてはならない。
「……お言葉ですがメリナ嬢? 身分と言うのは家につくもの。必然的に貴女にもきちんとついて回っています」
「そうね。でも、貴方が仕えているのはわたしでしょう? それほど難しいことお願いしているつもりはないはずよ」
「確かに、仕えているのは貴女に間違いありません。でも仮に、貴女を蔑ろにしているような事が旦那様の耳に入ったらどうでしょう。私の首は物理で飛びます」
「飛んだらわたしがちゃんと拾って付けてあげるもの。心配せずとも、年相応に接してくれていいのよ?」
せっかく淡々とあしらえていたつもりなのに、そんなこと言われて固まってしまった。
「あの……俺は継ぎ接ぎ出来る人形とは違うのですが」
つい、素に戻って突っ込んでしまった俺は悪くない。冷や汗タラタラでその表情を見れば、何を訳の解らない事言っているんだと言わんばかりに眉をひそめられた。
「貴方が人形なんて気持ち悪い冗談、止してくれないかしら。お人形に失礼よ」
「気持ちわ――――!?」
殴られたような衝撃とは、この事を言うのだろうか。
朴念人だの優男だの、今まで散々言われたい放題されてきた俺だが、気持ち悪いと言われたことはなかった。
これはなかなかに辛い。
兵舎に所属していた頃、教官に問答無用に刃引きしたロングソードで扱かれた時より辛い。
苦汁を嘗めた上で表情を動かすな、なんて無茶苦茶言われた時の思いで、俺は懸命に何でもない風を装った。でも、彼女の攻撃は止まらない。目の前のご令嬢は、また頬に手を添えてことりと首を傾げていた。――――マズイ、また来る。
「エオノール、貴方は私の何なのかしら」
伺うようなその表情。思っていたよりもいつもの問いでホッとしつつ、俺はすぐに騎士の礼をとって宣言した。
「俺は貴女の盾であり矛。貴女に害を成すものからこの身を擲ってでも守り、そして排除するためにあります」
「……でも今、私に不快を与えているのは貴方以外の何者でもないのよね」
「いっ?!」
「そうでしょう? ねえ、違う?」
…………ああ、もう泣きたい。
事もなさげに告げられて、俺はしばらく、その場から動くことが出来ずにいた。
「エオノール? ちょっと、聞いているの?」
……もう、新しい奉公先でも教官に紹介してもらおうかな。いっそのことワガママぶつけられた方が、まだずっといいって思えてくる。
俺に一体どうしろって言うのか。誰か教えてくれないか。
まばゆいばかりの太陽が、俺の事を嗤っている気がした。