君に恋したのは昨日の僕
僕は、人を好きになることが嫌いだ。
どこか矛盾しているようなソレには、僕なりの理由がある。
僕は一つの病気のようなモノに掛かっている。
それは『好きになったヒトのことを次の日には忘れてしまう』というおかしなモノだ。
そんなの有り得ないって思われるかもしれないけど、それでも本当にそうなんだから仕方ない。
僕がまず初めに忘れたのは、多分自分の親、だと思う。
朝目が覚めたら、そこに知らない大人が二人、毎日いるのだ。
まぁそれが僕の両親だったんだけど、二人はそんな僕を心配して病院で検査してもらうことになった。
そして、何回もの様々なシュミレーションを繰り返した結果、『好きになったヒトのことを次の日には忘れてしまう』ということが分かった。
だから、次の日からは、僕は両親のことを好きにならないように努力した。
両親も、できるだけ僕に好かれないように努力した。
そして、そのかいあってか、僕は自分の両親のことを忘れなくなった。
つまり、僕は両親のことが、『好き』じゃなくなったわけだ。
けど、問題はそれだけじゃなかった。
僕は、僕の友達のことを忘れてしまったのだ。
なんだかんだ言っても僕だってまだ子供だった。
そんな中、幼稚園に入って初めてできた友達を、次の日には忘れてしまっていた。
友達だけじゃなくて、幼稚園の先生だって忘れた。
初めて会うはずの人に、仲良さげに声をかけられたことなんて、数え切れないほどあった。
それが、僕が忘れただけなのか、相手がただ人を間違えただけなのかなんて、そんなの前者だってことくらい僕でも分かってる。
けれど、それが幼い僕には苦痛だった。
自分が知らない相手に、自分のことを知られている、というのがとてつもなく怖かった。
そんな中で、僕が他人と関わりを避けるようになったのは必然だろう。
原因なんて分かってる。
『好きになったヒトのことを次の日には忘れてしまう』なんておかしな病気のせいだ。
これがなかったら、僕は両親を好きでいられた。
これがなかったら、僕は友達とだって仲良く出来た。
こんなものがなかったら、今頃、自分の恋人と手を繋ぎながらデートをしていた、かもしれない。
まぁ、そんなことを言ったって僕の病気が治るわけじゃない。
この病気が治らない限り、僕には人を好きになることが許されていない。
家族も、友達も、先生も、そして、自分の恋人でさえも、きっとみんな等しく忘れてしまう。
だから、僕は人を好きになることが―――――嫌いだ。
そしてそんな僕は今、恋をしている。
一人の先輩に、だ。
同じ部活の恋詩先輩。
学校ではみんなから羨望の目を向けられ、教師からも一目置かれている存在。
そして今、そんな恋詩先輩と僕はデートをしていた。
昨日帰る前にかけられた言葉は今でも鮮明に僕の頭の中に残っている。
“ 私、貴方が好きみたい。だからデートをしましょう? ”
そこに拒否という二文字の選択肢は存在していなかったような気もするが……。
既にデートは終盤に傾き始め、夜の帳を迎えようとしていた。
先ほど観覧車から見た夕焼けの記憶は、きっと僕の意思とは無関係に失われてしまうのだろう。
だって僕は先輩のことを“好き”になってしまったのだから。
胸が痛い。
この記憶を忘れたくない。
きっとここまで強くそう願い、自分の病気を呪ったことは無かったと思う。
こんな気持ちを味わいたくなかったから、僕は人を好きになることが“嫌い”だったのに。
それでも僕は先輩に恋をしてしまった。
観覧車、揺られる箱の中で二人きり。
唇を重ねられたその瞬間、僕の“嫌い”は崩壊した。
今まで自分自身に言い訳し続けていたこの感情が。
先輩を好きだというこの感情が、とうとう歯止めが効かなくなってしまったのだ。
デートが終われば、この僕たちの関係の全てが無に還る。
明日の朝には何も覚えていない僕が、日直の仕事をするために早起きして学校へと向かうのだろう。
先輩と初めて会ったあの朝のことも。
先輩と過ごしたあの部活動のことも。
何時も落ち着いていて物静かな先輩が初めて見せる、この表情も。
そして僕が先輩を“ 好き ”だというこの気持ちも全部、忘れてしまうのだろう。
「……はぁ」
肌寒い空気の中へと生まれてすぐ消えてしまう白い吐息。
僕のこの記憶にある珍しく華やかな一ページはどこか似ている。
だけどもう認めるしかないのだ。
この酷な現実とやらを。
いじわるな神さまが課した僕へのこの試練を。
「……今日は楽しかったです」
辺りはすっかりと静まりかえり、聞こえるのは遠くから響く車の走る音、ただそれだけ。
残された時間は先輩を連れて行ってしまうバスの到着時間までの数分。
逆光でよく見えない先輩は、今どんな表情をしているんだろう。
僕とは違って、笑っていてくれるだろうか。
できればそうあって欲しい、そう思った。
「好きです」
そんな言葉が、無意識のうちに口から溢れていた。
「先輩が、好きです」
聞きなれたその声に、僕は想いをのせる。
少しでも先輩の心に届いてくれるように。
「…………」
僕は恥ずかしさなのか、それとも悲しさなのか、良く分からない感情を胸に抱きながら足元を見つめていた。
しかし僕の“告白”に対する先輩の反応はない。
ふと、視界の隅で何やらノートのようなものが映った。
恐る恐る顔を上げると、そこには一冊のノートを差し出す先輩が立っている。
「…………」
頭が良い先輩のことだから、もしかして僕が告白することを予言して、それに対する返事を綴ってきていたりするのかもしれない。
「……え」
それは日記だった。
今日、可愛い後輩と坂道で出逢った。
今日、可愛い後輩を学校でからかった。
今日、可愛い後輩と学校で過ごせるように部活動を新設した。
今日、可愛い後輩に自分の気持ちをぶつけてみた。
今日、可愛い後輩とデートをした。そして告白をされた。
「ははっ……」
乾いた笑い声が喉を響かせる。
どうやら先輩は本当に僕の告白を予見してきていたようだ。
ということは次のページには告白に対する返事が、本当に書いてあるのかもしれない。
僕は知らぬ間に震えていた手で、次のページを静かにめくった。
今日、可愛い後輩と坂道で出逢った。
「……は?」
そこには告白に対する返事なんて書かれていなかった。
あったのは、数ページ前に書かれたあるのと同じ内容、ただそれだけ。
「…………」
次のページは、もう見ようと思わなかった。
分かったからだ。
つまりそういうことなんだ、ってことが。
「…………初めてじゃなかったんですね、これ」
足元に映る先輩の影が、少しだけ揺らいだ気がして、それがまるで僕の言葉に肯定しているようにも見えた。
僕たち二人の間を一筋の光が通る。
どうやらお迎えの時間がやってきたようだ。
先輩は何も言わない。
僕も何も言わない。
ただバスのドアが開く音だけが聞こえてきた。
「…………」
先輩がドアへと向かうのを見つめる。
「…………」
でも、本当に何も言わなくていいんだろうか。
明日、また坂道で先輩にあってそれでまた中途半端に始まって良いのだろうか。
「言い訳がない」
僕は、先輩の手を握りしめる。
ちょうど階段を登ろうとしているところだ。
まだ、間に合う。
「……っ」
幸い夜遅いというためか乗客はだれもいないようだ。
そしてバスの運転手は僕に笑顔を浮かべていた。
まるで“ 言ってやれ ”と僕の背中を押すように。
「先輩」
先輩は振り返らない。
「恋詩先輩」
まだ、振り返らない。
「恋詩」
「……っ。何、かしら」
先輩が泣いていた。
バスの光に照らされる先輩の涙が否応なく目に入る。
「僕は恋詩が好きだ。一番好きだ」
そして、告白を再開する。
さっきの告白で足りなかったことを付け足すために。
「明日の僕は恋詩のことを忘れちゃってると思う」
自分の頬に何か流れているようで、少しだけ冷たい。
「……っそれでも僕は、昨日の僕は……っ」
“ 何度でも君に恋し続ける ”
僕は初めて自分から、自らの唇を恋詩のソレに重ねた。
強く、それでいて優しく、恋詩の身体を抱きしめながら。
どれだけの時間そうしていたのかは分からない。
僕はゆっくりと先輩を放す。
そこに会話はない。
でももういいのだ。
僕たちに言葉は、要らない。
ただ、明日を待てばいいのだから。
僕は、人を好きになることが嫌いだ。
僕が人を好きになってしまったら、次の日にはその人のことを忘れてしまう。
それが例え肉親や恋人であったとしても。
だから僕は人を好きになることが“嫌い”だ。
「初めまして、可愛い後輩くん」
でもその声を聞いたとき僕はどうしてか、この女の人なら“好き”になれるかもしれない。
きっと、きっと、そう思った。