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芥子の花

 放課後、美月は部活が始まるまでの時間を教室で過ごすことにしていた。

 近くのコンビニ買出しに行く連中もいるが、美月はあまり必要を感じたことがない。


「美月、部活は?」


 美術室の掃除を終えたらしい桜が教室に入って来た。


「四十分から」


 それまでに英語の予習を終わらせてしまうつもりだった。


「次、どこまで進むのかな」


 桜は美月のノートを覗き込んで言う。


「最近、授業進むの早くない? 予習の量、半端ないよね」


「美月よく当てられるから、手抜けないしね」


 桜は少しだけ意地悪な笑いを浮かべる。美月はため息をついた。


「寝てるのバレてんのかな。桜は全然当てられないよね。いいなあ」


「おまじないしてるもん」


「おまじない?」


 訊き返すと桜は少し得意そうに胸を反らせた。


「心の中で呪文唱えながら先生に向かって九字を切るの」


「クジ? なんか嘘っぽくない?」


「結構効果あるんだって」


 桜が言った途端、美月の携帯が鳴った。結衣からの着信だ。


『今、一人?』


「え?」


 突然尋ねられて、どう答えていいか分からず、美月は一瞬口を閉じる。

 結衣はそれだけで傍に桜がいると分かったようだった。

 もしかしたら、桜がいるかもしれないからそんなことを訊いたのかもしれない。


『一つだけ言っときたいことがあって』


「うん?」


『私の親友、美月だけだから。だからメール回して欲しくなかった。回す相手、いないから』


「そっか」


『それだけ』


 電話は唐突に切れた。挨拶も何もあったものではない。いつものことなので気にしないようにしている。

 気にしていたら友達ではいられない。


「電話、誰から?」


「結衣」


 桜の顔が曇る。


 辛いんだろうな、と美月は心底同情する。

 友達同士の仲間はずれや無視は、どうでもいい連中から同じことをされるよりずっと辛い。

 美月にも経験はある。まだ小学校の時だが、些細なことでそんな目に合った。


 だが今回は、美月が経験した被害者一人に加害者多数という図式ではない。


 桜と結衣の関係は違う。


「今度、結衣に訊いとく」


「ありがとう」


 桜が遠慮がちな笑みを浮かべる。

 美月は教室を出た。


 結衣は理由もなく人を傷つけたりしない。

 どんな嫌な子とだって、ちゃんと会話する。

 その結衣が桜だけを無視するなんておかしい。

 きっと何かあるはずだ。

 誰にも打ち明けられない深刻な理由が。親友だと言ってくれた美月にも打ち明けられない何かが。

 私が、しっかりしなきゃ

 美月は大きく頷く。

 結衣の言葉を受け止められるのはきっと自分しかいないのだから。



 メールがあった日から三日目の朝。

 美月はまだ桜との間で何があったのか、結衣の口から聞き出せていなかった。

 あいかわらず、結衣は顔色悪く、その話題になると口を閉ざしてしまう。

 いよいよ深刻で、そうなってくると構えてしまって気軽には尋ねられなくなっていた。


 二人だけになった短い時間でそちらの方向に話を進めていこうとしているが、その『二人の時間』というものがない。


「おはよ、結衣」


 今日は挨拶と同時に結衣の肩に抱きついてみた。

 一瞬緊張して強張った結衣の肩から力が抜け、美月と目を合わせる。


 結衣はあまり人に触れようとしない。

 美月は人の肩を叩いたり手を繋いだりするのに抵抗はないが、結衣は美月にすら触れようとしない。

 人との接触を避けているとしか思えない。

 海渡にノートを手渡すという作業もどことなくぎこちなく見える。

 一方の海渡は全く意に介さずに次から次へとノートを要求していた。


「おはよう、美月。暑いんだけど」


「ごめんごめん」


 人形のように整った顔立ち。大きな目がまっすぐに美月を見ている。少し充血しているように見える。

 気のせいだろうか。


「目の下にクマ出来てるよ。大丈夫、結衣?」


「試験、明日からだから」


 にこりともしない結衣の顔をもう一度見る。少し、痩せただろうか。


「ねえ、結衣。何か悩みとかあるの?」


「大丈夫。心配しないで」


 呟くような返事。尋ねれば何か反応は返してくれる。

 だが、結衣が自分から何かを発することがあっただろうか。


「何かあったら、言ってね」


 結衣の目元がふと緩む。


「ありがとう」


 親しみと優しさがこめられている声に、美月は少し満足して頷いた。


 予鈴が鳴る。


 一時限目は選択授業だった。

 クラスの中でも音楽、美術、国語表現で三分割される。

 一番人気は美術で、次が音楽。国語表現は残り物だった。

 美月と結衣は残り物。桜は美術で、祥子と香奈は音楽。三人はもうそれぞれの教室に移動している。


「行こ」


 美月は結衣に声を掛ける。ノートと教科書を持って隣の教室へ移動した。

 二人が席に着いてすぐ、教室の戸が乱暴に開けられた。


「西嶋!」


 怒鳴り声と共に飛び込んで来たのは海渡だった。教室の目がいっせいに海渡と結衣の方へ動いた。


「おまえの絵、破られてるぞ!」


 結衣の目が一瞬、見開かれる。


「来い!」


 海渡はそれだけ言うと先に走って行ってしまう。


「結衣」


 美月の声に結衣は立ち上がる。椅子が大きな音を立てて後ろへ転がる。

 結衣は慌ててそれを元に戻すと、一度教室を見回した。

 さっと目を逸らす者、興味しんしんでこちらを見ている者。

 だが、結衣に何か言ってくる者はいない。

 巻き込まれたくない。けれど興味はある。そういう心境だろう。

 もし結衣が美月の友人でなかったら、美月もそういう態度を取っていたはずだ。


「とにかく見に行こう」


 美月は結衣の手を引いた。結衣が頷く。教室を出ると国語表現の教師と鉢合わせた。


「どこ行くんだ?」


 体育教師かと思うようなジャージ姿の熊田は野太い声を出した。

 現代文と表現と、美術や音楽を選択した生徒と比べると美月や結衣は熊田と顔を合わせる回数が多い。

 気さくでいい先生だが、体が大きいので美月は少し苦手だった。


「あの、絵が破られてるって聞いて」


 黙っている結衣を盾にして美月が答える。


「西嶋は美術部か」


 熊田は一人で納得したように頷くとこちらを手で追い払うような仕種をする。


「出来るだけ早く戻って来いよ」


 教室に入ってドアを閉めた。結衣がその背中に向かって頭を下げる。

 歩き出したのを見て、美月も後を追いかける。後ろの教室で拍手が起こる。粋な計らいに感激した生徒がいたのだろう。


 美月達の学年は特にノリがいいと評判だった。文化祭や体育祭では異様な程盛り上がる。

 目立った不良もおらず、おっとりした学年だった。大きな問題も起こしたこともない。少なくとも、今までは。

 足早の結衣について行こうと小走りになる。結衣の顔から血の気が失せている。

 美月が一緒に歩いていることにも気付いていないような早足。

 美術室に入ると、人だかりの外側の人間が振り返った。


「美月! 結衣!」


 桜が二人の名前を呼ぶ。


「結衣の絵って?」


 尋ねると二、三人が同時に人だかりの中心を指で示した。見えない。

 どいて、と言おうと口を開くより先に、結衣が前に出た。


「見せて」


 低いが、はっきりした声だった。

 絵の真ん前に立っていた海渡が戸惑うような表情を見せたが、気まずそうに結衣から目を逸らすと一歩、横へ下がった。


 屋上から町を見渡した風景画。水彩画特有の淡い色使い。薄い水色で描かれた空が印象的な絵だった。

 その空も、小さく描かれた町並みも関係なく、斜めに走った線。境目にはキャンパスの板が見えていた。

 毒々しい赤色の花が、紙と板の間に刺さっていた。


「あの花」


「確か、芥子の花だよ」


 美月の問いに桜が答えた。


「芥子?」


 美月が言った途端、美術室の中にざわめきが広がる。


「芥子って、あのチェーンメールの?」


「あ、私もそれ回ってきた」


「三日後に死ぬってやつでしょ?」


 結構回っているらしい。

 結衣が不意にキャンパスに向かって手を伸ばした。

 その指が花に触れるか触れないかという時、花は頭から床に落ちた。

 教室のあちらこちらで悲鳴が上がる。


 結衣は落ちた花を見た。

 ひょろひょろと長い薄い緑の茎の先に、派手な花がついている。

 芥子の花をはじめて見た美月には、ただ気持ち悪いだけの赤色。葉のついていない茎もただ異様に見える。


「怖くない」


 ぽつんと結衣が呟いた。その目は吸い寄せられるように落ちた花を見ている。

 焦点があっているのかどうか、美月には確かめられなかった。


「西嶋?」


 海渡が声を掛けて顔を覗き込む。結衣は首を横に振った。


「見えてる物は、怖くない」


 騒いでいる連中には聞こえない、小さな声。


 キャンパスの下には花とカッターナイフが落ちていた。

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