チェーンメール
中野 美月は携帯電話を持っていた。
毎月の基本使用料は親持ち、それ以上使うと小遣いから引かれることになる。
高校生の小遣いは少ない。そこから引かれると更にわびしい。
極力使わないようにしていたが、それでも毎月二、三千円は小遣いが少ない。
風呂から上がって携帯を見ると、メールが一件入っていた。
昨年、同じクラスで、一番仲の良かった神田みのりからだ。二年になってクラスが離れた為、疎遠になっていた。
珍しいこともあるものだ。
件名は〝こんな話知ってる?〟だった。
FWがついているということは転送メールだ。
少し嫌な予感がしたが、昨年の友のメールだ。開けないわけにはいかない。
タイトル こんな話知ってる?
本文
昔、すっごく綺麗な女の人で「咲」って人がいたんだけど、恋人を親友に盗られちゃったんだ。
で、刀を持って、二人の所に行って親友も恋人も首切って殺したの。
その後、咲は捕まって死刑になるんだけど、刑場に行く途中の芥子の花畑で自分の帯で首を絞めて自殺しちゃったの。
この話を馬鹿にした子は皆、首を絞められて殺されます。
本気にしてなかった彩子はメールが来て三日後に死にました。
また、このメールを明日のうちに親友二人に転送しないと、あなたの親友のうち誰か一人に芥子の花が贈られ、贈られた人は花が届いた日から三日後に首を切られて死にます。絶対に止めないでください。
なんて性質の悪いチェーンメール。
いつものように削除しようとして美月はふと手を止める。
確か、先週死んだ三年生がこんな名前ではなかっただろうか。
担任の榊先生は、交通事故と説明していたけれど、本当はどうなのだろう。
もし、事故が嘘だとしたら、このメールは気になる。
とにかく、明日友達に相談しよう。
それから、みのりにも文句を言おう。いきなりこんなメールを送るのはあまりにも失礼だ。
今月もかなり通話している。
こんな事になるなら節約しておけばよかった。こんな歯がゆい思いをしなくて済んだのに。
美月は小さくため息をついた。
予鈴の十分前が美月の登校時刻だった。
結衣と桜はもう来ているだろう。先に二人に話すべきだろうか。
祥子と香奈はいつも予鈴ぎりぎりで駆け込んで来る。皆が揃うまで待とうか。
下足室でクラスメイトの浜崎 海渡と出くわした。二日おきぐらいにここで顔を合わせる。電車の時間が近いのかもしれない。
「おはよう、浜崎君」
「おはよう」
朝から愛想がないが、いつもの事なので気にしない。
海渡はサッカー部のレギュラーでキーパーらしい。
やたら背が高くて大きな体をしている。
顔は美月の好みではないが、一年の女子の中でファンクラブが出来るぐらいなのだから、一応イケメンには入るのかもしれない。
二年の女子の中でファンクラブのあるバスケ部のキャプテンは間違いなくイケメンだと思うが、浜崎ははっきり言って微妙だと思う。
キーパーというポジションが大きく加味されたイケメンという気がしてならない。
もしキーパーでもなくレギュラーでもなかったらファンはいないと思う。
海渡は失礼なことを考えている美月を置いて、教室に向かっていった。
下足室で一緒になったからと言って、一緒に教室まで行くことは考えない性格らしい。
クラスメイトと親交を深めようとは思わないのだろうか。
サッカー部の仲間とは気軽に肩を叩いて挨拶したり殴りあったりしているので、一匹狼ということでもなさそうだが。
まさか女子より男子の方が好きという部類なのだろうか。
浜崎という男子は、美月にはいまいちよく分からないクラスメイトではある。
職員室の前を通り過ぎようとして、美月は見知った顔を見つけた。
「おはよう、祥子」
少しきつい顔立ちの友達は一拍間をあけて「おはよう」と返してきた。
祥子の隣には榊が立っている。祥子のよき相談相手は目下、この榊だった。
「おはようございます、榊先生」
「おはよう」
榊は優しい顔に気弱そうな笑みを浮かべている。
美月はこの弱そうな担任が苦手だった。
どうして祥子がこの先生に相談をするのか分からない。
祥子の親友の香奈の方が、よっぽど頼りがいがありそうなものだ。
確かに、優しい人だとは思うけれど。
と、祥子の視線が険しい。そう言えば祥子は榊と話しているのを邪魔されるのが嫌いだった。
「先、教室行ってるね」
祥子の肩を軽く叩いて美月はその場を退散した。
教室に入って近くにいる級友に声を掛け、仲良しを探す。すぐに桜を見つけた。
「おはよ、桜」
窓から外を眺めていた桜の肩を叩く。振り返った桜は、桜色の頬を上げてにっこり笑った。
「おはよう、美月」
「桜、物理の宿題やって来た?」
「うん。美月は?」
「ばっちり。戸田っていつも私当てるでしょ? 物理だけはね」
本当を言えば数学も宿題があったのだが、こちらは当たらないので問題集を開いてもいない。家に持って帰ってもいない。
結衣の席を見る。
いつもならそこに座って本を読んだり予習の残りをしていたりするのだが、今日は座っていなかった。
教室を見渡す。
「ノート、返して」
結衣が海渡に向かって手を差し出す。海渡は鞄からノートを出して結衣に渡した。
「あと、古典も貸してくんねぇ?」
結衣は頷きもせずに自分の席に戻ると、今度は別のノートを海渡に手渡した。
結衣は変わり者で有名だった。
昨年の入学式の日、校長の話そっちのけで小説を読み続けて、いきなり名指しで怒鳴れていた。
だから、クラスは違っても結衣を知っている人間は多い。
美月もそうだった。
今年、同じクラスになって一番最初に話し掛けてくれたのが結衣で、無表情で多少とっつきにくいが悪い人間ではないことが分かるとすぐに仲良くなった。
今では無二の親友と言ってもいい。
「もうすぐテストだもんね」
桜が呟いた。心なしか寂しそうな笑顔だ。
桜は大人しい。美月に結衣、祥子と香奈を入れた仲良し五人組の中で最も大人しい。
いつも穏やかに微笑んでいる。少し頼りないが、美月は好きだった。
「結衣字ノートも出回ってるもんね」
美月は桜と顔を見合わせて笑った。
居眠り率の高い授業でも結衣が寝ているところは見た事がない。
だからテスト前になると結衣のノートのコピーが大量に出回ることになる。
美月も地理や生物のノートを見せてもらったりする。
しかし、結衣のノートで勉強した奴が結衣より成績がいいというのは、ちょっとおかしいと思う。
当の本人が気にしていない事を美月がとやかく言えるわけがない。が、釈然としない。
「後で皆に相談があるんだけど」
言うと、桜の真っ黒い瞳が少しだけ見開かれた。すぐに優しい笑みに変わる。
「分かった」
「おはよう、美月」
海渡の席から離れた結衣がこちらを見て立っていた。
「おはよう」
挨拶を返しても表情は変わらない。黙ってこちらを見返しているところなど、こけし人形がそこにいるかのようだ。
それでもよく見ると、切れ長で黒目がちの瞳が機嫌は悪くない事を物語っているので、いつも通り、表情を表に出すのが苦手なだけなのだと思う。
結衣はそれ以上は何も言わず、席に戻った。