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更衣室

 桜がお守りの鏡を忘れたと言い出したのは、結衣が公園を出た直後だった。

 不安そうな顔でいる桜を放っておけず、美月は盛り上がっている連中を置いて学校まで来た。


「鏡ってどんなの?」


「手鏡。丸くて、黒地に桜の花が描いてあるの」


 教室の中を探しているが、一向に見つからない。


「ねえ、本当にどこに置いたか覚えてないの?」


 いい加減腹が立ってきた美月は、少し尖った声を出した。桜はいい子だが、おっとりし過ぎだ。


「テストの前の日って、体育あったっけ?」


 桜は考え込むように顎に手を当てている。美月はぽんっと手を打った。


「そっか、更衣室!」


 そういえばプールがあったっけ、と勢いよく立ち上がると机に頭をぶつけた。


「いったあ」


「大丈夫?」


 桜が心配そうな顔で覗き込んでくる。


「うん。大丈夫」


 なでさすりながら答えると、桜が心底ほっとした顔をする。

 思わず苦笑した。結衣もそうだが桜も心配性だ。

 それだけ親しまれているのは悪い気はしないが、桜は時々息苦しい程干渉してくる。

 独占欲、とでも言うのだろうか。彼氏になった人は苦労するだろうな、と少し同情した。


「行こ」


 桜が美月の腕を引く。氷のように冷たい感触に身を引いた。


「美月?」


「ごめん、桜の手、すごく冷たいからびっくりしちゃった」


「そう? 私、冷え性なのかな。あんまり考えた事ないけど」


 自分の手を不思議そうに見つめている。美月は言いにくい事を今のうちに話しておこうと覚悟を決めて息を吸い込んだ。


「あのさ、桜。結衣の事なんだけど」


「うん?」


 教室を出ながら桜は先を促した。


「まだ、話出来てないんだ。ごめんね。結衣、自分の話、したがらないから」


「もう、いいよ。別にどうってことないし」


 桜が本当にどうでもいいように言うので、美月は少しほっとした。


「結衣なんて」


 暗い廊下に吐き捨てるような小さな言葉が響く。非常灯の緑色がぼんやりと前に見える。


「美月、結衣なんて絶交しなよ。あんな子と一緒にいたっていい事ないよ」


「桜! そんな事ないよ。確かに結衣は桜にひどい事してるよ。無視したり、誘わなかったり。でも、結衣の話聞かないうちからそんな事言ったら駄目だって」


「でも、あんな暗くて気持ち悪い子、美月にふさわしくない」


「じゃあ、自分だったらふさわしいと思ってるの?」


「思うよ! 私だったら」


「思い上がるのやめなよ!」


 怒鳴った瞬間に、桜の顔色が変わった。しまった、と思うがもう遅い。桜は俯いてしまう。


「ごめん、桜」


 謝罪の言葉がひんやりとした廊下に落ちた。無言が続く。

 どう言えば桜が機嫌を直してくれるだろうかと思案を巡らせていると、桜の方が口を開いた。


「美月、私の事、嫌い?」


「そんな事ないよ! 全然! さっきのはついカッとなっちゃっただけで」


「本当?」


 泣きそうな顔で尋ねる桜の顔を、非常灯が緑色に染める。美月は目を逸らしながら頷いた。


「よかった」


 桜は鼻歌を歌いながら歩き出す。美月も後ろについて歩いた。二人分の足音が廊下を移動していく。


 部活の時間は基本的に七時までだ。校内には教師しか残っていない。


「桜、そのお守りの鏡、いつから持ってるの?」


 桜が足を止めてこちらを見た。


 瞬き一つせずに黒い目がこちらを見た。


 違う。こちらの方を見てはいるが、その目には美月は映っていない。

 美月の向こうにある廊下の闇を見ている。

 そんな気がする。


「あ、言いたくなかったらいいんだ、別に」


 美月は笑って誤魔化してから更衣室の戸に手を掛ける。


 普段は施錠されているが、水泳部が閉め忘れたのか簡単に開いた。湿った空気と塩素の匂いに顔をしかめる。


「何か、開いちゃった」


 美月は上履きと靴下を脱いで中に入った。

 床が濡れているので靴下では上がりたくない。

 授業の時は教室を出る時に靴下を脱いでから出るのが習慣だ。

 明かりを点けるとむき出しのコンクリートの壁に水滴が付いているのが分かる。


「どの辺使ったの?」


 ロッカー全体を見回してもそれらしい物はない。

 まあ、すぐに分かるような床に落としてることはないだろう。

 一つ一つロッカーを見て回る事になるな、と美月は桜を見た。

 桜は奥のロッカーを見ていた。

 美月は手近なロッカーから中を一つずつ覗いていく。

 木製で錆びないのは結構だが、なんとなく湿っているのが嫌だ。

 奥の方はなんだかカビが生えていそうな雰囲気で深入りはしたくない。


 突然、携帯の着信音が鳴った。

 結衣からの電話だ。

 用事が終わって公園に戻って来たのかもしれない。

 通話ボタンを押そうとすると、桜に腕を掴まれた。


「何? 桜」


「出ないで」


「え? 何で? 結衣からなんだけど」


「独りにしないで」


「ちょっと桜」


 冗談止めて、と言い掛けたが、そのまま動けなくなった。桜の黒い目がこちらを見ている。


「どうして結衣なの?」


「桜?」


「どうして結衣なの? 私だけの友達でいてよ」


 着信音が止んだ。だが、桜の手の力は弱まらない。


「美月は私の親友でしょ?」


 気圧されて頷く。桜はようやく手を放した。くっきりと指の跡が赤くなっている。

 一体どれだけの力が込められていたのだろう。


「桜、どうしたの? 何かおかしいよ」


 恐る恐る尋ねるが、桜はこちらに背を向けたまま鼻歌を歌っている。視線は奥のロッカーの一つに絞られている。


「ねえ、桜」


「私ね、いつもここ使ってるの」


 桜が指で示した場所は奥の一番下の箱だった。


「使いにくくない?」


「ここしか使わせてもらえないんだもん」


「決まってないんだから、好きな場所取っちゃえばいいのに」


「いいんだ。それでもしん君はそんな事気にしないって言ってくれたし。私にも、都合いいし」


「伸君って誰?」


 桜は美月を振り返ると小さく笑った。また、背中に冷たい物が走ったが、美月は桜の隣に座り込んだ。


「ねえ、誰? 彼氏? 何組? もしかして、別の学校?」


 桜は笑顔のまま答えない。


「ねえ、教えてよ」


 軽く桜の肩に触れる。

 手の平に貼りつく、水の感触。手を見る。ぬるぬるとした液状の物が手に残っている。鼻につく塩素の匂い。

 桜を見た。制服が濡れている。全身、シャワーを浴びた後のようだ。


「なんで濡れてんのよ」


 両肩に手を置いて、今度はその冷たさにぞっとする。


「ねえ、美月、私達、友達だよね」


 桜に突然、Tシャツの裾を引っ張られる。


「こっち、来て」


 桜は手を放すと立ち上がった。

 シャワー室に向かって歩き出そうとする。

 美月は尻餅をついたまま桜を見上げた。


 変だ。おかしい。桜が、おかしい。


「ねえ、美月、来てよ」


 手を差し出される。だが、その手を握れない。体が痺れて立ち上がれない。


「ねえ、美月、来てよ」


 手を引かれた。そのまま引きずられる。


「やめて、桜」


 声が震える。


「美月!」


 結衣の叫び声が聞こえた。乱暴にドアを叩く音。


「開けて! 美月!」


 閉まっているはずがないドアを、外側から開けようとしている。


「中にいるんでしょ? 美月!」


「結衣」


「美月、返事して!」


「ここにいるよ、結衣」


「別の場所なんじゃねえか?」


 何故か海渡の声がした。ドアのすぐ近くだ。


「結衣! ここにいるよ!」


 叫んで、桜の手を振りほどく。


「結衣!」


「鍵取って来て! 早く!」


 切羽詰った結衣の声の後、足音が一つ遠ざかっていく。


「結衣! ねえ、結衣!」


 呼んでも返事がない。

 代わりに携帯が鳴った。桜が手を伸ばすより早く通話ボタンを押す。


「美月! 今、更衣室だよね」


 電話からと、外からの声が同時に耳に届く。


「うん。桜と一緒だよ」


「よく聞こえない! 美月!」


 結衣の声が叫ぶように廊下にこだまする。

 何をそんなに必死になるのか分からない。

 だが、結衣が本気なのは分かった。ふざけてそんな事が出来る人間ではない。

 美月が一番よく知っている。


「美月、私の声が聞こえるなら携帯の画面叩いて」


 言われるままに、美月は爪の先で画面を叩く。カチカチという小さな音がする。


「よく聞いて美月」


 幾分、落ち着きを取り戻した結衣がゆっくりと話し出す。


 桜は俯いたまま顔を上げない。

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