洋
「結衣!」
「ごめんね、香奈。途中で抜けて」
「む……やるじゃん、浜崎」
二人で戻ったのを勘違いしたらしい香奈が結衣を肘で突く。
「浜崎君がどうかしたの?」
結衣の受け答えは淡々としていて、とても先程まで泣いていた人間とは思えない。
海渡は後ろを見た。洋は見えない。
公園を出てすぐにうずくまっている結衣を見つけた。
近付くと嗚咽を噛み殺している結衣の背中が震えているのが分かった。
声を掛けようとして、何を言っていいか分からず、ただ立っていた。
しばらくして、結衣の方が海渡に気付いた。
「戻らないの?」
うずくまったまま、顔さえ上げずに結衣は言った。
「西嶋が戻るんなら戻る」
少し考えて出た言葉がそれだった。
「そう」
結衣はまだうずくまっていた。
「西嶋は洋の事」
はっきりと言葉にするのは何故かためらわれた。
認めたくなかったのかもしれない。
自分が原因だと分かっていたから、口に出したくなかったのかもしれない。
「分かってたのか」
結局、言葉を濁してしまった。やや間があって、結衣が頭だけで頷いた。
「何で放っといたんだよ」
もっと違うことが言いたかったはずなのに、そんなことを言ってしまう。
「人の気持ちなんて、どうしようもない」
鼻声が返ってくる。
「どうしようもないって、おまえもう少しで死んでたんだぞ?」
つい、きつい口調になってしまった。結衣は首を横に振る。
「いいと思ってた。でも、間違ってた。私、もう少しで友達を殺人犯にするところだった」
全て過去形だった。
もう、結衣の中では終わった事になっているのだろうか。
今も泣いているのに、本当に過去にしようとしているのだろうか。
それは少し悲しいと思った。
結衣は自分の気持ちさえ伝えられていないのだ。
それをこんな形で、ただ傷ついただけで終わってしまうのは、可哀相だと思った。
「止めに来てくれてありがとう」
結衣が立ち上がってこちらを見る。
泣いていたと分かるのは赤くなった目と残った鼻声だけ。
「ありがとう。戻ろう」
先に立って歩き出す。慌てて追う。
少し後ろから見る横顔。
いつも、この顔を見ていたような気がする。
隣に立つことも、前に立つことも出来ずに、追いかけていただけのような気がする。
「どうして、あの場所が分かったの?」
「え?」
結衣がこちらを見上げていた。並んでみると結衣が思いの小柄な事に気付く。
「勘」
本当の理由は言えない。だからそう言った。
美月から結衣が誰かと約束していると聞いた瞬間、真っ先に洋を思い出した。
そしてあの公園に向かった。
洋が、自分を待ち伏せていた場所だった。洋が結衣を呼び出したとしたら、あそこしかないと思った。
洋が結衣を憎んだ原因は、自分以外ない。思い上がりでも何でもない。
あの時の洋は何かを思い詰めていたように見えた。それがまさかこんな形になるとは思わなかった。
分かっていたら、もっといい言葉を選んでいた。決して結衣の名前を出したりしなかった。
悔やんでも後の祭りだ。自分は結衣の命は救えたが、気持ちまでは救えなかった。
「なんでかな」
結衣が呟く。それは海渡に対してというよりは、今いない洋に対しての言葉のようだった。
「うまくいかないね」
そして、小さなため息。
思わず、結衣の右手を握っていた。
結衣が好きになったのは、洋。
洋が結衣を傷付けても、それは変わらないのかもしれない。
こうして海渡が手を繋いでも、それは変わらないのかもしれない。
「俺に殴られてんだから、あいつも頭冷えただろ。また元通り仲良くなれるんじゃねえ?」
希望的観測だ。だが、結衣が望むならそれを叶えてやりたいと思う。
それが結果として海渡の希望とは違う方向に行ってしまったとしても。
「ありがとう」
立ち止まった結衣が言う。その視線が自然と繋いだ手に移る。
「ごめん」
謝ると結衣と目が合った。ゆっくりと手を放す。結衣は視線を動かさなかった。
指が完全に離れても、人形のように大きな目でこちらを見ていた。根負けしたのは海渡だった。視線を落とす。
「俺ならいつでも、相談乗るから」
俯いたままそれだけ伝えた。
「ありがとう」
顔を上げると結衣が微笑んでいた。泣きそうな顔だと思った。
「メール、するね」
少しがっかりしたのは事実。それでも嬉しかった。並んで歩いた。
公園に着いて早々に香奈に見つかった。
「香奈、美月は?」
結衣が公園を見回す。
花火で大騒ぎしている中に、美月の姿が見えない。
「あぁ、何か学校に忘れ物したって一緒に取りに行ったよ。そういえば遅いな。結衣が抜けた直後だったから、一時間は経ってるのに」
「誰と?」
結衣の疑問に香奈は首を傾げた。
「誰と一緒だったっけ? 祥子、じゃなくて」
結衣が香奈の両肩を掴んだ。
「サクラ?」
はっとしたように香奈が頷いた。
「そうだ、桜だ! 何で忘れちゃったんだろ……どうしたの結衣?」
結衣が眉根を寄せて学校のある方向を睨んでいた。
「ごめん、香奈、自転車貸して。私、学校見て来る」
「え?」
結衣は香奈の当惑を無視して携帯を耳に当てる。
「駄目だ。出ない」
「西嶋?」
海渡が声を掛けたが一瞥をしただけで結衣はすぐに香奈を見た。
「鍵!」
「う、うん」
勢いに押された香奈はポケットから自転車の鍵を出すと結衣に渡す。海渡はそれを横から取り上げた。
「俺がこいだ方が早いだろ。井上のどれ?」
「その赤い奴」
結衣の手を引いて公園を出る。
「傷付けたら怒るからね!」
後ろで香奈が叫んだ。