公園で
浜崎 海渡を部活帰りに待ち伏せたのは、これが初めてではなかった。
角を曲がって海渡がやって来る。声を掛けようと口を開いた瞬間、海渡の方が軽く手を上げた。
「よぅ。何やってんだ?」
高二になって同じクラスになった。
それまではサッカー部で活動しているのを遠くから見ているだけだった。
けれど、もっと近くにいたいという思いは、距離が近づけば近づくほど、話をすればするほど強くなる。
自分ではどうすることもできないところまで来てしまった。
自分がこんな思いを抱く日が来るとは思わなかった。自分はもっと、人に対して興味がないと思っていた。
「少し時間、あるかな?」
不自然にならないように祈りながら笑いかける。海渡は日に焼けた鼻の頭を掻くと、少し面倒臭そうに頷いた。
海渡が面倒臭がらないのは部活の練習だけ。知っていても不安になる。このまま嫌われてしまうのではないか。そう思うと足が竦む。
「ドリンク買っていいか?」
公園に入ってすぐ海渡が言った。こちらの返事も聞かず、自動販売機に向かって歩いて行ってしまう。
公園の外灯が黄色っぽく海渡の背中を照らしていた。
もしかしたら、これが最後になるかもしれない。もう、口もきいてもらえないかもしれない。指の先が痺れた様に冷たくなってきた。
そのくせ、手のひらには汗をかいているのだから、自分の中の矛盾が嫌になる。
「やる」
海渡はお茶のペットボトルを一本、こちらに差し出した。
「あ、ありがとう」
声が裏返った。妙に思われただろうか。海渡の顔を盗み見る。
こちらの様子などお構いなしに、海渡はペットボトルの中身をほぼ一息に飲み干した。
自分がお茶しか飲まないことを海渡は覚えていてくれた。もったいなくて蓋を開けられない。
冷たいペットボトルを握り締めていると、海渡がこちらを見た。
「で、何?」
心臓が痛い程、存在を主張している。手の中でペットボトルがみしみしと音を立てた。息を止めて唾を飲み込む。
「好きな人、いる?」
怖くて、顔は上げられなかった。ペットボトルはぎしぎしときしみ、息苦しさに頭が痛くなった。
頭の上で、海渡のため息が聞こえた。
「いる」
目の前が暗くなった。しゃがみたい衝動をかろうじてこらえる。
「それは」
「お前じゃない」
言いかけた言葉を遮られた。立っているだけで精一杯だった。
「ごめん。悪いけど、お前じゃない」
繰り返される言葉に耳を塞いでしまいたい。体が言うことをきかない。
どうすることも出来ずに突っ立っている自分は、どうしようもなく愚かだと思った。
「ごめん」
海渡はもう一度小さく謝った。
どうして謝るの、と訊ければ良かった。
戸惑わせたのはこちらなのに、言いにくいことを言わせたのはこちらなのに。
謝らないといけないのは自分なのに。
海渡は優しい。だから好きになった。一緒に幸せになりたいと思った。
けれど、海渡の幸せは別の場所にあるのかもしれない。
海渡が言うのだから、きっとそうだ。でも、だったら、どうすればいいだろう。
海渡の笑顔が好きだった。楽しそうな顔が好きだった。それを見るには。
「誰か、訊いてもいい?」
湿っぽくならないように、出来るだけ笑顔を作る。声が枯れたのは仕方がない。それでも精一杯の笑顔。
海渡は黙っていた。
「応援、させてよ」
それが、自分に出来る唯一のことだから。応援するのが幸せだから。
「……マ」
「え?」
「西嶋」
耳が痛んだ。心臓が冷たくなった。大声で喚きたくなった。だが、意に反して、顔は笑顔のままだった。
口がまるで自分の物ではないように饒舌に回り出す。
「小学校から一緒だよ。アドレス、教えようか?」
「いや」
海渡が大きなため息をついて肩を回した。
「こういうの苦手だわ」
投げやりな口調が照れ隠しなのはすぐに分かった。分かりたくなかった。
「でも、どうして? あんまり、話もしないのに」
「まあ、な」
照れたように少し笑うと、海渡は鞄を持ち上げた。
「じゃ、俺、帰るわ。またな」
「うん。また明日」
背中が去っていく。大好きな背中が見えなくなる。振っていた手はそのまま外灯を叩いた。鈍い音が空気を震わせる。
同じなのに。同じ時間だけ同じ教室に居たのに。
何故、西嶋なのだろう。何故、自分は選ばれないのだろう。何故、あんなに無愛想で可愛げのない子を。
別の子なら、まだ許せた。応援出来た。
西嶋 結衣だから許せなかった。
結衣は近過ぎた。自分に近過ぎた。
ずっと一緒にいたのだ。海渡と知り合う前から結衣とは一緒にいた。
結衣を見ていた海渡は絶対に自分も見ていたはずなのだ。
何故、彼女だけが特別なのだろう。どうしてそれは自分ではなかったのだろう。
結衣だから許せなかった。許せない。許すものか。
同じように育ってきた。結衣の事はよく知っている。
大して美人でもない。可愛い性格をしているわけでもない。
結衣は滅多に笑わない。結衣はいつも人を小馬鹿にしたように無表情だ。
何か特技を持っているのでもない。少し陰湿な、普通の子だ。
自分と大差ない。いや、同じだ。彼女の真似など容易い。
もし彼女がいなくなったとしても、彼女になることなど簡単だ。
彼女がいなくなっても何の影響もない。彼女になる事などとても簡単だ。
そう、とても簡単な事だった。