サンセットビュー
サンセットビュー
今でも主な趣味の一つであるサイクリングですが、
これは、自転車での長距離移動が好きで好きでたまらなかった頃のお話しです。
社会に出て数年が経過し、任された仕事も迷惑をかけないで、そつなくこなせるようになった、
そんな20代半ばの頃の、「これってもうさぁ。。。」の鮮烈な情景の記憶です。
暇でしたら、付き合って下さいね。
残業、徹夜、残業の、約半年を費やた期日内完遂絶対厳守!プロジェクト完了の目処がやっと立ち、
進捗に追われ続けた過酷な労働環境からも、どうやら解放される日もそろそろな九月中旬にそれは行われました。
これまでは、誘われなくとも勝手に参加していた程の、ロードツーリング馬鹿でしたが、
ここ半年の間はそんな状況でしたので、走っても近所の川沿いとかを十数キロとかの、みじめな状態でした。
そんな精神的にも体力的にもきついさなかだった、連日酷暑の八月の初旬に、この様な連絡が有ったのです。
「今度、俺等の地元で、九月の連休に有志を募って外房沿いをメインで走るんだが、君等も参加しないか?」と。
この趣味をすでに7年も続けている自分は、遠出をしては、いろいろな場所で出会いがあり、
だからごく自然と同じ趣味の知り合いも出来、そうやって増えた、そんな知人の一人からの連絡でした。
普通なら、当然、即その人の携帯電話に「絶対に参加する」と言う所なんですが、
八月に入っても、まだまだ予断の許さない、このプロジェクトの進捗状況。
これは自分個人ではどうにもならない類の、そういう何十人が係わっている、かなり大規模な、
現在稼働中のコンピュータシステム一部仕様変更のプロジェクトだったので(実際自分も2人の部下を使っていた)、
その時点だと即答ができないので、仕方ない感じで、こう知人に伝えました。
「自分はちょっと今は返事が出来ないが、俺の友達はきっと喜んで行くだろうから、詳細は奴と話して欲しい」
そう言って、その時は一緒にこの趣味を始めた高校時代の友達に、本来ならこの嬉しい件について全部を任せました。
元々は高校時代のクラブの仲間と一緒に始めたこのスポーツ。
高校時代の3年間を費やした、バドミントンというスポーツでそれなりの結果を残し、
そのおかげで、自然と出来上がった体は実際かなりの物でした。
卒業後は浪人の道を選んだ一人以外は、将来の明確な目的もあまり考えないで、受かった大学にそれぞれ進みました。
そこではもう自分もそんな友達達も今更、体育会系の臭いがプンプンする部活などに入る気はさらさらないようで、
そしてバドミントンは既にやりきった感が有ったので、たまにやる趣味程度ならともかく、
そこは大学に行ってまでやると言う気も失せて居ましたよ、自分も友人達も。
だが適当なスポーツはこれからもやりたいと言う事での意見は一致していて、さてどうしよう?と皆で話して居ましたよ。
で、たまたま自分が深夜連日BSで放映されて居たそれを何時間も見て、その苛烈なロードレースという競技に感激して、
高校卒業と同時に安いロード用の自転車を購入したのきっかけに、別に一人でも出来る、そんな都合の良いスポーツなので、
友達数人もそれに追随してくれて、元女子バドミントン部の仲間も数名がそこに合流して、チームを作ったのが始まりです。
従って大学では結構真面目に専門的な知識吸収するべく講義を受け、適当にぬるいサークルなどに所属をし、
そこで新たな友達作りをして、そして遊ぶのに必要な金を捻出する為に割の良いバイトにいそしんでいました。
あ、すみません、話しが脱線しましたね、続けます。
とにかく参加希望なのは確かなので、行けるかどうかは別としても、一応そんな長距離ツーリングに耐えられるように、
そこからは忙しい合間を縫って、でも帰宅後の夜の高速走行は危険なので、
夜間にローラー使ってゴロゴロと近所に迷惑な音を立てながら、体を仕上げてました。
※ローラー ランニングマシンの自転車版みたいな代物です。
どの道、「皆さん、八月はお盆休みは無いと思って下さい」と、早々にプロジェクトリーダーからそう言われて居たんで、
意地で近所の県営プールには一回行きましたが、既に夏のバカンスなどは元から諦めて居る訳で、
海水浴やキャンプなどの楽しい行事は、今年の夏に限っては金と時間が有る若者達や、団欒家族な人達とかの、
そんな特権階級だけが楽しめるの為のレジャーなんだよ、と、すげー僻み根性丸出しでしたから。
とにかく、その年のゴールデンウィークでさえ、実際休み一日確保がやっとでしたし、そうにもなりますよ。
前年度の二月末に、このプロジェクトの内示を貰って、四月一臂からこのプロジェクトに配属されて、
間もなくして「どうやらこれって全く自由な時間が無い!」と解った時からは、平日はさすがに無理でも、
休日出勤時(ほぼ毎週)には、電車通勤でなく、自社ビルまでの片道35キロをロードバイクで通勤してやりましたよ。
で、どうせ社屋には決まった駐輪場なんて無いし、だから盗難防止と無言の抗議の意味も含め、
大事なロードバイクは「知るかよ!」と思いながら自分の仕事をしているフロアまで持って行ったです。
そしてジャージとパンツ姿からラフな私服に堂々とそこで着替えてましたよ。
うわ、また話しがそれました、戻ります。
とにもかくにも皆が一丸となって頑張ったおかげです。
九月半ばの連休に、自分は本年度初となる旅行が出来ました。(厳密には冬にスキーには何度も行ったが)
先に二泊三日の旅費はすでに友達経由で入金済みです。キャンセルは前日でも出来るらしかったし、
例えキャンセルなんて出来なくても、半年間無駄なお金を使う暇が殆んど無かったので、
その時の自分はあぶく銭が随分と有りましたからね。
なんか出発前日の夜なんて、気持ちが昂ってしまって、いい年してアホみたいでしたよ。
旅行当日、まだ日が昇る前の暗い中、五台のロードバイクを車上部と後部のキャリアに搭載し、
四人の友達を同乗させて、そんな車が4台、合計で確か18名で内陸県の我が地元を出発。
そして海が有る県のその突端に向かいました。
ほぼ真東に向かって走っているので、東の空が明け始め、やがで日が昇りだし、
ストレートに日光が自分の目を直撃するので、運転者の自分はサングラス無し状態では、
眩しくてきつかったのを覚えてます。
午前7時前に現地に到着した時は、なんか町の観光課の人やホテルの人が歓迎旗を振っての出迎えなどが有って、
「これって所謂、町おこしの一環なの?」と解りました。そして俺等を誘った知人については、
その時に知ったのですが、実は市の公務員でしたよ。でも別に観光課では無かったんですがね。
それでも間違いなく、これの中心メンバーに違いないです。なんせ彼の人脈が大きく貢献している筈だし。
とにかく参加者が北は山形、南は愛知からの250名以上だったし、前もって通知されていた事の中に、
「公道を走る為に、法的に違反のある自転車の参加は不可、交通ルールも厳守」とのただし書きがありましたし。
まあ、参加者は全部自己責任って事を言いたかったんでしょう。お役所が係わってるし、それは理解出来ます。
そう言う事は別として、朝食、昼食、そしてスタート地点までの移動用のバス、
自転車を運ぶトラックまでもが用意されていて、そこはなんか至れり尽くせりな待遇でした。
午前九時には参加者全員がスタート地点ですでに準備万端です。
2ルートの選択肢が有って、足自慢はそこから北に向かって県最北端の岬まで行って、折り返して戻る長距離ルート、
まだそれまでの力が備わって居ない人は、その半分程度の、のんびりルートを選べます。
俺等のチームで男性は当然長い方のルート、チームの女性はのんびりルートで、さあ出発です。
これまでも、何度も海沿いのこういうルートを走っては来ましたが、基本日中は海風が吹くので、
それで運ばれてくる潮の匂いとその心地良い風が肌に当たって気持ちいいです。
そして何と言っても防砂林の間から見え隠れする景色が素晴らしいです。
それからいつもならパンク等の車体故障は自力で直さないとダメなんで、
そういう修理道具もバッグに入れながら走行するのですが、今回はサポートカーが出ているので、その心配もないから、
尚更快適なクルージングが堪能が出来ました。
午前十一時頃にはチーム全員揃って折り返し地点の岬に到着して、そこでボトルに水やドリンクを補充して、
十五分程度そこからの太平洋の景色を堪能し、そして戻りルートを走りだしました。
同じ道を戻って居るので、まだ岬に向かっている、沢山の参加者とすれ違い、互い手で挨拶しながら、良い気分です。
午後一時は、昼食の用意された浜に到着して、そこには俺等のチームの女子もいて、一緒に昼飯を食べながら、
「これはやっぱり参加して良かった」などと雑談。でも今回俺等のチームの参加を一手に取り仕切った友達が、
「ゴール地点では、もっと良い事が有るぜ」とか言っていました。「女子の参加者が、どう言う事があるの?」
と聞いたけれど、「そんなの到着してからのお楽しみだって」とか空とぼけていましたよ。
昼食後、そこで一時間程度の仮眠と取り、それでもそこからはゆっくり流しても、
日が沈むまでにはかなり余裕の距離です。
日没後は、無理に走ると危ないから、それに間に合わない人はサポートカーで強制的に回収されてしまうが、
俺等はもうその心配はまずないです。
で、地元から参加した18人のチーム全員は、男子が先頭を入れ替わりで引いて、イーブンペースでゴールを目指しました。
随分と日も傾き、海風が凪状態となり、風が無い分、走り易いのですが、でもその分汗の引きも悪くなります。
それでも後、数キロでゴールなので、そのまま休まずに走りました。
そして今日の朝、現地到着して最初に車を止めた場所に着きました。
でもそこで待っていた誘導の人は、「もうちょっと先が本当のゴールですので、もう一頑張りお願いしますね」と言っていました。
別に異存は無いので、そのままその教えられた道を進み、先に到着していた人の山にやがて合流。
「さあ、これからの一時間が、今日のメインイベントなんだぜ」と、先程「到着してからのお楽しみ」と言った奴が、
そう言いながら、でも気のせいか顔が少しにやけましたよ。
指示された場所にロードバイクを止めて、その場所の担当者の言われるがまま、何十人がちょっと小高い丘を徒歩で登りました。
で、目の前が一気に開けました。
そして「あ~、そう言う事か」出た言葉はこれでした。他の人は自然と黙るか、「うわ」とか、そんな反応です。
この地点って地理的に半島の最南端、そして実は最東端に当たる場所なんですよ。
だから眼前に広がる海の景色の方角はほぼ西になるのです。
少し雲が邪魔をしましたが、でもこんな光景を関東地方でお目にかかるとは思っても居なかったです。
西の空全体を強烈な赤で支配をし、海に自らを映し、黒い水面を暗い錆びた赤色に変化させている、
そんな太平洋に沈みかけている夕日。
そしてゆっくりと時間をかけ、沈んで行く太陽。
やがて沈みきって、海の色がダークパープルから、もっと濃い色に変わり、白波すら見えなくなりつつある。
疲れ切った体で、なんか頭もぼーっとしながら、何も考えないで眺めてます。
今その時、自分は見ているのは、そんな景色です。
なんとまぁ日本海に沈む夕日でなく、太平洋に夕日が沈んでます。
そしてこれは、海外の風景で無く、近場の海がくれたプレゼントです。
これ以上、自分も何も言うまい。
上手く言葉に表せないから。
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後書き 長くなって申し訳なかったです。でも思い入れが強すぎて、こんな事になってしまいました。
ちなみに、その時に撮った、十数枚の写真を見返して、これを書きました。
それから、実際は沈む夕日は太平洋の水平線ではなくて、本当は対岸の伊豆半島に沈むのですが、
でもそのコントラストは嘘でも無く、しかも富士山の横辺りに沈むので、それは間違いなく絶景でしたよ。