始まりはノモンハンより 2
平原には撃破された何両もの戦車の残骸が黒煙を吐きながらあちこちに転がっており、打ち倒された死体が各所に存在していた。
すでに時刻は午後4時を回った。
日は西へと傾きつつある。
いい加減にして欲しい。
そう思っていると
不意に
空気を切りさく不気味な音が空に響き渡った。
「伏せろッ!」
直後に激しい炸裂音が響き渡る。
砂埃がそこらじゅうに舞う。
ソビエト軍の122ミリ砲だろう。
おそらく、いや、疑いなく川向こうの高地からこっちに向かって打ち込んできている。
・・・味方の砲兵は何をしているのだ?
ほこりを吸い込んでしまい、咳き込みながら藤村はふとそう思った。
とは言え、まずは目の前の敵に対処することが先決であった。
BT戦車がずらりと一列に並び、前進しつつ発砲する、その後方から歩兵の群れが突っ込んでくるのが見えた。
本日3度目の攻撃だ。
距離はおよそ2500、既にソヴィエト製の対戦車砲の射程内ではあるが、未熟な兵であるため、長距離での命中は期待できそうにない。
そのため速射砲はせめて1000メートルまでひきつける必要があった
しかし、歩兵砲は違う。
これは対戦車砲としての機能以外に迫撃砲としての機能も付与されており、また、精密な射撃はできないがそれでもその簡単な構造と運用方法から兵たちからの信頼は高い。
史実では、アメリカ軍においても一定の評価を与え、捕獲兵器としてマニュアルまで作成している。
いわば貧乏な日本軍にとっての親友であった。
「歩兵砲、射撃準備!」
藤村の命令を受け、数人の兵が砲の角度を上げて行く。
彼らもまた本業の砲兵ではなく、その辺にいた兵を臨時でスカウトしたものだ。
本物はというと、今頃お空の上か野戦病院だ!
それに続いて、八九式重擲弾筒も発射体制に入った。
ほどなくして射撃準備完了の報告が入る。
「よし、撃てい!」
直後に藤村は射撃命令を発した。
かん高い砲声とポンッ…というどこか抜けたような音とともに37ミリ弾と何発かの榴弾が空に向かって放たれ、敵の歩兵の真ん中に命中し、数人が倒れるのが見えた。
それと同時に壕に備え付けられた機関銃と小銃が唸り、ソ連兵がバタバタ倒れていくのがみえた。
そんななか、一人の伝令兵が身をかがめながら近づいてきた。
「大隊長殿!第3中隊長の桧皮中尉殿が戦死しました!また、同陣地もすでに残存兵力が23名となり、指揮を執っている後藤軍曹殿は本部壕への撤退を要求しております!」
くそ、桧皮までやられたか…
・・・この丘には大きく分けて本部と左右両翼の三つの陣地に分かれていた。
一つが藤村のいる大隊本部陣地。
ここには大体本部の残余と藤村の中隊、そして負傷者が配置についている
右翼には戦死した桧皮中尉…いや、少佐か。の中隊が配置され
左翼には徳永仁一少尉の中隊が配置されている。
両翼の中隊にはそれぞれ速射砲が配られていて、十字砲火をかけるように作られていた。
だが、大隊右翼を固めているあの陣地を抜かれると自分たちは包囲されかねない。
いや、それ以上に下手をすれば撤退に追い込まれるだろう
撤退?
いや、現実的ではないな。
戦車を要する敵に一度後ろを取られたら、後は蹂躙されるだけだ。
となると、少なくとも今は陣地を堅守する必要があった。
となると・・・増援が必要だな。
「本部から4~5人引き抜く。中隊の指揮は早川曹長がとれ!あと、陣地から機関銃2丁をもってけ!」
「了解しました。…しかし大丈夫ですか?そんなに引き抜いて」
「…なんとかする。負傷者も投入する。」
ちらりと藤村は自分たちの後ろに掘られた壕をみた。
なかには負傷者が簡単な包帯だけを巻かれた状態でそのまま寝かされている。
…ちなみに衛生兵もすでに銃をとって戦闘中だ。
それでも大体本部陣地で戦っている将兵はわずかに40名足らずだ。
負傷者を入れても、60人に達するかどうか・・・
それでも、気休めよりは、マシであった。
「…では、意識のはっきりするものは全員銃をとれ!しにたくなかったらな!」
命令を受けた何人かの兵士がよろよろと立ち上がって側に置いてある小銃や機関銃を手に取る。
しかしその殆どはモシンナガン銃であったりDT機関銃
何度か繰る敵の攻勢の狭間で、藤村たちは敵が残していった装備を剥ぎ取っていた。
と言っても、多くはモシンナガン銃だったが。
しかし、戦いが続き、弾薬が不足する中ではもはやモシンナガンのほうが弾薬が手持ちの38式のそれより多くなっていたのだ。
そのため、今や38式を使用している兵士は少数派で、多くは弾薬に余裕のある鹵獲したモシンナガンを利用している状態であった。
何人かの兵士が無事なものに支えられながら小銃を持ち配置に付いた。
銃を撃てるものもその数は朝と比べても随分少ない。
やがて、敵戦車が陣地に迫ってくるのが見えた。
ソ連軍から鹵獲した速射砲が火を噴くが、中々命中しない。
距離はもう600メートルに迫っていた。
手榴弾か火炎瓶で戦うしかないか・・・!
全員に近接戦闘準備を命令しようとした時、突然戦車が爆発音と共に突然黒煙を吐いて停止した。
速射砲の弾丸が命中したのだ。
ようやく当たったか!
命中距離は大体700以内ですな。大分兵たちもこなれて来て、当初は400メートル内外が命中距離だったのが、飛躍的に伸びていた。
藤村は双眼鏡を片手に撃破した戦車を見た。
中から数人の兵士が転がり出てくるのが陣地越しからも見えた。
そう簡単に逃がす気などない。
銃弾が集中して叩き込まれたちまち倒れ付す。
撃破した戦車はコレで最後であった
そして、雲の子を散らすようにソ連軍の戦車や兵士達が後退していくのが見えた。
今度も美味く撃退できたが・・・このままではいずれ全滅するだろう・・・。
もうすぐ夜だ
次の攻撃には・・・耐えられる自身は今の彼にはなかった。
すでに200人程度にまで割り込んでいる兵員ではこのちっぽけな陣地はそういつまでも守りきれないであろうから。
藤村はいい加減に後退することを考えていた。
確かにここを死守することは重要だが、後方および他部隊との連絡は既に途絶えて久しかった。
ひょっとしたら既に全滅してしまったのかも・・・
そんな考えすら浮かんだ。
・・・夏の日差しは高い。
特に、内地よりも緯度の高いここはより日が長いのだ。
・・・まだまだ、終わりそうにないな。
西へとゆっくりと向かっている太陽を見ながら、藤村は溜息をついた。
藤村大隊の長い一日は、まだ終わりそうになかった。
・・・当時、我々は対戦車兵器はろくに渡されてはいなかった。
圧倒的に装備が不足していたんだよ・・・。
ああ、弾薬も少なかったね。
だから、必然的に敵の武器を奪うしかなかったんだよ・・・。
まあ、後でそれを知ったお偉方の何人かがやってきて「卑しくも、大元帥閣下より賜った武器を信用できないのか」と我々をしかりつけたのだがね
・・・まあ、あの頃はとにかく生還をするために必死だったんだよ。
敵を倒してその武器を奪って戦う
・・・今にして考えればまるで雇うか追い剥ぎの類にしか見えないが・・・やがて、この方法が私達の『何時ものやり方』になることになるとはね
私達はまだ考えてもいなかったんだよ・・・。
どうも皆様お久しぶりです。
ようやく第三話を上げることができました。
去年の12月にノモンハンの戦いにおける記録を図書館で読んだのですが、そこではあのビルマからの撤退の殿を勤めた宮崎少将も連隊長として戦っていたと言うことを始めて知りました。
そこで彼の部隊は単独突撃によって大損害を出しましたが、ソ連軍の撃退に成功し、また、陣地にくいを売っておくことで日本側が主張する国境線の確保に唯一成功したと言われています。