始まりはノモンハンより 1
20XX年7月11日 中国東北部
あの老人の話を受け、私は彼らの足跡を確かめることにした。
そんなわけで、私は今、中国東北部ノモンハン近郊の平原に来ている。
チチハルで雇った現地ガイドからここが、かつてのモンゴルと満州との国境地帯なのだと聞いた。
国境地帯というからには鉄条網が延々と延びている。
そんな感じを想像した物なのだが、辺りにはただ、草の平原が広がっているだけであり、やや拍子抜けした感があった。
・・・ずっと遠くの方に白い点々が見える。
ガイドが言うには遊牧民なのだという。
まさにのどかとしか言いようの無い光景であった。
私はここがかつて日本とソ連との間に行われた戦闘の激戦地であるということをまるで信じることが出来なかった。
彼らの足跡はこの平原から始まる。
ここ、1939年の夏のハルハ河流域の何も無い平原で・・・・・・・・・・・・
1939年6月20日 ハルハ河流域
中国東北部、嘗ては満州と呼ばれた地の北のほう・・・モンゴルとの国境地帯にいちするこの平原ではいまから一月ほど前に日本軍と蒙古軍との軍事衝突からソ連の介入を受けて大規模な戦闘へと発展していき、今ではもう魔女の鍋のように煮えくり返っていた・・・。
平原の中に小さな丘がポツンとあった。
周囲にはお粗末な鉄条網が途切れ途切れに張られ、いくつかの塹壕が掘られており、ここが陣地であるということを示していた。
藤村亮輔大尉(27)は塹壕の中から頭半分だけを出して双眼鏡で地平線の向こうを見つめていた。
遠くの方では砂塵が舞い上がっている。
どうやら敵が攻勢をかけてくるようだった。
先任の大隊長が数日前にここを巡る防衛戦闘で戦死してしまい、生き残りの中での最先任だった彼が指揮をとることになったのだが、これまでの戦闘で大隊の戦力は見るも無残にやせ細り、いまや大隊全体でも一個中隊半(200名強)程度の戦力しか残ってはいなかった。
今彼がいる大隊本部の壕の中にも大隊本部要員はわずかに10名前後しかいない。
残りは皆負傷するか戦死するかしてしまった。
連隊本部ならまだ兵力が残っているだろうと思われたが、連隊本部はここからまだ数キロはなれたところに在り、イザという時は役に立たないだろうと考えられた。
が、保有する装備だけは意外と上等で、それが藤村たちにとっての希望であった。
砂塵に弱く、故障しやすい11年式軽機関銃が12挺、大隊砲である92式歩兵砲が1門、おまけに敵から分捕った45ミリ速射砲が2門にDB重機関銃が1挺といった感じで、下手な歩兵大隊よりも若干だが強力な火力を有していた。
上のお偉いさんが見たら敵の武器を使うとは何事かと目くじら立てるかも知れないが、そんなものは知らない。精神力では戦車は撃破出来ないのだから。
まあ、大砲は砲兵が操らなくては意味が無いのだが、一応砲の装填と射撃だけは訓練させたので、こればっかりは命中率が落ちるも直接照準で何とかするしかないだろう・・・
そんな風に思いながら地平線を眺めていると一人の兵が息せき切らして走ってきた。
彼はたしか歩哨をしていた兵の一人だったはずだ
そこから考えて大方の予想は付いた。
兵から伝えられた事柄もまた同じようなものであった。
敵が来たのだ。
見張りを行っていた兵の報告から考えて
戦車が10両に歩兵が一個大隊規模・・・だろうか?
全く、この陣地の規模から考えるととてもじゃないがやってられないの一言でしかない。
「お客さんか・・・全く、こちとら休む暇もありゃしない・・・」
取り敢えず今やるべきことはぼんやりすることではない。
と言う事で、伝令を各陣地に走らせて陣地保持と戦闘準備を命じると共に速射砲を所定の位置に移動させるように伝えた。
「楽しくなってきた・・・とでも言うべきでしょうか?」
本部要員で小隊長を臨時で勤めている早川仁曹長は微笑みながら尋ねた。
この男はこういう絶望的なときになると必ず微笑む。
全く、一体どんな精神構造をしていることやら・・・いや、こういうときだからこそまともにはなれないのかも知れないし、あるいは狂ったように思い込もうとしているのだろうか・・・
それが彼の本心とはかけ離れていたとしても・・・
「いや、全く楽しくないな。強いて言うなら余りの絶望感に笑うしかなくなったといえるのかも知れないね」
「その割には心底楽しそうに見えるのですが・・・」
相変わらず不敵な笑みを浮かべた早川を無視しつつ、藤村は小銃を握り締めて、敵が射程に入ってくるのを待った。
やがて陣地から500メートルほどの距離になった時
「撃て・・・ッ!」
藤村は振り上げた手を一気に振り下ろした。
それとほぼ同時に、陣地に備え付けてあった全ての砲が火を噴いた。
「・・・あの時は、私もまたまともな精神をしていなかったのかも知れない。いや、マトモな精神を持っていたのはひょっとしたらあのときが最後だったのかも知れないな・・・」
海を眺めながら老人は静かに微笑んだ。
それはどこか楽しそうな顔であったが、その目はまるで笑っていなかった。
「あの戦いが、思えば我々の人生を狂わせる原因となったのかも知れない・・・後から考えるとそう思わざるを得ないのだ。」
そこまで言うと藤村は急に口をつぐんだ。
それに対し、私は何もいうことが出来なかった。
雑誌「Z」~連載シリーズ:ある日本兵達の物語 第1話「全ての始まり」より抜粋~
皆様こんばんわ、作者です
ようやく第2話が出来ました・・・
物語は1939年のノモンハン事変からスタートします。
この戦いは日本軍の第23師団が7千から8千の将兵を消耗する大損害をうけたりした激戦でした。
そんな中で主人公を中心とする消耗したものの何とか体勢を整えている貧乏部隊の姿を描きたいと思っているのですが・・・なかなか戦闘描写は難しいです・・・
感想や批判などがございましたらどうぞ遠慮なく送ってください。