6話 それぞれの事情
「最近、いちごちゃん見ないですね」
「んー、そうね。でも、もう来ないと思うわよ」
それ以上話す気は無いらしく、ママは思わせぶりな笑顔を見せると、別のお客さんと話し始めた。
別れたんだろうか。
似合っていたと思っていた。
周の後を一生懸命に付いて行く姿は微笑ましかった。
周も苦笑いをしながらも、何だかんだと面倒を見ていたと思う。
あの時の、緑色のワンピースの女性よりも。
カラン。
グラスの氷が溶けてガラスにぶつかる音で我に返る。
私には関係無い事だな。
「ママ、これ渡してくれる?」
「何?ああ、シャツね」
「暫く、来られないから」
「実家に帰るんだっけ?」
「はい」
「クリスマスパーティーに来て欲しかったんだけど、しょうがないものね」
「楽しんで下さいね」
それでは良いお年を、と挨拶を交わして店を後にする。
途中、自販機で缶コーヒーを買って飲みながら歩く。
日付が替わった時間にも関わらず、表通りは賑やかだった。
(もう直ぐクリスマスだもんなあ)
あちらこちらのネオンも眩しく、目を細めながら表通りから一本向こうの通りへ出る。
その通りには昔懐かしい居酒屋や、薄汚れたスナックの看板が連なっている。
(私はこっちの方が好きだな)
少し先の居酒屋の前に、仲良さそうに笑いながら話している男女が居た。
「マジだって!ここのおでんは超―旨い!」
「えー本当に!?」
「オレ、いちごに嘘は付かないって。それに、この店は誰も連れて来た事無いんだ」
「マサヒロくん・・・」
「オレの秘密基地」
二人は肩を寄せ合いながら、その店に入って行った。
彼女は幸せを見つけたんだ。
其処にいる人々も笑顔になる、そんな仲睦まじい恋人同士だった。
周と居る時には見た事が無い自然な可愛いい笑顔だった。
周の前では少し大人振っていたのだろう。
それに疲れたのか、そんな彼女を彼が支えていたのか、それはどちらでも良い。
彼女らしさを引き出した彼が側に居るのだから。
ママは知っていたんだろうな。
家までの帰り道、冷えた缶コーヒーの残りを飲もうと空を見上げると、其処には満点の星空が広がっていた。
クリスマスの三日前、今年最終の出勤日は慌ただしく始まった。
会社の半数が有給を使って休みに入っており、残りの人員で片付いていない書類を始末する事になる。
それも昼過ぎには殆どが終わった。
大掛かりな掃除は業者に頼んでいるが、掃除をする上で邪魔な物や、必要の無い物等を処分する。
事務方の定時(五時)になる頃には殆どが終了した。
あちらこちらで、お疲れ様、良いお年を、との声が聞こえる中、この後仲間内で忘年会を企画している者達の賑やかな声が聞こえて来る。
ロッカーの中に置きっぱなしの物をエコバッグに詰め込み、見知った人達と笑いながら退社する。
「長坂さんは北海道だっけ」
「そうです。泉さんは地元ですよね」
「うん。今年は旦那様と温泉でお正月なんだ!」
今年の子供の日に挙式を挙げたばかりの新婚さんである。
私より三つ年上で、私と同じ位の身長で体重もそう変わらない筈だが、顔がぽっちゃりとしている所為で良く太って見られると嘆いている。
栗色に染めた肩までのボブを内巻にして、くりっとした大きな目を輝かせながらピンク色に頬を染めて話す姿は大層可愛いのである。
「それじゃあ、来年!良いお年を!」
皆がそれぞれに手を振りながら、自分の家へと足早に帰って行った。
「長坂―っ!」
もう少しで駅のホームに辿りつく頃、後ろの方から呼ぶ声が聞こえた。
立ち止まり、振り返ると藤堂さんが手を振りながら走って来た。
「長坂、歩くの早い」
「普通です。どうしました?」
「明日の予定は有るか?」
「有りません」
「即答だな」
「嫌味ですかね」
「じゃあ、明日夕飯付き合ってくれ」
「はあ?」
「店は予約済だが、相手に断られた」
「・・・別の人選をお薦め致します」
「そうか。ラ・ラピスって店なんだが、キャンセルするか」
「えっ!?ラ・ラピスですか?キャンセルするんですか!そんな勿体無い!」
「・・・行くか?」
「うぁー 良いですか?」
【ラ・ラピス】とは仙台近郊に有るレストランだ。
数年前まで雑誌やテレビでも取り上げられる事の多い有名店であった。
しかし、予約が殺到し常連のお客さんさえも行き辛くなってしまった状況に困った店主は、一切の取材を断る様になったと言われている。
それでも相変わらず予約は取り辛く、ましてやクリスマスシーズンとなれば不可能と言われている。
そんな逸話の有る店である。
頭で考えるより、気持ちの方が先走ってしまった。
「・・・・・」
「長坂」
「・・・・・」
「こぼしたぞ」
「!・・・ふぁい」
「食事は会話を楽しみながら食うもんだろう」
「すいません。余りにも美味しくて、夢中で食べてしまいました」
「そんなに旨いか?」
「そりゃあ勿論!藤堂さんの口には合いませんか?」
彼の皿にはメインのお肉が半分程残っている。
「嫌、旨いよ。旨いんだけど・・・・・」
「俺の料理が食えないのか?静」
真っ白い布を頭に巻き、コック姿の男性が藤堂さんの後ろに立って居る。
「誰もそんな事言って無いだろう」
「しかし、彼女の食べっぷりは気持ちがいいねー」
肉の塊を口に放り込んだまま二人の会話に?クエッションマークを投げかけて見る。
「俺の兄貴なんだ」
「!」
「藤堂静の兄です。宜しくね」
「!」
確かに似ている。
藤堂さんは、なんと表現したら良いのだろう、敢えて言えば普通の人。
目も鼻も口も大きく無い、でも小さくも無い。
細くも無いが、太くも無い。
背は180cmを切る位なので、特別大きくも無い。(でも小さくも無いが)
但し、仕事をしている時のオーラがデキメンである。
兎に角、仕事をしている時の藤堂さんは物凄くデキメンになってしまう人なのだ。
仕事から離れるとやさしいお兄さんって雰囲気になる所が、余計に社内の独身女性のツボに嵌っているらしい。
そうなのだ、藤堂さんは三十歳を目前に控えた独身男性なのである。
社内でも、那智さんと相反するタイプで人気がある。
那智さんは見た目通りの優男(やさおとこ)だと思って居るのは私だけだろうか。
レストラン【ラ・ラピス】のシェフであり店主のお兄さんは、藤堂さんよりはっきりした顔立ちで、少しだけ下がった目じりが優しそうな人だ。
「毎年この日は静の為に席を空けて待っているのに、今まで来た事が無かったんだよ。失礼な弟だよ、まったく」
「この日?特別な日でしたか?」(天皇誕生日ではある)
「お前、教えてないのか?誕生日」
「兄貴が余計な所で顔を突っ込むからだろう」
「そうか、悪かった」
デザートは特別バージョンで持ってくるね、と言いながら厨房へ消えて行った。
いちごちゃんのお話はこの先に少しだけですが書くつもりです。どう言う立ち位置にいたのか位は説明したいと思ってます。秋弦とは直接的に関係のない女の子ですが、周にとっては少しだけ鍵になる女の子なのです。