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5話 メンソールのタバコ



「ふぅ~」

厨房の奥には非常階段の扉が有る。

揚げ物や煮物などで汗を掻く程熱い厨房の換気の為に少しだけ開けてある。

その隙間から抜け出し、非常階段で一服する。

普段は吸わない。

精神的にダメージを負った時に吸いたくなる位。

年に、数度だと思う。

だから携帯していないし、買い置きもしない。

さっき、お客からの要望でタバコを買いに外に出た。

そのついでに自分用にメンソールの軽いヤツを買って来た。

ライターはお客の忘れ物がゴロゴロ有る。


料理なんて何年ぶりだっただろう。

あれが料理とは言えないのは分かっているが、洗い物以外で台所に立ったのは久しい。

仕事で失敗しても、叱られても、文句を言われても、タバコを吸いたいと思った事は無い。

次回で頑張れば良い事だし、何処が悪くて、何が問題だったか、自分で理解出来れば同じ失敗をする事が無い。

しかし、料理が絡むとどうにも精神的に追い詰められる気分になる。

何処が悪いのか、何が問題なのか、さっぱり分からないのだ。


二本目のタバコに火を点けた時、非常階段にママの顔が覗く。今日のママは70年代のサイケ風ワンピースを着ており、付けまつげがバシバシと音を立てながら瞬きをしていた。

「一本くれる?」

タバコを差出し火を点ける。

「普段も吸うの?」

「いえ、吸いませんよ」

「そうか、無理しなくていいからさ」

「・・・はい」




予約のお客は予定よりも多い人数で、予備に置いて在る丸椅子を出しても足りなかった。

それでも前の宴会で酒が入っていた為、皆陽気で気にした風も無かった。

団体さんは始めが大変だが、酒・氷・水・料理を一気に出してしまうと後は楽である。

その後は偶に入るカクテルの注文を作るだけだった。

その筈だったのだが、何故かその団体に私が引き込まれている。

「ほら、こないださ、髪を下ろして、メガネを取った姿を見た時に、オレ惚れちゃった訳でさー」

おい、何だ、止めてくれ!

今日はヘアクリップを使わずに黒いゴムで結わえて有る。

そのゴムを取られ、メガネまで外されては何も見えないのだ。

「お客さん、辞めて下さい。あの、メガネを返して下さい」

大きな声で怒る訳にも行かず、愛想笑いを浮かべながらも必至でメガネを探す。

「ねえねえ彼女、名前は?ここで働いてんの?」

「マジ!美人だし!」

「電話番号教えてよー」

周りで騒ぐ声が騒音にしか聞こえず、兎に角必死でメガネを探す。


キャァー!

向かい側では女性軍団が何やら騒いでいる。

「おーい、僕の彼女に変な事したら只じゃおかないぞー」

と一本調子のマスターの声がしたと思ったら、大きな手で腰を抱えられてカウンターの方に連れ出してくれた。

「ほらメガネ」

私の手を取り、その上にプラスチックの物体が載せられた。

「あ、ありがとう」

メガネを掛けて見上げると、周が少し怒った顔で立って居た。


後ろではマスターが団体さんとまだ話している。

「えーマスターの彼女―?嘘だーママさんも居るじゃーん」

「マスター!あのカッコイイ彼はだれよー、教えてー」

「大きな声出さないでおくれ。かみさんには内緒なんだぞー」

「彼に会いたかったらまた来てねー」

なんと言うか、流石だ。


「ルウくん、大丈夫?」

ママが心配して厨房から出て来た。

「すみません、捕まってしまって抜け出せなかったんです。以後気を付けます」

「ルウくん狙いだとは思わなかったわ。こっちも気を付けなきゃね」

「向こうの出し物は俺が運ぶ。お前はカウンターに居ろ」

「ああ、ありがとう」


カウンターの常連さんは白さんだけ。

今日も濃い青色のパーカーにベージュのコッパンだ。

他は知らない人で埋まっていたが、殆どがカップルだったので気にならなかった。

「ルウくん、今日は何て言うか、色っぽいなあ」

「ええ?そうですかね?いつも通りなんですけど」

気にしない振りをして、白さんの少なくなった焼酎の水割りを作る。

周から借りたワイシャツは、何と!シルク100%の高級なシャツだった。

アイツのサイズの為かなり大きく、一番上のボタンを留めても鎖骨が見えるのだ。

ましてや屈み込むと胸元までバッチリ見えてしまう。

裾はズボンの中に入れたから良いが、袖が捲っても直ぐに下りてくるのが難点だった。

今は輪ゴムをアームバンド替りにして止めている。

しかし、このサラサラ感は気持ちが良い。

何時かは自分もこんな洋服を買いたいと思ったのは事実だ。


「さっき、絡まれたのかい?」

「いえいえ、団体さんのお遊びですよ。五月蠅かったですか?すみません」

「そうなの。なら良いんだけど、シュウくんが何だか慌ててたから」

「ああ、グラスを落としたりしてたから、ダスター持って来てくれたんですよ」

「そうなの。この季節は何処の店も賑やかなんだろうね」

「そうでしょうね」

にこやかに話しながらも心の中では(?)だった。


日付変更線を越えた頃に、やっと団体さんがご帰還してくれた。

マスターの話では、先程のメガネを取った男性は前にも何度か来ていたお客で、たまたま私がカウンターに入った時にも来ていたそうだ。

何処かで見たような気がしていたが、幾ら考えても思い出せなかった。

しかしマスターから教えて貰って、ようやく思い出せた。

あの時、端に座っていた3人組だ。そう言えばあの時も名前だの電話番号だのと言っていたっけ。


残って居るのはカウンターの一組のカップルと、先程入って来た緑色のワンピースの女性だけだった。

四人で奥のテーブル席から皿やグラスを片づけ、厨房に運ぶ。

厨房のキッチンの方が洗い場が大きいから、マスター以外の三人で片づけを始める。

しかし直ぐに厨房のドアが開き、マスターが周に声を掛ける。

周は眉間に皺を立てて数秒返事をしなかったが、悪い、とだけ言って厨房を出て行った。


厨房での片づけはそれでも意外と時間が掛り、後は洗い終わったグラスを店に並べるだけになった時、マスターが厨房の戸を大きく開いた。

「皆帰ったぞー。ご苦労さん」

そう言いながらグラスを運ぶのを手伝い始めた。

「あら、シュウくんは?」

「先に帰った」

「じゃあ、お礼は今度ね」

カウンター奥の食器棚はグラスが殆ど出払っていた為、並べるのにも時間が掛った。

綺麗に並べられたグラスを見ると何だか安心する。


「これは今日のお礼だ」

とマスターから熨斗袋を差し出されたが、慌てて断る。

「うちの会社、アルバイト禁止なんですよ。だからお手伝いって事にして下さい」

「嫌、しかしなー」

「誰も見てないし、私達も誰にも言わないわよ」

「本当に申し訳ないんですけど、会社に勤めている以上守れる事は守ろうと思ってるんです」

「そうか、分かった。別の形でお礼をするよ」

「いえいえ、楽しかったですから」

それじゃあ、と挨拶を交わして店を出る。


今日は酒を口にしていないので、車で帰る事が出来る。

ママが少し多めに作ったオードブルをタッパに詰めて持たせてくれた。


車に乗って、公園を回り込む様に進む。

車のヘッドライトが公園の中を照らして行く。

誰も居ないと思っていた公園の中のブランコがゆっくりと動いていた。

(風でも吹いたのかな)

その先を照らしたヘッドライトに、一つの影が浮かび上がった。

ヘッドライトはその影を通り過ぎて、人の行き交う通りへと向かって行った。









喫煙年齢前に喫煙し、喫煙年齢以降に止めた作者です。(笑)

今はタバコの煙に渋い顔をする位嫌いになりましたが、何故か年に1・2度タバコが恋しくなる事があります。そういう時は、やはり精神的に参った時でありまして、濃いコーヒーなんぞを飲んで紛らわしております。

やっぱり、タバコの鎮静作用は忘れがたい物なのかもしれませんね。

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