32話 ウエディング・パビリオン
素の周を初めて見た。
お茶目で、悪戯好きで、結構甘えん坊な彼はとても可愛い。
前までは当たり前だった、眉間に縦皺の怖い顔が嘘のように、大らかな笑顔で側にいる。
この気候の所為なのか、この場所の所為なのか、それとも二人で居るからなのか、それは分からない事だけど、この笑顔を大切にしたいと本当に思うのだ。
連日この小さなヴィラで一緒に居るのに、私の側を離れる時は声を掛ける。
心配そうな顔をして、トイレだのシャワーだのデッキだのといちいち五月蠅い。
まあ、あの日の夜の事があったからだと思うけど、あの時は本当に夢だと思っていたからであって、今でもそう思っている訳では無いのだ。
其処まで精神が壊れていないのは自分でも分かっているから、三日目にして漸く辞めてもらう事にする。
それでも心配性な彼はヴィラを出る時は必ず手を繋ぐ。それも恋人繋ぎと言うあれで。
「今日は買い物に行こう」
「買い物?何の?」
「ドレス」
「はいっ?」
正月は周の家族に紹介される事になっている。
それは分かっているけど、どっちの両親にも挨拶無しで結婚した私達を許してくれるんだろうか。天下のTTK技研だぞ?
正確には婚姻は済んでいない。
それは日本に戻ってから正式に結婚と言う段取りになるそうだが、このモルディブで婚姻が認められたと、マキさんからの電話で聞いている。
今更ですが、不安です。
「ねえねえ、反対されない?」
「反対?誰に」
「そりゃぁ、両親とか?親族とか?」
「そんな心配は無いよ」
「嫌ーでもさ、私は一般庶民だしさー」
「雪も一般人だよ」
「えー、雪さんは少し一般人とは違うかな」
「それよりも、俺の方が反対されそうだ」
「へっ?うちの両親?」
「うん。大抵の親は娘を嫁に出したがらないだろ?」
「そんな事は無いと思うけど。親元離れて8年近くなるし」
「本当ならしづの両親に先に挨拶に行きたいんだが、うちの家族が皆集まる事は少ないから、先に紹介しておこうと思ってる」
「別に、うちの両親の事は構わないよ」
ぷらぷらと散歩しながらホテルのショッピングモールに辿りつくと、何でこんな小さな島にこんな高級な商品が並んでいるのかと不思議に思う位、沢山の洋服に靴、宝石まで並んでいた。
一軒の店に入り、周と店員が何やら話している。私はその店に並べられている洋服を見て、普段私が持って居る洋服との手触りの違いに戸惑いつつ、値札を見て目玉が飛び出しそうになっていたが、店員に試着室に入れられ、かれこれ一時間は経つ。
その間は休む間もなく、赤、青、黄色、緑、黒、紫・・・色とりどりのドレスに袖を通すだけでくたびれた。
彼が気に入ったドレスは深紅のドレス。ホルターネックで踝丈。腰辺りまではフィットしており、裾に向かって綺麗なドレープが美しい。胸元辺りから裾に掛けて、更に深い深紅色で薔薇の刺繍が重ねられている。
「えー、もうちょっと地味にしようよー」
「これでも地味だよ」
「あんたの感覚が分からん」
どのドレスもサイズが大きく、あちらこちらをピンで止められ脱ぐのに四苦八苦してしまった。ドレスは三日ほどでお直しが済むとの事で、また試着に来なければいけないらしい。
まあ、暇だし。
店を出る時、周が何やら袋を持って居た。
何か、買ったのかな。
二人でジェラートを食べながらホテルを後にし、のんびりと散歩をする。
道行く先々で他のヴィラの人達と挨拶を交わし、明日はホテルでディナーショーが有るから見に行こうと誘われたりして、結構この数日で仲良くなった人達と会話が弾む。
それでも小さな島は一時間も掛ければ端まで行きついてしまい、見渡す限りの海が目の前に広がる。
何時もは其処の砂浜に腰を下ろすのだが、周がその少し手前で左の小道に入って行く。
何が在るのかなと思い、少しだけ遅れて向きを変えた。
五分も歩かない所で、小さな教会が見えてくる。
ウエディング・パビリオン。
中へ入って見ると、小さな祭壇が一つ有るだけの簡素な建物だ。
頭の上にふわりと白いレースの布が掛けられる。
「二人だけの結婚式」
照れながら話す周の頬が少しだけ恥ずかしそう。
「このレース、さっきのお店で?」
「相談したら、喜んでプレゼントしてくれた」
「嬉しいね」
二人で祭壇に跪き祈る。
私は、もう二度と周と離れる事が無いようにと祈る。
お互い立ち上がって手を取り向き合い、顔を見合わせる。
「秋弦、愛してる」
「周、愛してます」
物凄く照れくさいけど、本当の気持ちなのできちんと伝える事にする。
私の言葉を期待していなかったのか、周は思い切り私を抱きしめた。
「しづ、絶対離さない」
嬉しそうにキスをして、またゆっくりと自分たちのヴィラへと歩き始めた。
夕方近く、備え付けの冷蔵庫からビールを取り出す。
その中には色々な食材が入っているが、一度も取り出した事が無い。
ハム、ベーコン、新鮮な生野菜、色取り取りのフルーツ、それと卵。
ビールを片手に卵を一個取り出す。
備え付けのキッチンへと足を運び、IHの上にフライパンを載せる。
その中に卵を割り落とし、色が白くなったら止める。
その予定だったのだが、海の中で泳いでいる周を見ていたら、いつの間にか真っ黒になっていた。
目玉焼きも作れなくて、お嫁に行って良いのだろうか。
海から上がった周が、ヴィラの中の異様な臭い(焦げ臭いのだ)に眉を潜める。
「しづ、おいで」
「うぃ・・・」
コンロの前に立たされて、周の言われた通に動いてみる。
「まず、フライパンを置いて」
言われた通に置く。
「オイルを少し引いて」
キッチンの隅に在るオイルポットから、オイルを数滴たらす。
「コンロを弱火にして」
ピピピと音を立てて火力を小さくする。
「卵を落として」
ポンと割って、フライパンへ落とすとジュウと音を立てる。
「蓋をして」
その辺にあるガラス鍋の蓋を被せる。
「それじゃあ、15数えて」
言われた通に1から順番に数を数え、15まで数える。
「はい、火を止めて」
ピと音がして火を消す。
「蓋を、取ってごらん」
「もう取っていいの?」
「いいよ」
おそるおそる蓋を持ち上げると、其処には白身は真っ白く、その中央にはぷっくりと盛り上がった黄身がぷるんぷるんして輝いていた。
「あ!」
それ以上の言葉が出て来ず、人生初めての目玉焼きが完成した事に涙が流れた。
目玉焼きと周の顔を交互に見比べ、嬉しくて飛び上がり、そのまま周に抱き着いた。
綺麗なケーキ皿に目玉焼きを移し、周の目の前に差し出す。
「人生初の手料理だよ!」
嬉しそうに受け取った周は、その皿をテーブルの上に置いて、私を抱き上げた。
「えっ?何?食べないの?」
「今は、しづが食べたくなった」
「えーっ!ちょっとー!」
と口でいくら言っても聞く訳も無く、ベッドの上で餌となった私だった。