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29話 旅人の憂鬱




「ルー!そろそろお昼にしましょう」

「はーい」

海辺の白い砂浜から腰を上げて立ち上がる。

ショートパンツに付いた砂をホロって、海辺に立つ白い家に向かう。

海側から見えるこの家は、ヴィラの作りに似ており、上流階級のカントリーハウス然としている。入口(海側は裏口か)は小さめな造りだが奥行きが有り、部屋数も10を数える。其々の部屋はリビング並に広く、半数にはベッドとソファが備えられている。最初こそ個人のホテルなのかと考えたが客はおらず、一組のご夫婦の住宅だった。


「ルー、今日は何をしていたんだい?」

「海を見ていました」

「そう」

マキさんは絵具だらけの手でワインをグラスに注ぎながら聞いてくる。


建物正面の右側に張り出した広いデッキには、あちこちペンキが剥げ掛けたテーブルとイスが置いてある。そのデッキに砂浜からダイレクトに飛び上がる。そのテーブルの上には大皿に盛った料理が五品も乗っており、その横には赤いワインが並んでいた。

「今日は、豪華ですね?」

「クリスマスだもの」

「あ、忘れてた」

カチン と音を立てて三つのグラスが宙を舞う。

ユキさんの料理はとても美味しくて、ここで暮らす様になって体重も随分増えた。

そう言えば数日前に、日本からマキさんの家族がモルディブ入りしたと言っていたし、クリスマスはマキさんの家族とホテルでディナーなのだとユキさんが言っていた。

だから、今日のお昼は豪華なのだ。私の為にわざわざ作ってくれたのかと思うと申し訳なく思ってしまう。

それなのに、上の空で食事をしながら偶に二言三言話すが、それ以外の時は大きくて静かな海を見つめていた。


午後からは日差しが強くなって来たので、自分の部屋のデッキに椅子を持ち出し、其処に座りながらやっぱり海を眺めていた。

途中何度かうとうととしながら見る夢は楽しかった。


「本当に行かない?」

「今夜は、友人に電話をします」

「そうだね。知らない人の集まりに行っても楽しくないさ」

ドレスアップした二人は大変美しかった。

海側とは反対側にある正面玄関にホテルの車が迎えにきて、二人揃って笑顔で乗り込んで出かけて行った。


マキさんは画家さん。

良く海を描いている。その次に多いのはユキさん。その次は市場の人達や働く人達、それに動物も時々描くらしい。

マキさんの絵はこの辺では大変有名で、ホテル等なら大抵一枚二枚は飾られている程売れっ子らしい。最近では外国からの注文も来るようになり、時々バイヤーらしき人がこの辺をウロウロしている事もある。

身長は180cmを切る位で少し痩ぎみ、髪の毛は茶色く肩を過ぎる位の長さを一つに纏めている。顔の作りは整っているのだけど、絵を描くことに没頭すると小汚くなる事が難点だ。

今日だって、さっきまでは絵具だらけの洋服でむさ苦しかったのに、グレーのピンストライプのスーツに黒いワイシャツ、ネクタイはせずに赤いポケットチーフだけを入れた姿はどこぞのモデル並みだ。


そのマキさんの大切な人がユキさんで、海底の案内人をしている。

スキューバーダイビングのライセンス(Cカード)を持ち、観光客にこの海の素晴らしさを体感させてくれている人なのだ。

身長は私より少し低い160cm程で、スエットスーツが似合う細身の体だ。胸もお尻も小さいのだけど、全然痩せてはいない。シュノーケルが似合うショートヘアに貝殻のピアスがチャーミングな女性である。

今夜の出で立ちはマーメイドラインの濃い青色のロングドレスで、大変似合っていた。



冷蔵庫からビールとタッパに詰められたお昼の残りを取り出しデッキへ出る。

夕日が沈む海を見ながら飲むビールは最高なのだ。

こんな贅沢をしていいのだろうかと思う事もあるけど、今しか出来ない事をしておくのも大切な気もする。

ポケットから携帯を取り出し電話帳を開く。

【アドレス/九条周/080****1225】

「おめでとう」

携帯をテーブルの上に置いて、夕暮れの砂浜を散歩する。






トロントを出てからもう二月近くなる。

最初はバリ島に行った。

小さなコテージを二週間借り、バリ舞踊やケチャといったタイの民族舞踊を習ったり、ガムランという竹や銅等で作られた楽器を叩いて音を出すレッスンに通ったり、ロンタルを使った工芸品を作って見たりと色々な事に挑戦した。踊るのは楽しかったから上達するのも早く、地元のホテルでのディナーショーにこっそりと混ざって踊ったりしていた。

しかし、手先を使う工芸品は全然上達せず、小物入れを作った筈が平たいトレーにしか見えなかった。それでも今も大切にベッドサイドに置いてアクセサリー置きに使っている。


次に行ったのはプーケット。

ここでもコテージを借りる。

プーケットではダイビングに挑戦し海の魅力に取りつかれてしまい五日間毎日潜っていた。

シーカヌーやカヤックにも乗ったが、結構ハードで降りた時には眩暈を起こしてしまった。

食事は近くの露天で食べる事が殆どで、数日通ううちに店主と仲良くなり、常連の綺麗なお姉様達とも仲良くなった。そのお姉様達から「お店に遊びに来て」の言葉に行って見ると、そこはオカマさんのお店だった。

私より女らしくて綺麗なお姉様達が実は男性だったと知って仰天したものだった。


バリもプーケットも楽しい所だったが、ゆっくりのんびり出来る土地では無かった。

その後モルディブへ来て見たが、首都のマレは住宅が密集しており高層ビルが立ち並ぶ。

取り敢えず寝床をと思いホテルへ足を運ぶが、ロビー入口でシャットアウトされてしまう。どうやらドレスコードに引っかかるらしい。

破れたデニムにTシャツでは何処のホテルも同じで、結局その日は野宿をした。

翌日、高速フェリーに乗って近郊の小さな島を訪れた。


桟橋から島へ続く長い木の道。

船から降りたのは三名だけで、私も含め他の二名も観光目的では無さそうだった。

嫌、私は観光と言えば観光なのかな。

桟橋から降りた先にはホテルや水上ヴィラが見えるが、首都の様に密集しておらず、適度なのんびり感が漂っている。その近辺のビーチはパラソルやビーチベッドが備えられており、飲み物を提供する露天の様な店もあった。

その界隈を通り過ぎ、道なりに歩いてみる。暫くは背の高いヤシの木やレインツリーの木がそよそよと揺れていたが、突然目の前が開ける。

其処にはコバルトブルーの海、何処までも続く白い砂浜。

観光客も殆どおらず、地元の子供達が遊んでいる。




浜辺に腰を下ろして海を眺めていた。

海を見ていると心が落ち着く。タバコを吸わなくなって暫く経つが、今の所吸いたい衝動に駆られる事はまだ無い。このまま止められるといいなと思う。

突然手に入った「何も無い」と言う事に、自然と自分の心の中に貯めていた色々な物が流れ出す。

手に取ってゆっくり懐かしみながら思い出すにはもっと時間が欲しかった。

気が付くと夕暮れが落ち、目の前の海も辛うじて見える程に暗くなっていた為急いで宿を探す事にしたのだが、この辺りにホテルやヴィラは見つからず、桟橋までもどろうかと思案していたが、また断られるかと思うと足が其方へ向かなかった。


今夜も野宿かな、と考え、砂浜の向こうに見えるレインツリーの林に向かって歩き出す。

野宿するにも砂浜の真ん中ってどーよと思うので、出来れば木の下なんかが好ましい。

そう思って向かった先に、大きなヴィラが現れちょっと吃驚した。

ああ、これで布団で寝れると思い躊躇うことなく玄関をノックした。




迎え入れてくれたのはユキさんで、少しだけ困った顔をしたが「どーぞ」と言って寝室へ案内してくれた。

食事はどうするのか聞かれたが、二日ほど寝ていなかったものだから、食事は断り直ぐに眠りに着いた。

それでも早朝には目が覚めてしまう。

睡眠障害は前よりは改善されつつあり夜眠れない事は随分減ったが、気持ち良く目覚めると言う事がどんな感じだったのかは忘れてしまった。これは多分日本に帰れば思い出すのでは無いかと最近思い始めている。


翌朝、早く目が覚めたので部屋から海を見ていたら、その海を砂浜に立ったまま見ている男性が居た。

一瞬ドキリとしたが、振り返った顔は知らない顔だった。

後ろ姿が周に似ていると思うなんて、まだまだ時間が掛るのかと思って溜息が出た。

ベランダから砂浜に降りて散歩をしてみる。

ホテルの周りを一周してみると、意外と大きな建物で二階は無く平屋造りになっている。そう言えばホテルの名前を知らないと思い、道路側にある大きな玄関を眺めてみるが看板らしきものは一切無かった。

玄関脇にはピックアップトラックが一台泊まっており、その荷台にはシュノーケリングの用具が置いて在った。


「あの、もしかして個人の御宅でしたか?」

朝食の席で思い切って聞いてみたら、目の前に座る昨夜の女性と今朝の男性が困った顔で頷いた。

慌てて失礼を詫び、寝具の洗濯と室内の掃除を申し出たがあっさりと断られ、終いには丁度ユキさんの助手を探していた所だからと、仕事と住居を提供された。

そのまま今に至っている。

なんてありがたい事だろう。人の好意がこんなにも暖かい事に今更だけど気づかされる。





最初の段階で料理は出来ないと言ってあるので、掃除洗濯を主にさせて貰っている。

一度だけ庭先でしたバーベーキューで真っ黒い塊を差し出して以来、洗い物以外では頼まれることが無くなった。

ユキさんの作る料理は仙台の佐々木夫人を思い出させる雰囲気がある。

地元の食材や調味料で作っている所為か、見た目はトロピカルなのだけど何処か懐かしくてほっとする味がする。

お蔭で体重も50kgまで回復しており、今ではショートパンツを履く事も出来る様になった。(余りにも細くて手足を出すのが自分でも気持ち悪かったのだ)


此処に来てから薬も止めた。

長く使用し過ぎた睡眠導入剤の副作用が怖くて、完全に抜く事が出来なかった。

人によってでは有るが、ぼんやりしたり頭痛やめまい記憶障害、反発性不眠症と言う以前よりも強い不眠症になる場合がある。

偶々薬を飲む所をユキさんに見られて、その場で説教をされて、二度と飲まない事を約束させられたのだった。

しかし、一年以上も飲んで居たツケは結構大きく、4・5日の間は夢と現実を行き来している状態に陥った。その間の記憶は曖昧で、つきっきりで世話をしくれたユキさんに聞いても笑うばかりで何も教えてくれなかった。

本当にお世話になったと感謝している。


でも、と思う。

そろそろ別の場所へ向かう時期が近づいている。

日本へ帰るのはもう少しだけ先にしよう。



「ルー!」

遠くで自分を呼ぶ声がする。随分海に近づいてしまったのだと気が付き、家の方へと歩き出す。空を見上げると、今夜も満天の星が光り輝いている。手に持ったビールはとっくに空になっており、家に行ったら星を見ながらもう一本飲もうかと考えていた。

「ルー、また散歩してたの?」

目の前のデッキにはマキさんとユキさんが並んで立って居る。

「泊まるんじゃなかったんですか?」

「んー、弟がね、珍しく来ててさ。明日帰るって言うから連れて来た。この家が見たいって言うからさ」

デッキに手を掛け、昇ろうとした時だった。

「誰か居るのか?」

動きが止まる。

「ああ、周。友達だよ」

脱兎の如く海へ向かって走り出す。









世の中は狭い!と思って下さい。


無理やり終息に向けた感が無きにしも非ず、で、申し訳ありません。

根っからのハッピーエンド信者なので、この辺が決め所だと思った次第です。(笑)

次話以降、甘さが右肩上がりの予定です。

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