28話 御影の後悔
最近、シュウは変わった。
笑わなくなったし、怒る事もしない。
何時も無表情で、何を考えているのか読み取れない。
元々感情を表に出すヤツでは無かったが、今程酷くは無かった様に思う。
多少なりともオレと居る時のアイツは、そこそこ喧嘩もし、テレビを見て笑う事も有った筈だ。
余りの仏頂面に「あまね」と呼んだ時は、ピクリと眉が動いたがそれだけだった。
アイツは「あまね」と呼ばれる事を嫌う。
始めて会った時からシュウと名乗っているし、そう呼ばせるようにしていた。
「あまね」と呼ぶのは家族と佐々木夫妻位で、オレやカレンでさえシュウと呼んでいる。
一番アイツの表情が豊かだったのは、骸骨みたいに痩せた女が側に居た時であり、その女を探して回った時だっただろう。
その女から「あまね」と呼ばれて嬉しそうにしていたと言うのだから今でも信じられない。
あれほど感情豊かに悲しみ喜ぶ人間らしい姿のアイツを見たのは初めてで、それは幼い頃から良く顔を会わせていたカレンでさえ驚く事だった様だ。
もっともあの女と話をした事も無かったし、顔を見る事も殆ど無かったが、あんな女の何処が良いのかオレには理解出来ない。
もっとふくよかで表情の豊かな女はごまんと居るじゃないか。
あの頃は、そう思って居た。
もう一年以上も前に【長坂秋弦】について調べ、報告をしている。
その女が彼女だと知ったのは、姿を消したその日だった。
あの報告にあった女性はメガネを掛けた知的な美人で、スーツの上からでも分かる盛り上がった胸が印象的な、グラマラスな肢体を持っていた魅力的な女性だった。
しかし元居た会社で身に覚えの無い贈収賄事件に巻き込まれ、それと同時期にシュウの噂話で傷付いた彼女の姿だったのかと思うと同情する外か無い。
関係無い話だが、オレもカレンとの婚約どころか結婚を望んでいるが、付き合いが長すぎてタイミングと言う物が掴めないでいる。
コンコン。
ノックの音に返事をする。
「失礼します。郵便をお持ちしました」
事務員が小さなコンテナを片手に入って来る。
「ご苦労さん」
毎日のように届く大量の郵便物に、眉間の皺が深くなりそうだがそうも言っていられない。
これでもアイツ宛のどーでもいい物は外してくれているのだ。
しかし、此処まで届いた郵便物の中でもアイツの手に渡る郵便物は極僅かなものである。
部屋の主が不在なのを好い事に、のんびりと仕訳を熟していく。
昨日からこの部屋の主は東京に行っている。
FCエレクトロとの提携が本決まりになり、今日はその契約の日である。
何時もなら同行するのだが、今日は生憎と国内電気メーカーの視察が入っており、アイツの代わりにオレが案内する事になっている。
今日の契約にしても、顔なじみのFCの連中が来るのだし、アイツ一人でも十分なのだ。
只気に入らないのは、サマンサ・コールドウエルも来る事である。
あの女はどうにも好きになれない。
長坂との間で何が在ったのかは知らないが、FCの娘が何か関係しているのは間違い無いだろう。かと言って、その事をアイツに言うのも考え物だった。
やっとFCと良好な関係を結んだのが、女の事で悪化するのは憚られる。
今日、こうして無事に契約に扱ぎ付けたのもアイツの努力の成果だし、そもそも高性能小型バッテリーはアイツの夢だったのだから。
郵便の仕訳をし終えて、シュウの分は彼のデスクに上げて置く。その奇跡的な郵便物は本日二通だけだった。
それと珍しい事に、オレ宛のFedExが一通、妙な膨らみが有る事が気になる。
誰からだろうと思い、封を開けながら宛名を見ようと手にした時、携帯電話が鳴り響いた。
【着信:九条周】
「おはようさん」
「・・・おはよう」
「どうした?何かあったか?」
「・・・嫌」
「契約はもう済んだのか?」
「まだだ。夕方5時頃になる」
「向こう、まだなのか?」
「ああ、ハリケーンが接近していたらしくてな。空港で足止めを食らったらしい」
「明日戻れるか?」
「・・・・・」
「シュウ?」
「俺の研究チームのリーダーは今日からお前がなれ」
「・・・何を言っているんだ?」
「今日で会社を辞める」
「おい!シュウ!何を言っているんだ!?」
「それじゃあな」
「まて!シュウ・・・・・」
電話は直ぐに切れ、掛け直しても繋がらない。
何を考えているんだ?
何で会社を辞めるなんて言い出したんだ?
まさか、あの金髪女か。
「チクショー!」
思わず手に持っていた封書を床に投げつける。
ガシャン。
と言う音と共に封書の中から自車のハイブリッドカー型のおもちゃが転がり出した。
「頼む、間に合ってくれ」
新幹線の中で何度思ったかしれない。
あれはおもちゃでは無く、オレが長坂に渡したUSBメモリーだった。
PCに繋げて見たが、オレが見ても詳しい事は理解出来ず、早々に研究室へ持ち込んだ。
研究員がそれを見た途端に興奮しこれは大変な研究成果で、FCVなど比べ物に為らないと豪語しだし、これを開発したのは誰か、何処のメーカーなのかと質問攻めに合ったのだ。そうかと思うとこれを他社に持って行かれたら、うちの研究は無駄になってしまうと途方に暮れ初め、そんな研究員を宥め、そのデーターを詳しく解析するようにと頼んで会社を飛び出した。
シュウに何度電話を掛けても通じない。このままでは技術もシュウもFCに持って行かれてしまう。
それでは何のために彼女が離れたのか、何のためにこんな物を送って来たのか、彼女の努力が水の泡になってしまう。
オレは自分自身が今まで何もしてこなかった事をここで初めて後悔した。
何時もは短く感じる1時間30分のスーパーMAXも、流石に今日は長く感じた。
東京駅が近づく頃には椅子から立ち上がり、降り口の先頭へ並んだ。
時計を見ると4時25分。
プシューと言う音と共に開いたドアから一気に駆け出す。中央快速線に乗り込み新宿までは15分、その後は走って10分弱か。
パークハイアット東京まで、30分で行けるかどうかは神のみぞ知る。
5時5分。
ホテルのロビーでTTKの利用会議室を聞く。
丁度上る所だったエレベーターに駆け込み肩で息を吐く。
東京は十月だと言うのに暑い。走った所為で額には汗が拭き出している。
チン。
エレベーターが止まり、ゆっくりとドアが開く。
(あーイライラする!早く開けよ!)
開いた先には、金髪の女と楽しそうに話しているヤツが居た。
「あまねーーーーー!」
館内に響き渡る程の大声を張り上げた。
「これは!」
契約前だったシュウをヤツが借りた部屋に無理やり連れて行き、持って来たUSBをヤツのPCで展開する。
久しぶりにコイツの驚いた顔を見れた事で、少し気が大きくなった。
今まで言えずにいた長坂との遣り取りを洗い浚い白状する。
「会社辞めてどうすんだよ。あの金髪のねーちゃんの所に行くつもりか?長坂が必死で成し遂げた事をお前は無駄にするのかよ!?」
言い終わったのと同時にヤツの拳骨が左側から降って来た。
「バカヤロー!もっと早くに言えよ!」
まあ、確かに、今更だったのかもしれない。
翌日アイツはFCの連中と共にアメリカへ向かった。
USBと共に入っていたメモに「FCV性能確認要、68%以上不可」と書かれていたからだ。
それを信じるか信じないかについては確たる物は無く、それなら確認してから契約成立と言う事でアメリカへ向かった。
あの時の金髪の女の驚いて見開いた大きな目と真っ青な顔は見ものだった。
あれは間違いなく嘘を付いている。
オレは刑事の息子だ。人を見る目だけは自信がある。
御影さん、実は刑事の息子設定です。もう少しいろいろと活躍して欲しい気持ちがてんこ盛りなんですが。これ以上話がややこしくなるのも面倒でして・・・(笑)
次話、周と秋弦が再会します。