26話 誘い上手
ポンポンポン・・・ポンポンポン・・・
「ルー、お休みコールの時間だ」
「そうだねーそれではお先に寝ることにするよ」
「お休み、いい夢を」
「ありがとう、おやすみ」
研究室を出て車に乗り込み、マンションへと向かう。
本当なら研究室で寝泊まりしたい所だけど、監視されてる身としては出来るだけ平均的な生活を送らなければ行けなかった。
監視されている事に気が付いたのは大介で、各所に配置されたセンサーで位置確認をされている事と、部屋の開け閉めで出入りの人数のチェックがされている事が分かった。
盗聴類は確認されていないが、念の為に仕事に関係する話はここでしない事になった。
100万ドルの口座も別口座へと移し、出し入れが分からないようにしてある。
野放しにはしないと思ってたけどね。
研究室とはマンションから数ブロック離れた所に有り、大介の大学の研究室を利用している。
大学の研究室は各所に点在し、長い間使われていない部屋も数か所あるらしい。
今使っている部屋も、見た目は個人の一軒家で、名義も個人の物だという。
前の教授の自宅を改造した研究室で、その教授は今隣の新築の家に住んでいると言う。
何とも贅沢な話だ。
ただ、設備が古いのが難点で、多少の設備投資が必要だった。
マンションへ着くと直ぐにシャワーを浴びにバスルームへ向かう。
そろそろ八月になろうとしているが、日本程の暑さは無い。
気温は25℃前後と穏やかなのだが、若干湿度が高く汗ばむ事が多い。
それでも過ごしやすいのは嬉しい事だ。
余り暑くなると食欲が低下し、これ以上痩せたくない身としてはありがたい。
佐々木夫人の言葉を思い出し、食べられる物を食べられるだけ食べるように心がけている。
そのお蔭か、46kgから下がる事が無くなった。
ざっと髪を乾かし、窓から見えるトロントの夜景を眺めながら、強いメンソールのタバコに火を点ける。
こっちのメンソールは強めが多い。
それに高額だ。
文句があるなら吸わなきゃいい話なのだが、時々こうしてタバコに頼ってしまう自分が居る。
もしかしたら間に合わないかもしれない。
FCVの走行可能距離が現バッテリーの70%を超え、80%まで持っていくのも時間の問題と言われ始めている。
もっと最新式の研究施設が有れば。
もっと高額なドルを要求して、研究施設まるごと購入出来れば。
途方も無い事を考えた。
タバコを消し、コップ一杯の水で1カプセルの睡眠導入剤を飲む。
ベッドへ潜り込み、携帯を開くと着信の案内が一件表示される。
毎晩0時頃に周から電話が来る。
コール5回で留守番電話に切り替わる。
留守番電話にメッセージが吹き込まれる事は無いが、それでも「おやすみ」と言っている様で心が軽くなる。
彼等を信じて見守ろう。
まだ時間は有る筈だ。
翌日、研究室へ行くと大介は相変わらず机の上で眠っている。
それと別の場所で、小野原君が試作品を組み立てていた。
「おはよう」
「おはよう」
小野原君とは、小野原聡君。
大介の高校の後輩で、北大理学部の4年生。(次年度も4年生が確定している)
物静かで、いつ見ても薄く笑っている様な表情をしているが、何を考えているのかさっぱり読み取れない人物である。
日本人の平均的な身長174cm、体重は大介よりも少な目、髪の毛は黒く短髪の伸びた様な中途半端な髪形をしている。目は細く小さな唇の口角は何時でも上がり気味だ。
大介が唯一声を掛けてカナダまで御足労願った人物だけの事はあり、小野原君が来てからは格段に良い数値が出るようになった。
「ルー、これお願い」
「おはよう」
机の上から顔を上げた大介からメモを渡された。
トロント大学内のリチャード教授の部屋の中は、足の踏み場も無いほど本で埋まっている。
その中から大介に頼まれた本と青いファイルの資料を探しているのだが皆目見当が付かない。窓際から二山目のチョモランマの中に有ると教えられたのだが、窓が三か所も有る為に途方に暮れていた。
諦めて帰ろうかと思った時、この部屋の主が顔を出した。
『おや、ルーじゃないか!どうしたんだい?』
『大介に頼まれたのですが、分からなくて困っています』
そう言ってメモを差し出すと、メモを見た後天井を向いて数分考え、二つ目の窓辺へ向かってうず高く積まれた本の山の中から探し出してくれた。
青いファイルは教授の机の上にあったので、それを手にして立ち去ろうとしたが、若干教授の動きが速く腕を取られて手にキスをされてしまった。
『やっと君に会えたんだ、お茶を飲もう』
『でも、急ぐんです』
『急ぐのなら、ダイスケが取りに来るよ』
まあ、それもそうなのだが。
リチャード教授は大介の先生であり、大介の良き理解者である。
この度の半年間の休職願いもリチャード教授のお蔭で了解して貰えたし、必要な書類や資料等も提供してくれている。
本当に良くして貰っているのだが、私を見つけると必ずお茶に誘い、その後必ず食事に誘うのである。食事に行ったが最後、翌日まで返して貰えなさそうなので、今の所何とかお茶で済ましている。
彼は四十八歳の独身で、ビールとピザが大好きなアメリカ人である。
金色の髪の毛は薄く、彫りの深い顔にブルーの瞳、身長も190cmを超え見上げるほどに大きい。お腹回りもかなりのもので、食事に気を付けてはどうかと思うのだが、巨大なハンバーガーを美味しそうに食べる姿を見ると何も言えなくなってしまう。
三年前に奥さんを病気で亡くし、自分はとてもさみしいのだとアピールする姿に一瞬心を動かされそうになったが、彼の心に今も存在している奥さんを私に重ねているのだと理解した。彼の奥さんは日本人で、大介の事も日本人と言う事で大切にしている節がある。
気持ちは分かるが、私は私であって、彼の奥さんにはなれない事を分かって欲しいと思う。
大体父親と近い年齢の彼に、好意は寄せても、愛情は持てないのである。
だからリチャード教授に会わない様にこっそりと来るのだが、三回に一回は見つかって大学のカフェでお茶を飲む事になるのだった。
大学のカフェなら何も問題が無いから構わない。
『ルー、今夜は食事に行こう』
『教授、それは無理ですよ。大介の手伝いがありますから』
『君は何時もそう言うね』
『ええ。急いで作る必要があるんです』
『でも君が手伝う事は無いと思うよ?』
何時もなら笑って『それじゃ今度ね』と言う彼が、今日は痛い所を突いてくる。
確かに私の手伝う事は無く、彼らがしている事を見ているだけであるのは本当だ。食事の用意もお茶の用意も必要では無く、欲しくなれば自分で食べに行ったり宅配を頼んだりしている。
恥ずかしい話、睡眠導入剤を飲む様になっても夜は余り眠れず、彼らの研究室のソファでまどろんでいる事の方が多いのだ。
薬の成分を確かめて、自分の体重から割り出した量に調整して飲んでいるにも関わらず、良く眠れない。増やすと今度は丸一日寝てしまい大介たちを心配させてしまう。
薬に頼らず精神を安定させれば良いのだが上手く行かないのも事実である。
カウンセリングに通おうかとも考えたが、言われることは分かっているから足が遠のいている。
私の大学での専攻は薬学である。
理工学系がほぼ無知に近いのは事実である。
そんな私が何故小型軽量バッテリーを作りたいのか、については余り詳しく話してはおらず、それについて聞かれもしていない。
未だに彼らは何も聞かないが、私がHIHを辞めたのはFCエレクトロの技術者と恋に落ち、駆け落ちしようとしたのが見つかって引き裂かれたと思っているらしく、その技術者はFC会長の娘と婚約しており、秘密裏にHIHを脅して私を辞めさせたと信じている様なのだ。だからTTKがFCと契約をする前に、FCよりも高性能の物を作ろうと必死なのだど思われているらしい。
これは、リチャート教授が大介から聞いた話だと言っていたが、半分正解で半分不正解である。何処からそんな話が出来上がったのか不思議だったが、人の想像力には面白い物が有る。
『そうね。手伝う事は無いけれど、彼らを見ていたいの』
『そろそろ昔の恋は忘れた方がいいよ』
周との事はもう昔の事なのだろうか。
『まだ時間がいるわ』
『僕が忘れさせてあげるよ』
それは無理と言う物なのだが、彼になんと伝えれば分かって貰えるのか試案していると、背後に人の気配を感じた。
「困ってる?」
そう、困っている。
え?日本語じゃん!?それに聞き覚えのある声だ。
振り向こうとするより先に、椅子越しに抱きしめられて首筋に暖かい物が触れる。
「ちょっと!夏目さん?」
振り返った先には紺色のポロシャツを着た夏目が、にやにやしながら立って居た。
目の前ではリチャード教授が驚いた顔で私達を見ている。
『ルー、彼は知り合い?』
『あ、ええ、知り『恋人だよ』』
『そう、彼が迎えに来たんだね』
突然奈落の底に突き落とされた感じである。
今までの苦労が何だったのかと、自分の行動の浅はかさに眩暈を起こしそうだ。
私が何故リチャードにはっきりした態度を取らなかったのかは研究の為だった。
彼の元に有る資料や研究データは元来持ち出し禁止の物で、私なんかが勝手に見ても良い物では無いのである。
その為に、無理してリチャードにお付き合いしていたのだが、今の一言で彼の部屋へ自由に出入りする事は難しくなったと思う。
そんな事は我関せずと、カフェにリチャードを残したまま、私を連れてスタスタと大学の外まで出てきてしまった。
「夏目さん!もう、どうしてくれるのよ!」
「あんなおやじに媚びてるのを見るのは嫌だね」
「夏目さんには関係ないじゃないですか!」
「関係あるさ」
「・・・それより何で此処に居るんですかね」
「偶然さ」
ああ、もう、何でこんな人に好かれたのだろう。
えへ。やっぱり夏目さんが登場してしまいました。
自分的には嫌いな部類の人種だけど、こういうヤツ居るんですよ!(笑)