23話 外人さんは美人さん
翌日は生憎と雨になった。
朝方から降り出した雨は止む事も無くずーっと降り続けている。
お天気が良ければ散歩をしたかった所なのだが、今日は諦めよう。
また熱を出すと大変だし、今夜もここに泊まる事が出来無くなる。
昼前に周に電話を掛けて、やっと承諾してもらったのだ。
もう一晩だけ泊まりたい。
それは、自分の部屋から出たくないのでは無くて、確認したい事が出来たからだ。
昨夜、懐かしいベッドに潜り込み、懐かしい匂いに包まれて、ぐっすりと眠れる筈だった。それなのに、まったく眠れなかったのである。
うとうととしては目を覚まし、何度も寝返りを討っては溜息を付く夜だった。
結局夜明け前にベッドから抜け出して、暖かいコーヒーを飲みながらテレビを見ていたのである。
今夜。
今夜、もしも眠れなかったら、その時は諦めよう。
自分に素直になって、周にちゃんと打ち明けようと思っていた。
周も今夜は会合があり、一緒に食事も取れないが、明日は早い内に迎えに来ると言ってくれた。
周に会いたい。
たった一晩別々だっただけで、こんなに不安になる自分が情けない。
実は、昨夜、周が帰る時も一瞬不安な気持ちが過ぎったのだ。
恋をするとはこういう事なのか?
誰かに問い質したいけど、答えてくれそうな人は見当たらない。
兎に角今夜、お風呂にゆっくり入って楽しい事を思い出してベッドに入ろう。
そう言えばクリスマスの時に買った好い香りのバスボムが有る事を思い出し、少し熱めにお湯を張る事を決めたのだった。
♪ピンポーン♪
そろそろお風呂に入ろうかと思い、洋服を脱ぎ始めた時だった。
片腕を抜いた服にもう一度腕を通して玄関へ向かう。
『はい』
『夜分に申し訳ございません。九条の使いの者です』
インターホン越しに聞こえる声は、きびきびとした男性の声だった。
九条と言う名前に、少し顔が綻ぶ。
『今開けます』
ロックとドアチェーンを外してドアを開けると、其処にはスラリと背が高く金色の髪を高く結い上げグレーの光る毛皮のコートを着た女性が立っていた。
「えっ?」
10cm程しか開けなかったドアが一気に開かれ、ドアノブを握ったままだった私はつんのめる様に裸足のまま玄関に足を付いた。
毛皮の女性の脇から黒いスーツの大柄な男性が二人、ドアを開けたまま立って居る。
『あなたが、シーズ・ナガサカ?』
ネイティブな英語が毛皮の女性の赤い唇から発せられる。
『ええ』(しづるは言いづらいんだよね)
毛皮の女性は土足のままずかずかと部屋に入り込み、部屋の中をぐるりと見回した。
私は玄関に立ったまま唖然とする。
黒スーツの男性はドアを閉め、玄関に立ったままだ。
『サマンサ・コールドウエル、フィル・コールドウエルの娘よ』
『フィル・コールドウエル・・・フィル・・・フィル・・・FCエレクトロの!?』
FCエレクトロはアメリカ第一位の電気会社である。
元々は中堅の農機具の製造工場で、農機具の試作で刈り取ったトウモロコシの廃棄に困っていた。
出荷用に刈り取って居ない為、試作機の間に挟まって潰れたり、根こそぎもぎ取られたりと雑多に積み上げられたトウモロコシを、ある小さな会社が無償で引き取ると申し出て来た。
何に使うのかと聞いた所、トウモロコシを燃料に出来ないか研究している所なのだが、大量に消費する為購入するにも多額の資金が必要となり困っていたと言うのだ。
興味を引かれたFCの社員が協力を申し出、見事トウモロコシが原料の燃料電池を開発した。
それを機にその小さな会社を取り込み、大学で研究を続けている若い技術者を高給で迎え入れて様々な電池を作り上げ、今ではアメリカで生産されるハイブリッドカーの約45%のバッテリーのシェアを占めるまでになった会社だ。
今現在も燃料電池の研究は続けられているが、それ以上に研究が進んでいるのが小型バッテリーである。
『流石ね。HIHに勤めてただけの事はあるわ』
『調べたの?』
『もちろん。シューに関係する事なら全て調べるわ』
『シュー・・・』
『はっきり言うわ。彼から手を引いて』
『何故』
毛皮の女性が黒スーツの男に目配せをすると、私の目の前に畳まれた新聞が差し出された。
それは日本の夕刊で、見出しには「TTKと米FCが電気自動車で提携か」の文字が大きく印刷されている。
『これは彼と彼のチームの功績よ。パパはTTKのマニュアルが欲しいのじゃ無いわ。彼が欲しいのよ。それは私も同じよ』
『彼に直接言えばいい』
『彼の返事は知っているわ。ニューイヤーパーティーにも来なかったもの。それでも私は彼が欲しいわ。その為には手段は択ばないつもりよ』
『権力?』
『権力もあるしお金もある。それに私は大切な一人娘よ?パパと私の意見が同じならやる事は同じよ』
『断ったら?』
『彼が悲しむ事になるわね。彼がやろうとしている事は、うちの技術が無ければ成功しない事だもの』
『それを確かめる方法を私は持っていないわ』
『ふふふ、シーズ、あなたは頭が良いわ。三日後に電話をするわ。その時に返事を頂戴』
『何をするの?』
『直ぐに分かるわ』
毛皮の女性サマンサは青い瞳で私を見つめた後、ヒールの音を響かせながら帰って行った。
お掃除ワイパーで床を掃除し、鍵を掛けた事を目視で確認してからお風呂に入った。
あの綺麗な英語は間違いなく上流階級の人だろう。
訛りが無く、奇麗な発音はブリティッシュに近く、英国に長く住んでいた事を物語っている。
私の英語の先生がイギリス出身のアメリカ人だったので分かる事である。
困ったな。
周に話した方が良いのかどうかも、困った所だった。
結局その夜も眠れず、昼前に迎えに来た周と一緒に広瀬町の邸宅へと戻った。
戻って直ぐに検温され、予想通り熱が高い事が発覚し、すぐさまベッドへと連れて行かれた。
幼い頃から熱は出し易い体質だったので、多少の熱で学校や仕事を休む事は無かった。
しかし、この家の人達は皆心配性の人ばかりのようで、36・8℃を基準に物事を判断しているようだ。(先日までの経験から予測)
生憎今の体温は37・2℃と、基準値より高い。
私としては、微熱程度の認識なのだが、氷枕まで登場してしまった。
「心配し過ぎだってば」
「目の下にクマまで作って何がしたかったんだ?」
「うー、あのさ、自分の部屋に帰ったじゃない?それでさ、お気に入りのベッドへ入って眠ろうとしたんだけど、眠れなかったんだよ。変だなーっと思って、もう一日寝てみようと思ったの」
「・・・それで?どうだった」
「・・・眠れなかった」
「ここでは随分寝てたよな?」
「・・・はい」
「それは一体どういう事だと思う?」
ベッドに腰掛け両腕が私の顔の横に置かれた状態で、なんと返答すべきだろうか。
メガネを取った私の視力でも十分に顔の表情が分かる距離で、整った顔が薄笑いを浮かべながら迫ってくるのは犯罪だと思うのだが。
「あ、あの、そう言えば、昨夜、FCの「チリリリン・チリリリン・・・」」
「ごめん、電話だ」
周がポケットから電話を取り出し、誰かと話し始めた。
「悪い、出かけてくる」
「会社?」
「ああ、直ぐ戻るよ」
「はーい」
心臓が嫌な予感でドキドキする。
その日は戻らず、翌朝になっても戻らなかった。
翌日の午後、少し伸びた髭と落ち窪んだ眼で帰って来た。
私の顔を見て笑った様に見えたが、ソファに深く沈み込むと瞼を閉じた。
そのまま二時間程眠った後、コーヒーを半分程飲んでまた出かけて行った。
どうしたのかと聞いてみても、大丈夫だ、何でもないよ、ちゃんと食べるんだぞと笑いながら何も教えてくれなかった。
周が出て行ったのと入れ違いで御影さんが戻って来た。
御影さんは着替えて食事を取ると言っていたので、食堂で待ってみた。
私が居る事に少し驚いていたが、それでも直ぐに椅子に座ってテーブルに用意されている生姜焼き定食の様な遅い昼食を取り始めた。
「御影さん、教えて下さい。何があったんですか?」
「アイツは何て?」
「何にも教えてくれません」
「じゃあ、僕からも言えないよ」
「そうですか、もしかしてFCモーターの事かと思ったんですけどね」
「おい!何で知ってるんだ?まだ報道されてないだろう!?」
「やっぱりですか」
「・・・何を知っている」
「多分全て」
御影さんは口に運ぼうとしていたお肉を戻し、私に向き直る。
「うちとFCの技術提携はあくまでも日本で作る事が基本だ。それで了承を得ていた筈が、急にアメリカですると言い出したんだ。向こうへ行けば、こっちのデータが全て筒抜けになる。幾らセキュリティを掛けてもFCの自社ビルでならFCの人間が誰でも入り込めるし、バックアップも難なく取れるだろう。それに向こうはサイバーテロの温床だ。FCだけじゃなく、他の会社の連中も黙っては居ないだろう」
「こちらの情報は出したく無いんですね」
「共同開発じゃ無い。提携だ」
「でも、周の作りたい物の為にはFCの技術も必要だと」
「そういう事だ」
「FCじゃ無いとダメな事なんですか?」
「今現在FCでしか開発されていない」
「・・・分かりました。周の考えている電気自動車のデータを下さい。そうすればこの件は解決出来ます」
「お前!やれる訳が無いだろう!」
「心配しないで下さい。そのデータは私への担保だと思って下さい。これには私の人生が掛かってるんです」
「・・・何があったんだ?」
「今、日本にサマンサ・コールドウエルが来ています」
「まさか!?」
「タイムリミットは明日の午前です」
それだけ言って、部屋へ戻った。
思わぬ展開!?でも常套手段か!?(笑)
お決まりですみません。




