22話 甘いのは私
「あ・ま・ね!帰りたいってば!」
「体重が戻ったらな」
「戻ったって言ってるじゃんか」
「ほー、それじゃ俺の目の前で体重計に乗って貰おうか?」
「い、いーわよ。望む所よ」
乙女が殿方の前で体重計に乗るなんて、羞恥の骨頂だと思うけれど、あれから一週間も経つのに自分のアパート所か、この家から出して貰えて居ないのである。
「ほら」
「ちゃんと見てよ」
そろりと足を乗せ、体重計に体を乗せる。
「48.8kg」
「私の体重は48kgだったから、帰っていいでしょ!」
周は何処から持って来たのか、A4サイズのファイルを取り出して一瞥した後、それを私に向けて差し出した。
「何よ?」
受け取ったファイルは昨年会社で受けた健康診断の時の資料だった。
「何であんたが持ってるんだよ!?」
「其処には体重53kgと書いてあるが?」
「そ、その後ダイエットして48kgになったのよ!」
「ほー昨年の暮れにお前を酔っ払いから助けた時は、どう考えても今より重かったけどな」
「お、重い言うなー!」
「いいから、もう少し大人しくしていろ。まだ、食欲が戻っていないし、直ぐに眠くなるだろうが」
「むぅー」
「それじゃあ、今夜の食事を残さず食べたら、明日は出かけよう」
「ホント!?本当に?約束だよ!」
「ああ、約束するよ」
「やったぁー!」
今夜は何としても全て食べてやろうと意気込んだ。
美味しい食事を食べながら、ぽろぽろ泣くのは失礼だと思うのだけど、自分の思う所とは別で止めど無く涙が零れる。
「しづ、無理するな」
「何でかな、何で食べれないんだろう。こんなに美味しいのに。周よりはるかに少ない量なのに。何でだろう」
社員食堂では大盛りの定食を食べても、お腹が苦しいと思った事は無かった。それなのに。
ぽろぽろと涙が止まらない。
結局、周に抱きかかえられて寝室へと戻って来た。
「俺が悪かった。そんなつもりで言ったんじゃ無かったんだ。ごめん」
「ううん。私こそ、ごめん」
この二月の間、食事と言う食事を取って居なかった。
元々、三食きちんと食べると言う生活をしていなかったから、食事の事は大して気にも留めていなかった。
お腹が減ったと思えばコンビニでおにぎりを買って食べていたが、よくよく思い出してみれば何も食べない日があったように思う。
おばさんの家はバイト先に近く便利ではあったが、自分のベッドで寝た時の様にぐっすりと眠れた事は少なかったかもしれない。
バイトも後半の頃は食べる事が億劫になっており、ミケの寝顔を只見つめていた様に思う。
私にとっては会社の社員食堂がオアシスだったのかも知れない。
早い話、今の私の状況は、拒食症の人にいきなり普通の人と同じように食べろと言われても無理だと言う状態だろう。
心は落ち着いて来たけれど、体がまだ付いて来られないのだと思う。
それでも着実に体重は増えている。
これは周のお蔭だと感謝している。
焦ってはいけないのは分かっているが、自分の家に帰りたいだけなのだ。
「明日は一緒にしづのアパートへ行こう」
「・・・はい?」
「気分転換も必要さ」
「もう!早くに言ってよー!」
「泣いた烏がもう笑った?」
「周の意地悪っ!」
明日帰れる事に喜んだ私は、その直後に熱を出した。
知恵熱か。
情けない。
思い切り落ち込んだ私に、周はやさしくしてくれる。
「熱が下がったら行こう」
ベッドの中で抱きしめられて、そのまま一緒に眠る。
周のやさしさが身に染みた。
人間、体調が悪いと幾らでも眠れる物らしい。
あれから二日経つが微熱が続き、寝たり起きたりを繰り返している。
今日は大分落ち着いており、漸く熱も平熱まで戻りつつある。
周は私がこの家に来てから三日程会社を休み、私の側に居てくれた。
その後も午後から出社したり、朝から出社したかと思うと昼には返って来たりしていた。
私の事は心配無いと言っているのだけど、御影が居るから大丈夫だと言って側にいてくれる。
まあ、嬉しいけれど。
しかし、周の部屋を、ベッドを私が占領しているのは気が引ける。
目が覚めた時は既にこの部屋のこのベッドで眠っていたのだから、今更なのだろうけど。
別の部屋で寝るとも言えず、毎夜周に抱き締められながら眠りに着く毎日だ。
何て言うのか、突然降って湧いた幸せに少なからずドキドキしている。
周の部屋は最初に入った居間と同様に和風モダンな空間だった。
茶色や木造の家具が置かれ、障子の向こうは渡り廊下でガラス戸の向こうには庭が有る。
この部屋は二間を一部屋に改修しているらしく、長方形の形の広い部屋だ。
奥にクイーンサイズのベッドを置き、中央寄りにエル字型のソファと木のテーブル、その奥には茶色のチェストが壁際に置かれ、大型画面のテレビが鎮座している。
この部屋が、自分の部屋同様に落ち着くという事が信じられない。
もう一つ信じられない事が、私の身の回りの事の殆どを周がしてくれる事である。
くしゃみをすればティッシュが渡され、喉が渇いたと言えば水やお茶を持って来てくれる。
病人じゃ無いんだから、過保護過ぎ無いか?と思うのだが、心配される身としては嬉しいような面倒臭いような気分である。
でも、私も女だし、いろいろと周にはお願い出来ない事もある。
そんな時は佐々木夫人が大活躍してくれるのだ。
佐々木夫人とは、その名の通り佐々木さんの奥さんである。
佐々木さんはこの家の世話役で、今風に言えば執事の様な人物らしい。
私のアパートに花や鞄を届けに来てくれた人であり、この家に来た時も美味しいココアを持って来てくれた人である。
前に麻耶が言っていた通り、とても紳士なおじさまである。
食事の時は必ず居り、配膳や飲み物の世話を焼いてくれる。
その佐々木さんの奥様もこの家で家事を熟し、朝と昼の食事の用意もしてくれている。
佐々木夫人はぽっちゃりとした日本のお母さんタイプの女性で、ころころと良く笑い、まめまめしく良く動く。
私が眠り続けている間、洋服の着替えや、体を拭いてくれていたのもこの夫人で、下着や化粧品(基礎)などの必要な物を用意してくれたのも佐々木夫人である。
このご夫婦はこの家の離れに住んでおり、主人が不在の時も家の管理を任されている。
偶にだけど、御影さんも泊まる事が有るらしい。
今日は少し気分が良いので、ベッドから抜け出して縁側に出て見る。
パジャマの上には毛布の様なふわふわのカーディガンを羽織っての縁側である。
二月も過ぎ、三月に入ると日中の日差しが少し暖かい。
ポンポンポン・・・ポンポンポン・・・
ベッドサイドに置いていた携帯が鳴っている。
慌てて取りに行き通話ボタンをスライドさせる。
「はーい」
「起きてたのか」
「うん。気分が良いから縁側に居た」
「暖かくしろよ」
「うん」
「後1時間で帰るよ」
「分かった」
なんと言ったら良いのだろう。
赤面する会話だと思わないか?
翌日も天気は晴れ。
風はまだ冷たいが、火が当たっている場所はぽかぽかと気持ちが良い。
熱も平熱で食欲もそこそこに有る。
そんな訳でのびのびになっていた自宅帰還がやっと実現するのである。
洗濯をして貰い綺麗に畳まれた自分の洋服に、数日ぶりで袖を通した時は少し緊張してしまった。
周が私のジャケットの襟を直しながら、近い内に新しいジャケットを買いに行こうと、取れたままのボタンホールを見つめていた。
周の運転する車の助手席に座り、表の景色を眺める。
ほんの少しの間なのに、歩く人の服装も軽くなり春が近いのを実感する。
自分はまだまだ春とは無関係な服装だし、薄着等しよう物なら佐々木夫人から叱られそうだ。
今だって、母の手編みのマフラーをしっかりと巻いている。
佐々木夫人に叱られる前に周に叱られるのは必然だが。
数週間ぶりの自分の部屋は埃っぽくて、少し湿っぽかった。
掃除機を出して来たら、周が掃除機で部屋中の埃を吸い取ってくれた。
私はその間、布団乾燥機を取り出して布団を乾燥させ、雑巾を絞ってテーブルやテレビ周りなどを丹念に拭きまわる。
暫くの間寝たきりの生活を送っていた所為か、少し動いただけで心臓がばくばくと鼓動を早め軽い眩暈を起こした。
無理をすると後が大変なのを実感しているので、此方を見ていた周に軽く頷いてソファに座り込む。
「大丈夫か」
「うん」
隣に座った周に寄り掛かり、暫くの間うとうとと眠ってしまった。
「今日はもう戻ろう」
「・・・・・」
「しづ?」
「あの、さ。今夜はこっちに泊まりたい」
「・・・そう言うと思った」
「ごめんね。一人で過ごしてみたいんだ」
「・・・一人でか。そうか、しかし調子が悪ければ直ぐに連絡をすると約束してくれ」
「うん。ありがとう」
私のわがままの所為で夕食はデリバリの中華となり、冷蔵庫に備蓄してあったビールと共に細やかな夕食を二人で取った。(冷蔵庫の中がビールだけと言う状態に、流石の周も冷蔵庫の扉を開けたまま少しだけ固まっていたのは見なかった事にしよう)
食後のお茶を飲み終わると周がそろそろ帰ると言い出した。
玄関まで見送ったら、靴を履く前に抱き締められて、また額にキスをされた。
周はあの日から額にしかキスをしていない。
私の体調を気遣ってくれているのだと知っている。
だから。
私が背伸びをしてやっと届く彼の唇の端っこに軽くキスを返したら、びっくりした顔をしながら少し赤くなった彼が少し可愛く見えたのは私だけの秘密である。
この話は要らなかったかな~ 等と思いながら書いてしまいました。
次話に飛ばしても差しさわりは御座いません!
少しは甘いお話も良いかなって、さ。