21話 周の家
仙台市青葉区広瀬町の住宅街。
八幡神社の大きな欅の木の横を通り過ぎた所で左に曲がり、細い小道に入り込む。
その脇に見えるのは背の低い生垣に格子戸が有る日本家屋。
平屋造りに見えるが二階建ての建物に相当する高さが有り、部屋から漏れるオレンジ色の明かりから瓦屋根が載った入母屋造りの様に見える。
車が向かった先には5台は入りそうな車庫が有り、その前を通り過ぎて広い玄関のアプローチの正面で止まった。
運転席の周が車を下り、助手席のドアを開けて私の手を取る。
「え・・・何処?」
「俺の家だよ」
「あ、あの・・・」
助手席で固まる私を難なく降ろし、手を繋いだままスタスタと歩き出す。
途中、数人の人とすれ違ったが皆が驚いた顔をしながら過ぎて往く。
玄関を上がり長い廊下の先には広い広い居間が見えてきた。
日本家屋に似つかわしい茶色をベースにした家具が、洋風モダンな雰囲気を作っている。
その中央に鎮座している大きくて座り心地の良さそうなソファが手招きをしていた。
まずい。
この安心感は睡魔を誘う。
周に乗せられた車の中ではお互いに無言だった。
私は聞きたい事が有るのだが、乗り心地の良い車内で、昨夜眠っていないが為に睡魔との戦いに集中していた。
周の家の座り心地の良いソファに沈み込みながら、白髪が混じる優しそうなおじさんが持って来てくれた暖かいココアを飲みながらも、睡魔と格闘していた。
「秋弦、ごめん」
「・・・何、が?」
「大変な時に側にいてやれなかった」
「・・・それは、別に周に関係ないよ」
「カレンの事も説明していなかった」
「・・・それも、私には関係無い事だよ」
私と周はまだ何も始まっていないし、これからも何も始まらない。
窓辺に立って居た周が、私の隣に座る。
「俺は誰とも付き合っていないし、ましてや婚約なんてした覚えも無い」
「・・・えっ?でも、一緒に居る所を何度か見たよ」
「ああ、一緒に居る事は多いが、それはカレンが俺に会いに来たんじゃ無く、御影に会いに来ているからだよ」
「・・・御影、さん?」
御影さんとは、周の秘書で大学の友人なんだそうだ。
札幌の展示会の時に私のキャリーバッグを取り上げ、車のトランクに入れてくれた男性が御影さんその人だった。(らしい)
私が覚えている限りでは、周より背が高く肩幅もあり、ラグビー等をしているがっしりした体育会系人間に見えた。第一印象はSPみたいな人、だったと思う。
最初に入った京都大学で知り合い、周がアメリカに行ってからも交流は続いていたらしい。
周の誕生日の時に遊びに来ていた御影さんに、父親と一緒に遊びに来ていたカレンさんが一目惚れをして、強引に口説いて追っかけているのだそうだ。
まあ、御影さんもカレンさんと一緒に居る時が楽しそうだから、この二人が一緒になるのも時間の問題だろうと言っている。
さて許嫁の件だが、周の父親とカレンさんの父親が友人で、お互いの子供が結婚したら楽しいだろうという思いで許嫁だと口約束をしたらしいが、本人同士はまったくその気は無く、本当の取り決めだとも思って居なかったらしい。
それでもお互いに成長するにつれ、自分の容姿が他人に興味を引かれる事を感じ始め、それに困った周とカレンさんは「許嫁が居る」と言う口実を使って遣り過ごして来たのだそうだ。
カレンさんと御影さんの仲が近づく頃には、もう口実を使う事も無くなっていた。
しかし、カレンさんがモデルの仕事を始め人気モデルとして躍進し始めると、昔の口実が実しやかに噂され、公然の事実と言われるようになっていた。
周はその頃アメリカの大学におり、知っていても気にしなかった。
カレンさんも御影さんと付き合うのに丁度よい隠れ蓑として、曖昧に濁して過ごして居た。
しかし最近頻繁に仙台に来るカレンさんに対して、メディアはこぞって婚約間近と騒ぎ出したのだと言う。
それも相手は周だと勘違いしての騒ぎなのだそうだ。
「これを機に、あの二人が本当に婚約してくれればと思っているんだがな」
「はぁ・・・」
「その事を説明しようにもお前とは連絡が取れないし、アパートにも帰って来ないし。いったい何処で何をしていたんだ?」
「え、と、携帯は会社の人からの電話やメールで鳴りっぱなしで・・・周は婚約するって話だったから、お付き合いは不味いだろうし・・・で、解約した。アパートに帰らなかったのはおばさんの家の留守番頼まれて、おばさんの家からバイトに通ってたからで・・・」
隣に座る周からの怒りのオーラがビシビシと伝わってくる。
どうしよう。
でも何で怒っているんだ?
ちょっと待て。
カレンさんの件が無くなると言う事は、クリスマスの続きが有ると言う事か?
それって不味く無いか?
ましてや此処は周の家。
「か、帰る」
ソファから立ち上がり一歩を踏み出すがクラリと天井が周り、目の前のテーブルに手を付いて体を支える。
「大丈夫か?」
優しく体を支えられ、そのままソファへ戻される。
周はすっと立ち、居間から廊下へ向かって誰かを呼んでいる。
帰らなきゃ。
そう思うが目を開けれは目の前は歪み、立つ事も間々ならない。
目を瞑り息を整えて気分を落ち着かせる。
漸くして気分が落ち着いた頃には瞼が重く、体の力が完全に抜けて眠りの淵へと踏み出していた。
髪の毛を優しく撫でてくれる手が心地好い。
お昼寝をしている私の髪を撫でてくれる母の手が気持ち良くて、もう少しだけ寝た振りをする。
(そろそろ起きないと、周くんが可哀想よ)
えっ!?
「ママ?」
目を開いた先には吃驚しながらも笑っている周が居た。
慌てて起き上がろうとした私を、周が静かに止める。
私の左腕にはチューブが繋がっており、そのチューブの先には銀色のスタンドにぶら下がった点滴の袋とおぼしきものがあった。
「あ・・・・・」
「気分はどうだ?」
「え?・・・あ、すっきりした」
「寝て無かったのか?食事も取っていなかったのか?」
「あ・・・・・迷惑を掛けたんだね?」
「迷惑じゃ無く、心配したんだ」
「ごめんなさい」
「二日も寝ていたんだぞ?」
「 」
二日と言う言葉を聞いて頭の中が真っ白くなった。
あのままソファで眠ってしまった私は、翌朝になっても起きず大層心配されたらしい。
知り合いの医者に来てもらったら、疲労と栄養失調だと説明を受けたそうだ。
今のこの世の中、栄養失調は珍しいと笑って帰って行ったそうだが、翌日も来てくれて点滴を追加してくれたのだとか。
ああ、とんだ失態を侵してしまった。
丁度点滴が終わる頃にお医者さんが来て2・3質問をされた後は、栄養のある物を沢山食べなさいと言われただけで、点滴の針の後に絆創膏を貼って帰って行った。
「あの、物凄くお世話になってしまって、すみません。そろそろ帰りますから、私の服を返して貰えませんか?」
余り考えたくは無いのだが、見た事も無いパジャマを着ている事はどうにも聞きづらかった。
周の顔が何時もの様に眼光鋭く睨んだかと思ったら、急に声を立てて笑い出した。
「はぁ?」
ベッドに腰を掛け、私の額にキスをすると、そのままじっと見つめてこう言った。
「逃がさないと言っただろう?」
熊に睨まれた兎の気持ちを理解した。
誤解が解けてやっとラブラブになりそうなんだけどねぇ~(笑)
お互い良いお年頃だし、そろそろどうにかなってもと思う今日この頃。
この展開のまま終盤に向かう?それとも波乱を起こしてみる?
まあ、ひとまず小休止。