1話 天国への階段
『Square Rose』
毎週末、仕事帰りに立ち寄るバーがある。
繁華街の中心に有るのだが、ビルとビルの間をすり抜けた先の公園のもう一つ先の小さなビルの二階にある。
要は、物凄く分かりずらい場所だと言える。
しかし、目の前に公園が有る為、車を止めるスペースが存在する事は大変ありがたい。
今日は車では無いが、時々社用車で来る事があるからである。
一週間の疲労に加え、普段の運動不足から来る鈍った体に、二階まで続く階段が天国まで続くかと思う事もしばしばだ。
(二十代の女性の心はおじさん化しそうだ)
その先には天国の入口とは似つかわない、真っ黒な扉が佇んでいる。
扉の片隅には一本の赤い薔薇の花が水割り用のグラスの中で凛と咲き誇っている。
(やっぱりここは天国だな)
自分はこの一本の花が見たくて通っているのだと思う。
ギシッと音を立てて扉を開くと大音量のジャズが覆い被さって来た。
「おう、お帰り」
「ん、ただいま」
「ルウくん!お帰りー」
カウンターの一番奥の席に腰を下ろす。
と、目の前には何処かの定食屋か?と思うお膳が現れた。
「ロクな物食べてないでしょ?まずは食べなさい」
これは多分ママお手製の夕食だと思う。
白身の焼き魚、煮物、ひじき、漬物、それと茶碗に半分程の白米。
「頂きます」
お手拭で手を拭い、顔の前で手を合わせる。
「ママ?僕には?」
「白さん!?さっき焼き肉食べて来たんでしょー?」
「うん。今日は息子のサッカー部のお父さん達と焼き肉食べて来たよー。でもルウくんのも美味そうだなー」
白さん(しらさん)はここの常連さんで、個人病院の先生だ。
丸い顔に丸い体で、何時でもにこにこしていて、七福神の恵比寿様に良く似ている。
その恵比寿様は何時でも青いパーカーにベーシュのコッパン姿と決まっている。
のほほんとした見た目で患者さんの受けも良く、病気の見立てもしっかりしていると評判なのだとか。
確か四十歳になったらしく、晩婚だったが小さくて愛らしい奥さんと、息子と娘が居ると聞いている。
まだママにご飯の催促をしている白さんに軽く会釈をして、ご飯を頂く。
「マスター、水割り下さい」
「食ってからでいいだろう」
「喉つまりしそう・・・」
「味噌汁は作らなかったからな・・・待ってろ」
そう言って作ってくれたのは、少し薄目のウーロン茶割りだった。
ここ『SquareRose』(スクエアーローズ)は天道夫妻が経営するバーである。
夫婦共に四十代半ば、マスターは中肉中背で銀行員の様に黒い髪に黒縁の眼鏡を掛けている。何時もインディゴのデニムとTシャツに黒の胸当ての付いた短いエプロンを付けている。
ママはマスターより少しだけ背が低いがナイスバデーの持ち主で、ショートカットの短い髪を真っ赤に染めている。それがまた凄く似合っていて、他の誰にも似ていない個性が際立たせている。何時見ても同じ服を着ていないのも百貨店勤務の賜物だろうか。
結婚して十数年経つが子供に恵まれず、二人が勤めていた百貨店も店じまいが決まり、本社勤務(東京)を打診されたが行く気になれず、それじゃぁ店でも始めるかと思い立ったのがバーだったらしい。
不定休で不定期で喧嘩をする夫婦の店だが、なかなか居心地が良い。
開店当初から通った店だから居心地が良くなっただけなのかもしれないが。
「倉沢はどうだ?あいつが主任とか信じられん」
「主任って立場にはまだ慣れてないかな。自分が率先して営業に回ってる」
「部下が大変だろうな」
「人が良過ぎるんだよ」
倉沢さんとは私の同僚で、その前は天道夫妻の同僚であった。
百貨店の閉鎖で退職し、私が勤めている会社に中途採用された。
三十代後半で奥さんと一人息子が居る。
見た目は体育会系だが、笑うと目が無くなる程つぶらな瞳の持ち主である。
人懐っこい笑顔と重い荷物も楽に運べる体で百貨店ではおばさん受けしていたらしいが、商社ではそう上手くは行かない。
それでも耐え忍んでようやく昇進した。
その倉沢さんの歓迎会の二次会が、このお店だった。
会社側では二次会まで組んでおらず、中途採用の三人がそれぞれに自分のお気に入りのお店に連れて行くと言う話になり、私は只何となく倉沢さんのグループに混ざっていた。
オープンしたばかりのお店だと聞いて少しがっかりし、別のグループに合流しようかと思ったが、それもまあ今更かと思いそのまま付いて行った。
落ち着かない店なら後は帰ればいいと思っていたのだが、今では常連と言えるレベルまで通っている。
とても良い店を教えて貰ったと、倉沢さんには心の中で感謝しているのだ。
個人的になんだが、常連さんの居る古いお店が好きだったりする。
若いマスターのお店や若い女性の居るお店はとても苦手なのだ。
それまで時折通っていたお店は、五十代のマスターが一人でのんびり営んでいるカウンターバーだった。
しかし、真っ黒い扉の脇にある一輪の赤い薔薇を見た時には、もうお気に入りの店になっていた様な気がする。今更だけど。
その時以来、毎週金曜日の夜はここに来ている。
ギシッ と音を立てて開いた扉から見慣れた顔が覗く。
「おう、お帰り」
「これでいいのか」
スーパーのビニール袋を差出し、何やら話している。
「ああ、悪かったな」
「いや、通り道だから」
私の席から椅子二つを空けた席に腰を下ろす。
こちらをチラリと確認して軽く会釈をしたまま、私の手元の御膳を見て少しだけ開かれた眼には軽蔑の眼差しが混ざっていた。・・・様に感じる。
彼は「シュウ」。
皆からそう呼ばれている。
私がここに来るようになった数か月後辺りから、よく見かける様になった人だ。
彼もここの常連で、忙しい時はカウンターに入る事も多々ある。
身長が186cmで、体重が88kg、有名な四大を卒業しているとか・・・この店での噂話で聞き知った事だった。
何時見てもスッキリとした服装をしている人だと思う。
黒、グレー、ベージュなどの細身のパンツにャケットを着ている。その中はTシャツだったりワイシャツだったり色も柄も様々なのだが、何時でも彼らしい組み合わせになっているのが不思議だった。それがセンスと言う物なのだろうと感心する。
それと、一番感心するのは何時でも靴が綺麗な事だった。
私は相手の顔よりも靴の方に関心があるので、ついつい深い挨拶をしながら相手の靴を眺めてしまうのだ。
私の経験から言って、日本人は十人中二人位しか靴の手入れをしていないのが実情である。
さて、これでシュウの顔が良かったら必ずモテるだろう。
私には憎らしい顔にしか見えないが、悔しい事にカッコ良いらしい。
栗色の髪の毛は耳が隠れる位の長さで少しだけウエーブが付いており、少し太めの眉毛はきりっとし、その下にある瞳は大きく切れ長で、鼻筋は通っており、薄くも厚くも無い唇は大きく、笑うと白い歯が綺麗に並んでいる。
当然、モテるんだろう。でも女性を連れて来た事は無い。
連れて来た事は無いが、たまに見かける可愛い女の子の常連さんと仲が良い。
二人で厨房の手伝いをする事も数度見かけている。
多分、そう言う仲なのだろうと思う。
多分、と言うのは殆ど話した事が無く、お客さん同士の話を聞いているだけだから。
仕事で疲れているから、極力他の人と話そうとは思わない。
人間観察しながら、只、ぼーっとしていたい。
自宅でのんびり過ごすのも良いんだが、部屋に入ると別のスイッチが入ってしまい、あれもこれもとする事ばかりに目が行ってしまう。
唯一ぼーっとしてられるのは、週末のこの店に来た時だけとなってしまった。
それでも時々五月蠅い奴に見つかる事がある。
「!・・・!ルウっ!」
耳元で呼ばれて、後ろを振り返ると、そこには正しく五月蠅い奴が立って居た。
「三輪さん、こんばんは」
「相変わらず青い顔してるねー」
「あー化粧直してないからですねー」
「またそうやって誤魔化すか?飯食って無いんだろ」
スルリと隣の椅子に座りこむ。
三輪さんは、このビル1階の旅行会社の社長である。
四十代前半と思われるが未だ独身で、女性関係も賑やかである。
見た目が良い上(俳優の佐藤浩一をあっさりさせた感じかな)、社長だからである。
本人曰く、アルマーニと言うブランドの洋服をこよなく愛し、その洋服の為に働いているのだそうだ。靴もそのブランドらしく、彼も靴を綺麗にしている一人である。
「ルウ、なあ、イタリア旅行に行かないか?」
「イタリアですかぁーお休みが取れれば行きたい国ですねー」
「じゃあ一緒に行こう!婚前旅行だ!」
「結婚の予定は有りませんよ」
「何?じゃあ夏目とは別れたのか?」
「ここで夏目さんを出しますか?あははは」
夏目とは私の上司で恋人である。(あったかな)
この春の異動で九州へ転勤となった。
最初の頃はよく電話が来たが、今では電話もメールも来なくなった。
新しい恋人が出来たのだろうと推察している。
「それじゃぁ、私はこれで」
カウンター越しに会計を済ませる。
夕ご飯の分も取って欲しいのだが、サービスと言って断られた。
近い内に、何か持って来よう。
本当はお金を取ってくれた方が気分が楽なのだが、そうとも言えず笑って誤魔化しておく。
階段を下り外へ出た所で、上に昇る人とすれ違う。
シュウの多分彼女、名前はいちご。
お互い顔見知りなので会釈をして通り過ぎる。
ふわっと香る苺の様な甘酸っぱい香り、ショートパンツにレギンスという女の子らしい服装がとても似合っている。
時計を見ると日付が変わっていた。
もうそんな時間だったのかと思い、途中の自販機で缶コーヒーを買って飲みながら、ゆっくり自宅へと帰って行った。
作者初の恋愛小説を書き始めました。拙い文章かと思いますがご了承下さい。それと、これまでの作品のように連日投稿は出来ません。ゆっくりのんびりとなりますが、これまで以上に気長にお付き合い頂ければ幸いです。