17話 それぞれの卒業
久しぶりの【SqueareRose】は暖かかった。
コーヒーを一緒に飲みましょうと言われて連れて来られたのだ。
「倉沢がね、心配してた」
「そうですか。きちんと挨拶もしなかったですからね」
「違うわ。僕の所為で長坂が辞めさせられたって言ってたわ」
「・・・・・」
「本社の監査の人だかにいろいろ聞かれて、この店で良く会うとかって話したら、他にはどんな人が来るのかとかしつこくて、シュウの事もしゃべっちゃったって。倉沢は営業だから、シュウが誰なのかは知ってたって言ってた」
「それは関係無いですよ。倉沢さんが気にする必要は無いですよ」
「後ね、偽の長坂が見つかったって言ってた」
「やっぱり居たんですか」
「秘書の後藤とかって女の子らしいわよ。課長もその子のマンションに居た所を見つけたって言ってた」
後藤さん・・・私が辞表用に白い便箋と封筒を貰いに行った時に、快く手渡してくれた人だ。
何と言っていいやら絶句してしまった私は大きなため息を吐き出した。
「会社の人が探してるらしいわよ」
「・・・そうですか。連絡してみます」
実家にも連絡が入っているだろう。
後で電話をしておこう。
「それから、シュウも探してる」
「・・・・・」
「見つけたら電話をする約束をしているのよ」
ママの手には携帯電話が握られている。
「・・・・・」
「来られ無いけどね」
「?」
「風邪を拗らせて肺炎で入院してるわ。大学病院にね」
「肺炎ですか・・・」
「何があったのかは知らないけど、ちゃんと話し合わないとダメよ?」
「何も無いですよ」
「何も無いの?」
「はい」
外国でキスは挨拶である。あの時の口づけがどの範囲だったかは分からない。
「はーっ、あの子は全く何を考えているんだか・・・」
バイトが有るからと店を出た私は、そのまま大学病院へと向かった。
日も暮れて暗くなった病院の建物をぐるりと回ってみる。
殆どの窓には明かりが点いており、半分以上の窓にはカーテンが引かれていた。
病院の中には入りづらく、そうかと言って直ぐに戻る事も出来ずにいた。
窓を見上げながら歩いていたら首が痛くなってきた。
丁度見つけたベンチに座り、タバコを取り出して火を点けた。
タバコを咥えながら空を見上げたら、今夜は満点の星空が広がっていた。
目の端に人の動く姿が映り、何気なくそちらに目を向けると、モデルのカレンさんが花を手に廊下を歩いて行く姿だった。
流石モデルだ。
花を持って歩く姿が美しい。
彼女が進む先をじっと見つめる。
階段を上り三階で見えなくなったが、私の前方の高い位置にある窓に同じ人物の姿が現れた。
にこやかに話し掛ける先には誰が居るのだろう。
暫く見つめていたら、その病室の主が携帯電話を片手に窓辺に立った。
タバコを片づけ重い腰を上げてバイトに向かう。
「そうだよね」
と独り言をつぶやき、大通りの人混みの中へ紛れて歩いて行く。
何があっても必ず朝は来る。
それは誰にでも同じように朝はやって来る。
繰り返しやって来る朝の数が重なるうちに、重かった心の暗闇も少しずつ朝日に照らされる様になってくる。
人の心は案外強い物なのだ。
あの日、宮さんの店に行ったは良いが大幅な遅刻の上に、突然降り出した雪の所為で凍えそうな程震えていた。
見かねた宮さんに、店の隅に簡易椅子を置いてもらって、其処に座らせられたのだった。
宮さんが作ってくれた熱々のココアが大層美味しくて、お代わりをしたら笑われた。
降り出した雪は吹雪になり、客足もまばらで何時もより早めに店を閉めて帰る事になった。
帰りがけ、宮さんから声を掛けられた。
「自分の泣き場所を作っておけよ」
宮さんの言ってる意味が何となく分かった気がする。
私もそろそろ卒業しなきゃね。
「にゃーうー」
胡坐の中で丸くなって寝ていたミケが、こっちを見て「そうだね」と返事をしたような気がした。
「長坂じゃないか?」
声を掛けられたのは店のゴミをビルのゴミ収集場所へ置いて来た帰りだった。
「藤堂さん・・・」
店に顔を出し、一時間の休憩を申し出る。
「ここで働いているのか?」
「はい。大学の頃にバイトしていた店なんです。藤堂さんは接待ですか?」
「ああ、Gイベントの専務とな」
「そうですか、相変わらず忙しそうですね」
「戻って来ないのか?」
「実家へ帰ろうと思ってます」
会社が私と連絡を取りたがっていたのは知っていたが、私は話をする気になれなかった。
多分実家へも連絡が行っているだろうと思い、母に電話をしてみたら五日程前に会社から電話があり、事の次第を聞いたと言っていた。
今まで黙っていた事を謝ると、言いづらい話だもんね、しょうがないよと逆に慰められた。
隣に父も居るらしく、会社の事はこっちに任せておけと横から声がした。
今回は両親に甘えさせて貰う事にして、HIH技研工業とは一切の手を切る事をお願いした。
多分、毎日の様に人事部の人が私の両親に振り回されて居るのだろうと思うと、少しだけ悪い気がした。
でも、両親も意地悪では無いし、正当な手続きをしてくれると思っている。
近くのコーヒーショップに入りコーヒーとラテを注文する。
ポケットから小銭を出そうとしたが、彼がさっさと支払いを済ませて、二つのカップを持って奥の席へ移動した。
そして座ったのと同時にテーブルに手を付け、彼の頭もテーブルに付くのではないかと思う程に下げられた。
「長坂、すまなかった」
突然頭を下げられ、吃驚して言葉が出て来ない。
「遠藤の事は俺にも責任があるんだ」
「遠藤さん?」
遠藤さんとは、あの秘書課の遠藤さんの事だった。
遠藤さんが私の名前を使ったのは、最初は只の腹癒せだったそうだ。
藤堂さんの事が好きだった遠藤さんは、夏目さんと私が恋人同士だと公言された後に、藤堂さんに猛アタックをしたそうだ。
しかし、私の事を諦めきれない藤堂さんは遠藤さんに自分の正直な気持ちを話し、諦めてもらったと思っていた。
しかし、彼女は別の捉え方をしてしまい、藤堂さんの気持ちに答えてあげない私を逆恨みする様になってしまったらしい。
さて、遠藤さんと山本課長の接点は意外と古く、営業課に居た頃から顔見知りだったそうだ。
山本課長は課長になった事が嬉しくて、営業課の頃に世話になった秘書課の遠藤さんを同伴して、某イベント会社の接待等に連れて歩いたそうだ。
何度目かの接待で、山本課長の不正に気が付き問い質したらしい。
素直に話した山本課長が急に泣き出し、情に絆された遠藤さんは山本課長と関係を持つようになり、同伴する時は長坂と言う名前を使って気晴らしをしていたそうだ。
何故今頃になってバレたのか。
それは、某イベント会社の接待で同席した、他のイベント会社の社員が来社し、そこでお茶を出してくれた遠藤さんを見て「長坂さん」と声を掛けたのが切っ掛けだったらしい。
お茶を出した後、遠藤さんは逃げる様に自宅マンションへと帰ったらしい。
事情を聴きに彼女のマンションへ行った会社の人は、其処で山本課長も見つけたのだそうだ。
「長坂はまるで関係の無い事に巻き込まれていたんだ。オレがもう少ししっかりしていれば、お前を護ってやれたのに。そう思うと自分が情けないよ。本当にごめんな」
「嫌、違うっしょ。藤堂さんも関係ないですよ」
「長坂・・・」
「私はもうその事は気にしていません。HIHとは縁が無かったのだと思っています」
「本社のあの監査官が、お前に謝りたいと言っていたよ」
「あー、あの人には二度と会いたく無いですね」
「だろうな」
ふっと二人で顔を見合わせて笑った。
コーヒーショップを出て別れようと思ったら、バイト先まで一緒に行くと言って歩き出した藤堂さんが楽しそうに話し掛けてくる。
「今の企画課の課長、誰だと思う?」
「うーん。本社辺りから来た人ですかね」
「ハズレ。泉だよ」
「えーーーっ!泉さんですか!初の女性ですね!あー泉さんなら大丈夫です」
「やっぱりそう思うか。文句を言いながらバリバリやってるよ。お前がいたら手伝って貰えたのにって事有る事に言ってるな」
「本当に残念です。泉さんと一緒に仕事がしたかったですよ!じゃあ、藤堂さんは東京ですか」
「ああ、秋の移動になると思う。新人の育成に目途が立ってからって話だった。那智も多分、辞職するだろうしな」
「やっぱり辞めますか、那智さん」
「那智は遠藤の事も知っていたらしいよ。その事でも随分同僚から責められていたし、お前が居ないと那智のフォローする人間が居ないのも事実なんだ。企画が全然出来上がらないから、そろそろ無理だと思う」
もう目の前に【SHOT】の看板が見える。
「藤堂さん、今までお世話になりました。これからも良い企画をお願いします」
そう言って笑顔を向ける。
「長坂、お前も元気でな」
藤堂さんも笑顔を向けてくれる。
それじゃあ、と、私は店のドアを開けて中へ入って行く。
藤堂がそれから数日の間、【SHOT】の前で店へ入ろうとウロウロしていたらしいが、結局最後まで足を踏み入れる事は無かった。
やっぱり藤堂さんは良いお兄さんですね(笑)
彼の今後が非常に気になりますが、今の所これと言った噂話も無さそうです。
これから本社へ移動だし、多分バリバリ仕事して、三十代後半辺りで結婚でしょうかね。
次話あたりで個人的に書きたかった「泉さんと藤堂さん」が登場です!
年内投稿目指します!