16話 三毛猫のミケ
1月も後半になる頃、国分町の中心部から北に2本の道路を進んだ先のビルへと向かう。
キャバレーやホストと言った様々な店が入っているビルの1階、正面玄関直ぐ脇にある小さな店のドアに手を掛けた。
カウンターの中で一人グラスを磨いている中年の男性が顔を上げた。
お客はまだ入っていない。
ドアには「CLOS」の札が下がっていた。
まだ開店前なのだ。
「宮さん、またアルバイトしていい?」
「・・・・・助かるな」
「ありがとう」
何も聞かれないのが嬉しくて、涙が出そうだった。
冷蔵庫と棚の隙間に缶ピールの入っていた空の段ボールを横向きに差し込む。
その中に、自分のトートバッグ(何処かの景品)とジャケットを丸めて入れ込む。
予めバッグから出しておいた黒の前掛けを腰に巻く。
白いシャツの袖を捲り上げれば準備は万端だ。
「まだ持ってたのか」
宮さんの目線の先には、足首まである黒くて長い前掛けだ。
「うん。愛着があるから」
「そうか」
「うん」
宮さんの店【SHOT】は小さなスタンディングバーである。
カウンターしか無く十人も入れば身動きが取れない程狭い。当然イスも無い。
しかし無い酒は無いと言われる位アルコールの種類や銘柄も多く、壁一面瓶で埋め尽くされている。近い内に、客席の方にも棚を作らなければいけなくなりそうだ。
大学時代にここで二年程アルバイトをしていた。
ゼミの先生から三日間のアルバイトを頼まれたのがきっかけだったが、意外と面白くてそのままアルバイトを続けていた。
(三日間と言うのは宮さんが腰を痛めたからであり、友達だった先生に紹介してくれと頼まれたからだった)
宮さんの事は何も知らない。本名も住所も結婚しているのかしていないのかさえ知らないのだ。
年齢も正確な物は知らず、宮さん自身が五十を過ぎれば体が辛いと言っていた事から、其れ位の年齢だと知っただけである。
身長は同じ位でお腹が出ている中年体型。7:3と白い髪が勝っており、顎に生やした髭も同じような色合いだ。
白いワイシャツに黒いベストと蝶ネクタイ。黒いズポンに黒いロングエプロン。オールシーズン同じスタイルだ。
箒と塵取りを手に狭い店内を掃く。
ドアを出て玄関周りも履いてゴミを拾う。
「おっ?ルウちゃん?」
声を掛けて来たのは黒服で金髪のお兄さんだった。
「・・・ホッツー?」
「おー!やっぱりルウじゃん!どうした?また戻ってきたのか!」
「ヨロシクねー」
「オレ、今1番だぜ!」
片手の親指を立てて自慢しながらエレベーターに消えて行った。
彼はこのビルのホストクラブの従業員。
私が居た頃は万年2番手のホストだった。
それで付いたあだ名が「ホスト2」で言い辛いから「ホッツー」である。
1番になったのも驚いたが、まだここで働いていた事の方が驚きだ。
店内に戻りガラスのドアを綺麗に磨く。
それが終われば開店だ。
「宮さん、開ける?」
「おー開けてくれ」
ドアに掛っているプレートを「OPEN」に裏返す。
それから30分も待たないで最初のお客が入って来た。
「にゃーお。にゃーお。にゃーお」
お、重い。
で、五月蠅い。
そーっと薄目を開けてみると、目の前には三毛猫のミケの顔がでーんとあった。
六歳の雌のミケ。体重3kg。
姿勢良く仰向けで寝ていた私の胸の上で伏せをし、少しでも動こう物なら落ちまいと爪がにゃきっと飛び出す使用になっている。
じーっと見つめ合って居たら、ミケのざらざらの舌で鼻の頭を舐められた。
「重いよ。それに五月蠅いし。もう少し寝かせて。ね?」
そう言って目を瞑る。
ミケも居心地が良いのか、体の上から降りもせずにそのまま目を瞑ってプスプス鼻を鳴らしている。
宮さんの店で働くようになって3週間が過ぎた。
あの店は相変わらず忙しい。
営業時間はPM5:00~AM3:00
一人のお客の滞在時間は1時間以内と短いのだけど、待ち合わせに利用される率が多い為、人の出入りが多いのである。
懐かしい常連さんにも数人会った。
私を見て驚いていたが、何も聞かずに笑顔を向けてくれたのが嬉しかった。
あの店は、お客との会話をしなくて良い所が気に入っている。
無視する訳では無く、お客が会話を求めて来ていない点が他の店とは違う所だと思う。
挨拶程度の会話をする事も有るけど、長話をする程一人のお客に構ってもいられない。
サラリーマンが仕事帰りに立ち寄って、グラスに一杯アルコールを楽しんで帰る。
そんな、ちょっとした隠れ家のような店だと思う。
目を開けて壁に掛った時計を見ると、そろそろお昼になる頃だった。
ミケの体を支えながら、むくりと起き上がる。
ポイ、とソファの上にミケを放り投げ、布団を畳んで部屋の隅に重ねて置く。
シャワーを浴びて身支度を整えたら、今日は近所のホームセンターに買い物だ。
ミケのご飯が底を尽き、已む無く気持ちの良い布団の中から脱出したのである。
ミケはあのままソファの上でお昼寝中だ。
玄関に出て鍵を掛け、小さな庭を横切って門を出た所で、お隣の奥さんにバッタリと出会った。
「おはようございます」
「香椎さん、丁度良かったわ。はい、回覧板」
回覧板を受け取りつつ、少し立ち話をしてホームセンターへと歩いて行った。
(回覧板は玄関に入れて来ました)
香椎とは、母の妹の名字である。
私にとってはおばさんなのだが、仙台市内に住んでいるにも関わらず、年に一度会うか会わないかの間柄である。
疎遠なのでは無く、香椎のおばさんが習い事マニアな所為である。
月~金まで習い事、土日はそのお友達とお出かけ、暇が出来れば東京の娘の所へ遊びに行くと言う、物凄く元気な人なのである。
旦那さんは大手の電機会社に勤めており、今は転勤で名古屋に単身赴任している。
その旦那さんが倉庫の在庫確認をしていた時に荷崩れに巻き込まれ、腕の骨折と脚にひびが入る怪我をしたらしい。
旦那さんの事が心配だが、家にはミケが居る。
置いて行けないが連れても行けない。
私に連絡を取りたいが、電話を掛けても出てくれない。
それで姉である札幌の母へ電話が行ったそうだ。
「ルーちゃん、悪いけど一月位お願いね?」
母とおばに頼まれて嫌とは言える筈も無い。
仕事先にもおばの家は近いので、そのまま香椎の家で寝泊まりしているのだ。
しかし、姉妹の旦那が揃って怪我したなんて、何だか笑ってしまった。
荷物を置いて、回覧板を隣の家に届けて、ミケと遊んで、今日は少し早めに家を出た。
自分のアパートに行き、古い携帯電話を取り出してまたアパートを出る。
そのまま携帯電話会社に向かい、解約の手続きを申し込んだ。
解約が済んで手元に返って来た携帯電話は、心なしか軽くなった様な気がする。
それをしみじみと手の平で包み、何だか泣きそうになる自分に失笑してしまった。
何となく歩いた先には桜の木が有る公園だった。
この公園の桜の花が好きだった。
夜、街灯の明かりに照らされる桜の花は妖艶で、目を瞑って佇めば桜の匂いに包まれる気がした。
(今年も見たかったな)
その公園のブランコに座り前のビルを見上げると、2階の窓から黒いドアの上半分が見える。
バッグからタバコを取り出しライターで火を点ける。
メンソールの香りに少し顔を歪めるが、ざわめき立った気持ちを落ち着けるには十分だった。
携帯灰皿を取り出し吸殻を片づける。
そろそろ宮さんの店へ行こうとブランコから立ち上がった時、向かいのビルから真っ赤なセーターに白いパンツを履いた赤い髪の人が走って来た。
「ルウくん!」
【SquareRose】のママが、化粧っ気の無い顔で抱き着いて来たのだった。
「ママ・・・」
三毛猫の名前はミケと決まっている作者です。しかし、一度も三毛猫を飼った事が無いので、来年こそは探して来ようと企んでいる作者です。
最近、物凄く忙しいなと思って居たら年末だったようですね(笑)
実感が湧かないと言いながら、見て見ぬふりをしている年賀状の作成はどうしたものかと。
年賀状作成の前に、クリスマスを楽しんでしまおうと目論み、ネットで高額な酒類をいかに安く購入しようかと日々奮闘しております。