13話 突然の出来事
北海道は寒い。
年末のこの時期は既に最低気温がマイナスになる事もしばしば有る。
テレビでは少し前までホワイトクリスマスとか何とか騒いでいたが、実際北海道へ来て体感して欲しいと思うのだ。
確かに雪は綺麗だ。
しんしんと舞い降りる白い天使は全てを覆い隠す。
道路脇のゴミ、家の軒下に置きっぱなしの枯れた鉢植え、そんな事を気に掛けている人の心も真っ白く覆い隠す。
春になって、それらが全て現れた時の気分の悪さは、春を待ち望んだ気持ちとは裏腹に白い天使が名残惜しくなる。
四年ぶりの冬の北海道は、物凄く寒かった。
札幌は道南に位置するので、道北から比べればまだ温かい。
それでも仙台の気候に慣れてしまった体には、冷たい北風が針を刺す様に感じてしまう。
仙台も東北に位置し市内は雪こそ降るが、太平洋側の海沿いの為か極端な積雪が無い。
私は札幌生まれで札幌育ちの道産子なのだが、寒いのが大の苦手だ。
それもあって、冬の帰省は殆どしない。
しかし、28日の朝に母から電話があり、父が危篤だと言われて急遽札幌へ飛んだのである。
当然遊びに来ていた麻耶も一緒に帰る事になった。
慌てて荷造りをし、仙台空港へ急いで行き、年末の混雑しているチケットカウンターに並びキャンセル待ちをする。
運良く(?)最終の千歳便に搭乗する事が出来て、二人で並んで座る事が出来た。
千歳空港に到着すると、麻耶の弟が迎えに来てくれており、そのまま真っ直ぐ父の入院する病院へと向かってくれた。
病院の入口で父の名前を告げ、病室を聞く。
急いで病室へ駆けこむと、其処には片足を固定されたまま、上半身を起こして老眼鏡を鼻に掛けて本を読んでいる父が居た。
「危篤」と言う言葉に慌てていた私は、そんな父に向かって「何の冗談よー」と泣きそうになりながら父の側に向かった。
病院のベッドが小さく感じる位、私の父は背が高く横幅もそれなりにある。その父も白髪が増えて、目元の皺も昔から比べれば深くなった様に感じた。
会社の忘年会で出かけていた父は、帰る為に乗ったタクシーがスリップして事故を起こし、その時の衝撃で気を失ったらしい。
早朝、警察から連絡を受けて慌てた母は、そのまま私にそのままの内容で電話を寄こしたのである。
「長坂秀忠さんが事故に遭い、怪我をしており、只今意識がありません」と。
どうやら忘年会で物凄く飲んだらしく、酔いも手伝っての気絶だったようである。
足の骨にヒビが入っており、その為発熱もしていた様だが、本人は至って機嫌が良かった。
私の顔が見れた事、数年ぶりで麻耶に会えた事も嬉しかったらしい。
父の元気な顔を見て安心した麻耶は、早々に帰って行った。
表に弟を待たせていたのである。
結局今回の仙台でも、仙台観光は出来なかった。
また仙台に遊びに行く口実が出来たと言って笑ってくれたが、本当に彼女には申し訳ない事をしたと思う。
1時間程父と話してから、自宅へと帰った。
今、父と母が暮らしている家は駅前にそびえ立つマンションだ。
私が仙台の大学へ行ってから半年程で引っ越している。
それまでは西区手稲の一軒家に住んでいた。
前母の両親が住んでいた家にずっと住み続けていたが、冬の雪かきや、あちこち補修しなければならないくらい古くなった家にもそろそろ限界が来ていた。
母は、私や亡くなった母の思い出がある家だから修繕しようと言ってくれたが、私と父がそれに反対した。
維持費もかかるし、何よりこれから年老いて行く2人に冬の除雪が心配だった。
それなら、少しでも快適に過ごせるマンション暮らしにしようと言ったのは私だった。
帰る前に家に電話を入れておいたからだろう、母が夕食を取らずに待っていてくれた。
玄関で迎えてくれた母もまた、白髪が増え、少し痩せた様に感じた。
母は私より小さく、私の目線に頭頂部が来る為、余計に目についてしまうのだった。
「ごめんね、ルーちゃん」
早合点して掛けた電話の事を詫びているのだろう、年齢の割に幼い顔が半分位泣きそうだった。
「ううん。返って来る良い口実になったよ」
テーブルの上にはシチュー皿が乗っている。
私は大好きな母のシチューに顔を綻ばせながら、暫くぶりの実家の空気に安心していた。
夕食の後片づけも終わり、自分の部屋に荷物を運び入れる。
ついでにお風呂に入る準備をしていたら、携帯が鳴りだした。
【着信:九条周】
「はい」
「やっと出たな」
そう言えば、着信履歴が残っていたのを思い出した。
「ごめん、出れなかった」
「何かあったのか」
「父が事故に遭ったと聞いて、急遽札幌に帰って来た」
「大丈夫なのか?」
「うん」
心配してくれる人が居るのはとても嬉しい事だった。
簡単な状況説明をし暫くこちらに居る事を話すと、周も明日東京の自宅へ帰る事を教えてくれた。
出来ればお互いに年内に会っておきたかったのだが、状況的に無理だった。
「また電話する」
少しの間の後、聞き慣れない優しいその声に、少し嬉しくなった。
久しぶりの自宅の自室の所為か、何時もより素直な自分で会話を楽しむ事が出来た。
実はマンションには私の部屋が用意されている。
前の家の私の部屋にあった物が殆ど全て置いて在る。
小学校入学時に買って貰った勉強机、ベッド、鞄やコートを掛けるハンガー、窓際に置いて在ったメリーゴーランドのオルゴール、そんな何処にでも有る物だけど、その心遣いに安心感が膨らむのだった。
“いつでも帰っておいで”
そう言われている様で、実際両親からもそう言われているのだけど、なかなか足が向かないのも事実なのである。
その夜は、近所のケーキ屋さんから買って来たケーキを食べながら、母と二人のんびりとお茶を飲みながら沢山の話をした。(母は下戸なのである)
札幌に居る間は毎日午前のうちに父の病院へ行き、お昼には返って来ると言う事を繰り返した。
父の年末年始の外出許可が下りなかった為、初めて母と二人で大晦日と正月を過ごした。
翌日は高校のクラス会が急遽企画されたらしく、麻耶と隆に誘われて数年ぶりで会う友人と一喜一憂した日だった。
忙しかった様な、のんびり出来た様な日々だったが、あと休暇を二日残して仙台へ戻った。
慌てて飛び出したアパートは大層散らかっていた。
クリスタルの花瓶に活けられた薔薇の花も、無残な姿になっていた。
掃除や片づけ、洗濯をして残りの二日を過ごした。
長かった休暇の最終日、冷蔵庫から缶ビールを取り出して一口飲んだ所で携帯が鳴った。
【着信:HIH技研工業】
会社からの着信だった。
スーツに着替えて駆け込んだ会社には、同じ部署の面々が揃っていた。
直属の上司の山本課長が不在なのが少し気になる。
これから来るのだろうか。
目の前には高橋部長が渋い顔で立って居る。
「まだ休暇中の所呼び出して済まなかった。実は、山本課長が行方不明となっている」
何となく嫌な予感がしたのだが、話の続きがまだ有るようだ。
「この休暇中に本社から監査が入り、山本課長の不正が発覚した。どうやら休暇に入る前日より自宅へ帰っていないらしい。家族の方で行方不明の届け出が出されているが、会社としては昨年年末付けで解雇と決定した。それでは、今の所把握出来た事を知らせる」
山本課長の不正とは、特定のイベント会社からの賄賂だった。
山本課長の前席は営業課の課長である。
その頃から某イベント会社との付き合いがあり、接待名目の元、情報の横流しが成されていた。
報酬は数十万から百万単位の金銭の他、海外旅行の資金援助もなされたらしい。
山本課長が企画課に来てまだ1年に満たない。
その数か月の間に頻繁に某イベント会社の接待を受け、某イベント会社が仕事を請け負う事が続いたらしい。
いつもニコニコしていた課長に何が在ったのだろう。
平均的なお父さんタイプでゴルフとお酒が大好きだった。くだらないおやじギャグを言っては失笑を買っていたし、課長としては頼りない人だった。
まさか、女に貢いだのかとも思ったが、そこまで度胸のあるタイプでも無いと思う。
「明日は始業時間より1時間早く来てくれ。以上だ」
皆が呆気に取られた様に動けなかったが、隣の人とぼそぼそと話しながらフロアを出て行こうとしていた。
私から離れた場所に居た藤堂さんがこちらに歩み寄って来るのが見え、私も近づいて行って声を掛けようとした時だった。
「那智、長坂、残ってくれ」
その部長の一言で退室しかけた社員の顔がこちらに向いた。
何となく嫌な感じがする。
足を止めた藤堂さんに軽く会釈をして、部長の元へと向かった。
藤堂さんって結構損な役回りが多かったりする。でも、私の中では一番好きなタイプかも(笑)