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11話 周の回想録




【Square Rose】

そこはたまたま立ち寄った店だった。

その近くに割烹料理の店が有り、知人との会合に利用した帰り道に入った店だった。

知人からは国分町の馴染の店に行こうと誘われたが、あの時は別の約束があって断ったのを覚えている。

確か、次の約束まで時間が少しあり、迎えの車が来るのにもまだ時間があった様に思う。


テレビのニュースでは、桜の開花宣言があちらこちらで騒がれ始めた頃だったので、街灯の下で白っぽく揺れている花に目が行った。


その二月前、数年ぶりで帰国した日本はまだ肌寒く、初めての東北での生活に少々戸惑う事も間々あった。

JRの乗り方、エスカレーターの乗り方、ゴミの分別、気を抜くと土足のまま部屋を歩いている事も多々あった。

やっと日本人としてのマナーや生活習慣にも慣れ、自分にも余裕が生まれ始めた頃だった。


だから何となく、桜の花を見て見ようと、その辺りを散歩気分でのんびりと歩いてみた。

目印にしていた街灯の花は意外に遠く、それでも歩く先々の家の庭に咲いている桜の花も見頃だったから、大して苦にもならなかった。

桜以外にも白くて大きな花が咲き綻ぶ枝もあり、見ていて飽きる事は無かった。

そんなゆっくりの散歩だったが、それでもそろそろ目印の花に近づく頃、その場所に先客が居る事が見て取れた。


街灯の下、照らし出される姿は桜の花を見上げる女性の横顔。

上下黒のパンツスーツ、襟元には白いシャツ、肩には黒いトートバッグ、バッグの持ち手を握る手首にはシルバーの時計、胸も尻もそこそこの膨らみがあり、身長もやや高め、

肩より少し長い髪の毛は所々が別方向に向いている。

顔は街灯が陰になり、良く見えない。


しかし、その佇まいが綺麗だった。


彼女は花に向かってにこりと笑うと、手に持っていたメガネを掛けて、少し先にあるビルの中へと消えて行った。


俺は柄にもなく彼女と同じことをしてみた。

街灯の下に立ち、街灯と並ぶように聳え立つ桜の木を仰ぎ見る。

風がそよぎ薄紅色の花びらを揺らす。

やわらかく香る花の香りの他に、さっきまで佇んでいた女性の香りが残っていたような気がした。


彼女が入って行ったビルを見上げると、五階建ての小さなビルで各階には一軒ずつ看板が掲げられている。

一階だけは旅行会社だが、それ以外は全て飲食店の看板だった。

何の気なしに階段を上がって行く。

二階のフロア左手に黒くて大きなドアが一つある。看板が無い。

そのまま三階へ上がろうと途中まで上り、さっきの黒いドアを見下ろす。

ドアの脇に真っ赤な薔薇の花が一輪、コップに無造作に飾られている。

その薔薇の花から目が離せず、そのまま階段を下って黒いドアを開いていた。



俺は俺であって俺でない存在として居られるこのスペースが気に入っている。

なによりこの店では普通の人間でいられるのが嬉しい。

街灯下の女性もここの常連のようだった。

皆から「ルウくん」と呼ばれている。

見た目は少し控えめなグラマラスなんだが、纏っている雰囲気や言葉遣いが男の子っぽい所為だろう。

掛けているメガネも黒縁のセルのメガネで凛々しく見える。

それでも言葉の端やちょっとした仕草は女っぽく、偶にドキリとする事がある。

常連の男性達には良く口説かれているが、笑ってかわしている。


この店に通い出して半年も経つ頃には、常連それぞれの事情や抱えている問題も少なからず聞こえてくるようになった。

一番聞きたくて一番聞きたくない彼女の話も耳に入る。

勤め先がHIH技研と聞いたのは結構早い時期だったが、俺の事は知らない様だった。

恋人が居ると知ったのはそれから暫く経ってからだったが、相手の名前を知った時の方がかなり驚いた。

陣が仙台支社に居るのは聞いていたが、まさか彼女の直属の上司で恋人だとは余りにも皮肉だと思っていた。

それからは少しだけ彼女との距離を遠くに取るようになっていた。

何となく。


今年の春の移動で、陣が九州へ移動になったのは知っている。

HIHがアイツを会社の中枢へ置こうとするのは前から分かっていた事だった。

それでも今までのスタンスを崩すつもりは無かった。

北海道の地で偶然に会い、雨に濡れたブラウスが体に張り付いて、その中の黒い下着を見るまでは。

ズルいやり方だったかもしれない。

彼女の友人と飲みに行ったり、彼女を無理やり泊めたり、そして彼女の寝顔をだまって見ていた事。


いつものバーで店の手伝いを頼まれた時は少し困った。

その日は接待の予定が入っていたのだが、別の役員に変わって貰った。

お蔭で大層楽しい物が見れた。

彼女の料理ベタはどうやら本当のようだった。

しかし接待を他の役員に押し付けた為、一緒に同行して貰った秘書の女性に散々文句を言われた。

まさか、店までやって来るとは思って居なかった。

彼女の住まいはこの近くで、時々この辺りで見かける俺を不思議に思って居たらしい。

接待の後の帰り道、たまたまゴミ出しをしに降りて来た俺に気が付いて、後を付けてあの店に入って来たらしい。


それから暫くの間は仕事が忙しく、店に顔を出す事が出来なかった。

十二月も半ばを過ぎた頃、漸く時間を空けてバーへと向かった。

其処には彼女の姿は無く、ママが預かりものが有るわよと言われ、受け取ったのは先日貸したシャツだった。

「残念、30分位前に帰ったのよ」

袋の中にはシャツと一緒に、某有名チョコレート店の小さな包みが入っていた。


「あの子、いちごちゃんの事を気にしていたわよ」

「いちごはもう大丈夫だろう」

「雅弘君だっけ?尻に敷かれそうだよね」

「その方が良いと思うよ」

「そうだね。ふふふ」


いちごは上の階で彼氏(雅弘)と喧嘩をし、逃げる様にこの店に入って来た娘だった。

俺の隣に座り、マスターや他の客を巻き込んで彼氏の悪口を散々言っていた。

他の人達は迷惑そうな顔をしながらも、うんうんと話を聞いていたが、止む事の無い悪口に流石の俺も嫌気が差し、一言文句を言ったのだが、それがいちごに慕われる切っ掛けとなった。

いちごは以外にも素直で、直ぐに店の人たちに謝った。

「五月蠅くしてごめんなさい」

それからも、仲直りをしたかと思えば、喧嘩を繰り返す日々だった。

雅弘も22歳とまだ若く、見栄を張りたい頃なのだろう。

しかし彼も来春には社会人になる。

就職活動で上手く行ったり行かなかったりを繰り返し、少しずつ世の中が見える様になって来たようだ。

自分に合う会社を選び、そこに受け入れられる事になった時には、多少立派な青年の顔をするようになっていた。

今では彼女を大切にし、喧嘩をすることも減ったらしい。


彼女は先月、「いままでありがとう」の言葉を残してこの店を後にしている。

彼女も少しは大人になろうとして居るのかも知れない。

いちごは突然天から降って来た(二階か)妹だった。

本当に妹が居たら、もっと心配し、もっと過保護にしていたのかも知れないが。


俺も、いちごの様に足掻いてみようか。

只見ているのには、もう飽きた。



しかし、逃げた相手を捕まえるのは、想像以上に困難となった。











この辺りで周の回想も打ち止めです。次回からまたぼちぼちと本題へと戻ります。

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