10話 周と陣
「周様、マンションで宜しいですか」
「・・・・・嫌、会社へ行ってくれ」
「畏まりました」
迎えの電話に少し手間取り、振り返った先に秋弦の姿は無かった。
彼女の居た場所に俺のマフラーと彼女の鞄が落ちていた。
それを拾い上げ、追いかけようと思ったが、きっとアイツはまた逃げるだろう。
掴んだと思った手がスルリと逃げて行く。
迎えの車を待つ間、公園に足を向け彼女の落としたメガネを拾い上げる。
(アイツは落し物が多い)
彼女の唇はタバコの味がした。
初めてだな、タバコの味がする女は。
俺の周りの女は甘い香りのする女ばかりだ。
だから、スパイスが欲しかったのかもしれない。
しかし、スパイスの刺激を覚えてしまうとそれ無しでは居られなくなる。
『捕まえるのは難しい相手だぞ』
もう会社は冬季の長期休暇に入っている。
それでもわざわざ会社に来たのは、面倒な事に関わりたく無かったからだった。
正確に言うと昨日から会社の近くのホテルで眠り、日中は会社に来ていた。
鳴りやむ暇も無い携帯電話は机の引き出しの中。
会社の電話はとっくに留守電に切り替わっている。
極近しい人間しか知らないもう一つの携帯電話はポケットに入っている。
(家族にすら教えていない)
その携帯の画面を開き、彼女の携帯に電話を掛けて見る。
(出る訳が無いか)
昨夜はホテルの部屋で酒を飲んだ。
相手は必要では無く、ホテルの窓から見える景色が丁度良い相手だった。
頭の中は前日に見た彼女とその連れの事で占めていた。
恋人同士と言う雰囲気では無かった。
相も変わらず、メガネに一つに纏めた髪、薄らと化粧はしていたが色味が少ない。
せっかくの大きな目に長い睫が綺麗なカーブを上に向かって伸ばしているのに、メガネに遮られて一回り小さく見える。形の良い眉もメガネのフレームが被さって殆ど見えない。鼻はあまり高くないが、細く真っ直ぐと伸びており、その下の唇は口紅を付けなくてもほんのりと赤みがある。
化粧をすればもっと綺麗になるだろうと思うのだが、本人にその気が無いと宝の持ち腐れと同じである。
来ている服もグレーのシンプルなパンツスーツだった。地味すぎる。
相手の男は、ツイードのジャケットを着込み、後ろ姿しか見えなかったが短髪の頭を綺麗に整えていた。
2人の間には小さなケーキが有り、ロウソクが数本立って居た。
彼女の誕生日は今日では無い。それじゃあ、相手の男か。
今まで思った事は無かった。
自分の誕生日を誰かと祝うと言う事を。
小さい頃は両親や兄弟が食卓を囲み、自分の誕生日を祝ってくれる事が嬉しかった。
父も母も常に不在で、兄達も学校や部活、塾などと忙しく、家族全員が揃う事は年に数回程だった。
自分自身も年齢が重なるに連れ、周りには家族以外の人間が居る事が多くなり、イベント事は特に家族以外の人間と過ごす事が増えて行った。
それはアメリカに留学しても同じで、男女関わらず自分の周りには人が溢れていた。
それはそれで楽しかったのだが、二十歳を過ぎた頃から、イベント当日は誰も知らない場所で一人で過ごす事が増えて行った。
友人達は皆不思議がっていたが、何度もそんな事が続く頃には暗黙の了解となっていた。
只一人、俺の居場所を見つけ、一言二言の言葉を放って姿を消す奴が居た。
それが 夏目陣(なつめじん) アイツであった。
ハーバード時代に一番遊び歩いた相手でもある。
陣は他の人間とは別の生物だった。
あれ程屈折した人間は見た事が無い。
しかし、それがアイツの良さでもある。
大学の卒業後、俺は日本へは帰らずアメリカの支社で経営の実践を学ぶことにした。
今までの住まいを片づけ、そろそろ出発だと言う時にアイツがふらりと現れた。
「オレ、HIHに行くよ」
「決めたのか」
「TTKは敷居が高くてね」
「恩義か」
「それもあるけど、周と肩を並べる場所まで行って見たくてね」
「・・・そうか、待ってる」
そんな会話だったと思う。
それ以来、連絡も取っていないし(お互い知らないと思う)会った事も無かった。
その夏目陣が、俺の目の前にいた。
それも、秋弦と一緒に。
昨夜は朝方に眠り、起きたのは午後をとうに過ぎていた。
別に急ぐ訳でも無いし、のんびりと身支度を整えて会社へと向かう。
歩いて10分程の道程を歩いて居ると、何処で待っていたのか金融機関のご令嬢殿が歩み寄って来た。
挨拶程度の笑みを浮かべ、食事の誘いを丁寧にお断りして、止めたタクシーにご乗車頂く。
絡められた腕を解き、閉じたドアに笑顔を張り付けて遣り過ごす。
その時、視界の隅にこっちを見ている一人の女に気が付いた。
直ぐに踵を返して何処かへ消えて行った女は、破れてぼろぼろのジーンズにブーツ、黒いコートを羽織り首元には千鳥のマフラーを巻いた秋弦だった。
咄嗟に向かい側の車線に渡り、その周辺を捜したがそれらしい人は見つけられなかった。
別に俺に会いに来た訳ではあるまい。
警備員に挨拶をし自分の部屋へと歩いて行く。
部屋には秘書が一人、机に向かって雑誌を見ていた。
必要な会話を交わし、それ以外はお互い好きな事をした。
珈琲を飲もうと、静かなラウンジへ向かい、ボタン一つで自動で作られる珈琲を片手に窓の外を見ていた。
何時もは気にならない向かい側のビルの窓際。
クリスマスのこの日も、居酒屋のチェーン店は人で溢れている。
その人混みの中から感じる強い視線、見覚えのある顔。
(あれは・・・陣か?)
その向かい側、窓に背を向けて座っている女性の背凭れには、千鳥模様の何かが掛けられている。
(千鳥・・・!)
部屋へ戻りコートとマフラーを一緒に掴み取り、走りながらそれを着込む。
向かいのビルの居酒屋に駆け込むが、目的の人物は帰った後だった。
(絶対にアイツは居る)
ビルの脇を通り抜け、裏道に入った先、ガードレールに腰を掛け手を挙げている奴が居た。
「よお、お誕生日おめでとう」
「相変わらずだな」
「でも探し人はオレじゃ無いんだよねー」
「ああ、違うな」
「傑作。どこぞのご令嬢への冷たい笑い。必死で探しまわる姿。最後の姿は今まで見た事が無いよね」
「何故一緒に居た」
「ルーか?元オレの彼女」
「知っている。お前は婚約者が居るだろう」
「それも知ってるんだ。流石だねー」
「わざわざ、あの場所を選んだのも予定通りか」
「嫌、偶然。会社の連中に会いたくなかったから、絶対合わない場所を選んだだけ」
「偶然?信じると思うか」
「別に信じても信じ無くてもいいさ。面白い物が見れたからね」
「お前は・・・」
「周、捕まえるのは難しい相手だぞ」
「・・・・・」
「オレが諦めた相手だ。相当な変わり者だ」
「・・・諦めた、だと?」
「結局は彼女の何も手に入れられなかったよ」
「難攻不落、か」
「あっちはどう思って居るか分からないけどね」
「陣の本気の相手だったとはな」
「俺も結構凹んださ」
「だからか?そのマフラー」
陣が首に巻いているのは千鳥柄のマフラーだ。
「内緒にしてね?」
東京へ帰る新幹線に乗り遅れると言って、走って駅へ向かって行った。
今度アイツに会うのは何時だろう。
そんな事を思いながら、奴とは反対側の道を走って行った。
女子目線の会話より、男子目線の会話の方が楽しいのは何故かしら?(笑)