ただいま男子
臨海学校から帰って来て、俺は玄関にどがっと荷物と腰を下ろした。
妹は帰ってきた俺にたいして「おかえり」の一言も言わずに、靴を脱ごうと座り込んだ俺の隣に置いてあったお土産袋を掴んで「おかあさ~ん」と大きな声と足音をたてて去っていく。俺は両ひざに手を置いたまま深いため息をつくと、だらしなく足をふってスニーカーを脱ぐ。ぶんぶんと足をふって、踵を踏みつぶしながら靴を脱いでいると、後ろからトントンと足音がして後ろに誰かが近寄ってきたことがわかった。
「こら!ちゃんと脱ぎなさい」
後ろから飛んできた声に、俺は黙ってきつく結びすぎてしまった靴紐に手をのばす。夕食の準備をしていたのか、濡れている手を赤いチェックのエプロンの前で拭きながら俺の背後に母親がたつ。
「おかえり。楽しかった?」
「・・・それなりに」
「それなりに楽しかったのね、それはよかった」
母親はうんと頷くと、俺の鞄を掴んで部屋の中へともって行ってしまう。俺はあっと思いながらも、去っていく母親の背中を見送る。誰の姿も見えない、開かれたままの今の扉の向こうから澪の「なにこれー」という不満たっぷりの声が聞こえる。俺はようやく靴を脱ぎ終えると、膝に手をあてたまま立ち上がり居間へと向かう。居間へと現れたお兄様に向かって澪の不満たっぷりの声が聞こえてくる。
「ねー、もっとさ~他のなかったわけ?」
不満をつむぐ子憎たらしい唇には、すでにあけられた俺のお土産のクッキーが挟まっている。澪はぼりぼりとクッキーを平らげながら、他のお土産にも手を伸ばす。土産なんて無難なクッキーやらなんやらのこまごまのお菓子に決まってるだろう、と思いながらも俺は澪の脇をとおってソファーにどがっと腰を下ろす。
「・・・なにこれ?」
澪のいぶかしむ声に、俺は目の上に置いていた手の下からそちらに視線をむける。
「・・ああ、貝だよ」
澪の手には何重にも白いビニールで包まれた手の日からほんの少し余りぎみな袋が握られていた。
「なに?食べれるの?」
俺の許可もとらずに勝手に澪は袋を開けようとしはじめる。硬く結びすぎてしまった袋は中々開かずに澪が「ふんぎー」と実に可愛らしくない声をあげなら顔を真っ赤にしている。俺はそれをソファーのひじ掛けに頭を乗せながらぼうっと見ていた。
「かたく結びすぎーちゃんと考えて結びなさいよね」
澪の憤怒する声に、俺はとじていた口をひらく「いっとくけど、それかいがらだからな」中身はない。そう言うと、澪の手から力がするりと抜けた。
「なんだーただの貝柄かよ」
澪がばきっと唇に力を入れたのか、クッキーが半分床に落ちる。澪は「あーあ」と言いながらそれをひろいあげると口にいれてしまう。そうして手早く咀嚼すると、こちらに目をむけてくる。
「かいがらとか拾ってきちゃってどうしたの?似合わないよね」
ぐさりと刺さるような言葉に、俺は眉をしかめる。
灰田が真面目くさった顔で、「女なんて貝がら渡せばみんな喜ぶもんなんだよ」と言ってたので、本当かと思いつつ拾ってきた貝をわざわざこうして持ってきたわけだが・・・。
一応女であるはずの澪の反応は悪い。
それとも妹である澪を女に分類する俺が間違っているのだろうか。
俺は藤崎が灰田から貝柄をもらったことを聞いた藤田がだだっこのように灰田の周りをうろついて「貝私にもとってーとってー」言ってたのを思い出す。そして、めんどくさそうに俺たちにも貝柄探すの手伝えと言ってきた灰田を。結局最終的にはうささんグループ全体で、砂浜にしゃがみ込んで砂を掘り続けることになってしまった。
となりでもくもくと泡立った白波がまだ残る砂を掻きわける藤崎を横目で見つめていると、滑れ落ちてきた髪をかきあげる藤崎と目があってしまう。
「…なかなか、みつからないね」
「そうね。・・・・あっ」
突然あがった声に導かれて藤崎の手元を見つめると、そこには半透明の青色をした石があった。
藤崎はそれを指先でつまむと太陽にかがげる。
キラキラと光りを通して青く光るそれに、藤崎はほうっと息をつく。
「きれいな石」
「藤崎、それガラスだと思うよ」
俺の言葉に藤崎の瞳が石から俺にうつる。
まんまるに開かれた瞳に、俺は少し吹きだすとごめんと藤崎に謝りながら言葉を続ける。
「水に流されて、砂と一緒にあらわれている内に角がとれちゃってそんな風にすべすべなきれいな石になるんだよ」
俺の言葉に藤崎はへーと頷くと、いそいそとビニール袋を開いて中にそれをしまいこんだ。
「持って帰るの?」
俺の言葉に藤崎はうんと頷いて、さらにそれを探し続けた。
貝よりガラスのかけらを夢中に探し始めた藤崎に、おれはなぜかほっとしながら隣で同じく透明でいびつなガラスなかけらを探し始める。
キラキラと輝く白波をたどると、藤田にせっつかれながら砂浜を両手で掘り返している灰田の姿が目に入る。
藤田がぎゃーぎゃー騒ぎ出してから少しして、一人でいた俺の所にやってきた灰田は静かに「違うからな。ごめん」といった。
違うから、ごめん。
って、なんだよ。俺は喉の奥まででそうになった声をぐっと喉仏で押えこみながら、灰田の顔を見れずにただ「どうせいつもの何も考えていないでした行動だろ」と軽口をたたくと、隣の灰田がほっと安堵したように息をつくのがわかった。
「海にくると貝がらをひろってていう奴がいてさー。そんで癖で拾っちゃったんだけど、俺は別にいらないからよう」
手に入れたけどいらなんだ。灰田の傲慢な言葉に俺はわけもわからない衝動をかんじた、胸のうちで膨れるような炙れるような熱くて暗くて息苦しくなるような感情を。
「そうなんだ」
「ほら」と言って灰田がこちらに手を差し出してくる。だまったまま俺が右手を上にむけて拡げると、そこにかいがらが落とされる。
「お前にもやるよ」
「・・・きもちわるい」
俺の言葉に灰田は笑うと「本田にもやってくるわ。まだまだいっぱいあんだよ」といってその場を立ちさる。俺はそれをじっと木偶の坊のようにそこに立ちながら見送ることしかできなかった。
ぼうっとした頭のままで、真剣にガラスを探している藤崎の横顔が浮かぶ。俺がそっと藤崎の小さな掌の上に緑と青の石を落とすと、藤崎はほんのりと頬を紅潮させながら「ありがとう」と波の音にまぎれて消えてしまいそうなほどの声でお礼をいった。
俺は藤崎のそれを思い出して、彼女は灰田の前でもあんなか顔をしたのだろうかと想像すると喉の奥に苦いものを感じで再び目をふせる。
隣で騒ぎながら土産をあさる澪に、母親が「お兄ちゃん疲れてるんだから、もうちょっと静かにしなさい」と叱りつける。澪が黙りこんだので、テレビのついていない居間には遠くから聞こえてくる蝉の声が微かに聞こえる。俺は瞳を閉じながら、自分の腹の上にかけられたタオルの柔らかな感触を感じながら深く息をすってその場で眠りにおちた。