妄想男子
「なー」
「んー」
かっこつけて軽音部に入るかー、なんて明らかに下心みえみえなことを、胸を小突きあいながら言っていたのはつい一か月前。
そんなことをいいながらアハアハ笑いあっているうちに、部活動を決める期間であった一カ月は過ぎ去った。
俺たちは今どこにも所属していない。
いわゆる帰宅部というやつだ。
「帰宅部だってなめんなよ。きっと全県、全国を合わせると我が帰宅部こそが、一番の大勢力。サッカーや野球なんて眼じゃねーぜ。あははは」
なんて笑っても、むなしさだけが木枯らしのように吹くだけだということは二週間と二日前に二人とも気付いた。
まだ太陽が昇っている中、グラウンドで駆け回るサッカー部のやつらと、それを夢見るような瞳で見守るマネージャーを俺は陰鬱な横目でみつめる。
「なー、マネージャーってどうして三割増しでかわいくみえんだろうなー」
「う~ん・・・。それはきっと、俺たちがマネージャーという存在を神格化しているからだと思う」
灰田がうんうんと真面目腐った顔つきで頷きながら言う。
「神格化って・・・・・・・・言いすぎじゃない?」
テニスコートを走る女子を「あージャージじゃなくてスカートで走らないかな~」とか思いながら、お互い特にこの後の予定もないのでだらだらと歩いていく。
「いーや。考えてみろ。むさくるし~男たちが、あさくさ~くなりながら、互いの臭気に耐えながらまるで修行僧のようにただひたすら炎天下のグランドを、非情なコーチの「まだまだぁ!」という声を遠くに感じながら走っていたとする。
すでに体力は限界で、喉もカラカラで、足も生まれたての小鹿より頼りないくらいだ。
そんな中で、ようやく止めの合図の笛が鳴る。
その時、その場に崩れるようにして倒れ込んだのがお前だとしよう。
汗か涙かどちらかわからないもので揺れる視界に・・・・・そうだな、あの、右から二番目。あの子が現れて、そっとお前の口元にペットボトルを沿いあてたとする……」
感情のこもった語りっぷりに、灰田の文が脳内でどんどんと映像化されていく。
俺は、この初夏の中あの糞暑いグランドを走っていて。
すでに限界を超えてしまっている俺に対して、中学の時野球部をしていたから基礎体力は十分にある灰田は多少の苦しさは滲ませているが、俺からしてみれは悠々とした様子で俺に軽く声をかけつつも抜けていく。
すでに自分が走っているのかも、わからないほど朦朧とした俺に、涼しい顔をしたコーチの罵声が届く。「本田ー若さをみせろ!若さを!!先生がお前ぐらいのときはなー」
非常に遠くから聞こえる教師の、若かった時の自慢話を右から左に受け流しながら走り続ける。喉からはひゅーひゅーと空気がもれ、呼吸の合間、合間に「死ぬ、死ぬぅ、殺せ、ころして・・・くれい」と、臨終間際の老人のうわ言さながらに呟く俺は、はたから見たら幽鬼そのものだろう。
幽鬼とかした俺は、重い足を必死で、右、左と呪文のように唱えながら、なんとか前へ前へと押し出す。へっぴり腰になりながらも歩みを止めない俺を、わきを駆け抜けていく他の部員たちが少し小馬鹿にした様子で「ファイト―」などと言いながら過ぎていく。
だんだんとおねえ歩きになってきた俺を、サッカーボールについた泥を吹いているマネージャたちがクスクスと笑っている。
・・・何がおかしいんだ。
俺は今必死で頑張っているというのに、それこそ命がけだ。時々ニュースになる部活動中の熱中症での死亡事故いっぽ手前になっても脱落することなく、必死で両足を前へ、前へと動かしているというのに! 前に進もうと努力しているものを、たとえ格好悪いからといって、笑うものがどこにいるのだバカ者め!
必死で、必死で頑張っている姿をみて笑うなんて、どこが女神だ……スタイルは確かにいいがよく見ると魚に似てんだよ、この魚三姉妹どもめが。
……負の力をもって、なんとか終了の笛の合図まで走り終えた俺は、笛の音に一気に両足から力が抜ける。
もう走らなくていいという安堵感と、走り切ったという達成感。
死ぬまで行進を続けたというどこかの聖者みたいな、安らかなきもちで眼を閉じかけた俺の視界に揺れる黒髪。
それは、後ろや、両脇で二つに括っている魚三姉妹ではなく―――。
黒い髪が肩先でゆれる。心配げに、眉をひそめながらこちらを見下ろす。
ああ、そんな顔もできたんだな……。
気持ちと脳内だけはどこかの有名アニメーション映画の主人公のつもりで、俺は息絶え絶えの中美織を見上げる。
脳内でいかに補完しようと、主人公さながらに俺が彼女に「そなたは美しい」なんていえるわけがない。
なぜなら俺は、主人公にもなれない一般バンピーで、しかもどちらかというと顔も性格もモブキャラなのだ。主人公の友達ポジションを与えられるほどテンションもコミュニュケーション能力も高くはない。
けど、そんな俺でもボキャブラリーの少ない語録を引っ張り出してしまうほど、彼女の俺を見つめる瞳は美しかった。
きれいだ…。
微かにもれた言葉に、美織は先ほどまでこわばらせていた表情をふっと緩めると、そっとペットボトルを差し出してきて、俺の唇にそっと寄せる。
なんて優しいのだろうと思いながら、飲みやすいように頭を持ち上げようとするが力が入らない。口の中にはいっても脇からもれて、首元をびしゃびしゃにする俺をみて、美織はそっと俺の首の下に手を入れる。
柔らかくて温かい掌が、うなじを支えると、そっと持ち上げられる。
重いだろうに、美織はそんな顔一つみせずに、再度俺の口元にペットボトルを合わせる。
ピッタリと合わさったそれは、ゆっくりと傾けられ、俺の喉に静かに流し込まれていく。
甘露水のごとくそれに、俺はそっと眼を細める。
長い妄想を終えた俺は、隣でずっと俺をうかがっていた灰田に、すごくいい笑顔で笑いかけた。
「確かに、女神だ―――」
「だろ」
長い妄想終えて、いい笑顔をする俺に灰田は苦笑しながら、手で頭をがしがしとかく。
「なー、灰田。お前どうして、部活に入らないんだ?」
「んー―…、ちょっと疲れたかのかな~。ずっとやってきたから」
灰田はグランドでひたすらいったりきたりを繰り返す一年の野球部をぼんやりとした瞳で見つめる。
「小学校の時からやってたんだっけ?野球」
「両親が好きだったからな。そりゃーもう物心ついたころから野球尽くし」
軽く肩を窄めながら冗談めかしていうと、灰田は集合の笛のなった野球部から眼をそらしてこっちをみる。
「ちっちゃいころからそうだったから、野球をするのが当たり前だと思ってた」
ひとり言のようにもらした灰田に、俺は「ふ~ん」とそっけない生半可な返事を返す。
「思春期にありがちな親への反発みたいな~?」
「あはは。ま~そうかな。俺たちいま青春まっただなかなわけだし、そういっておきましょうか」
青春なんて青臭い、なんて思いながら笑う俺らはきっとまだ子供で。
そういう風に、自分の中のもやもやしたものを大人ぶって、小馬鹿にして笑うのだ。
それが青春なんだよ。なんて大人な自分と子供な自分で自問自答しながら、だんだんと日がかげってきた道を俺たちは今日も歩く。
平坦で退屈な日常と、実りのない馬鹿げた会話、妄想。
それにほんのちょっと、ひと匙甘い恋心。
何がおかしいのかわからずに、笑いあいながら、影が伸びていくのをじっとみつめる。
学校で一番の美人が俺を好きだ、毎朝起しにきてくれる幼馴染の女の子がいる、なんてどっかの漫画の主人公みたいなことはないが、俺はこの毎日が好きだ。
馬鹿げた会話で盛り上がれる友人がいて、ほのかに恋心をいだく同級生もいる。
俺が、ふふふと気持ち悪い笑いをもらすと、それにつられるように灰田が「なんだよ」と笑う。
「よし、今日はフアミレスで飯でもくってくかー」
「あー、あそこ昨日から新作のパルフェでたんだよな。キウイパルフェ!」
「パルフェってなんだよ。お前キモいな」
「でゅふふ」
「なんだよその笑い」
「でゅふふふふ」
「だから、なんなんだよ」
俺のあまりのうざさに、灰田が裏太ももに軽い蹴りをいれる。
いってーな、なんだよ~なんて言いながら、そろそろ蛙が泣き出したあぜ道をゆく。
モブキャラの俺にしたら、上等。上等。