海上男女
「うう・・・ん・・」
畳の部屋にしかれた布団の上で彼女が首をことりと動かした。
乾ききっていない、生乾きの髪が頬や首元にはりついているのが不愉快なのか、眉間に大きな皺がよっている。
俺はそっと、おそるおそるといった様子ではりついたそれをはがす。
「・・つめたい」
指先でつまんだ髪に力をいれると、先から水滴が溢れてくる。重力に逆らえずに滴となっておちた水滴が藤崎の首元に落ちてつうっとうなじをたどり、後ろの桜色のシーツに濃いシミがつくのを俺はじっと息をとめてみつめていた。
目がそらせないでいる自分を心のうちで罵倒すると、その場でぎゅっと体育座りをして顔を膝に埋める。
・・・灰田の迅速な判断の結果、藤崎は無事だった。
灰田と本庄がぐったりとした藤崎をかかえて海からあがって来た時は、生きた心地がしなかった。
砂浜に横にならせると、すぐに海水を吐き出しはじめた藤崎を背を灰田が少し乱暴にさすっているのを、
俺は背後に突っ立ったまま呆然としたまま見つめていた。
そうしてからすぐに、涙に揺れる瞳を虚ろに開いた藤崎の顔にへばりついた髪を、灰田の大きな掌が撫でるようにして後ろに流す。
目をあけて、青空や周りを確認した後にすぐに目を閉じた藤崎に周りは慌てたが、俺が呼んだ先生の「水を飲みすぎただけ」という言葉に、集まっていた人々が安堵の息をもらす。
先生の「部屋に休ませておこう」という言葉で、灰田と本庄が藤崎の身体を抱えていく。その時、灰田が俺に向かって「藤崎の荷物もってきて」と小さく声をかけるまで、俺は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そして、今この部屋には俺と藤崎しかいない。
保険の先生か女の先生がくるまでのほんのわずかな時間を、灰田は俺に与えてくれた。
気を失っている藤崎が身体をくねらすたびに、情けないことに俺は敏感にそれを察知し見ていないというのに、脳裏にまざまざとその様を映し出す。
「ううん・・・」
藤崎が一際大きく、長い声をあげたので顔をあげると、そこにはうっすらと瞳を開いた藤崎がいた。
「ふ・・じさき、大丈夫か?」
俺の声に藤崎は小さく唸ると、頭が痛むのか額に手をあてた。身体を起そうとする藤崎に、俺はそっと彼女の肩を掴んでその場に留める。
「もう少し、寝てた方がいい」
「・・・わたし、海にいたわ」
ぼんやりとした様子でこちらを見上げる藤崎に、俺は苦笑するとそっと乱れた掛け布団を直す。
「うん」
「海にいたわ・・・で、足をつって―――溺れたのね」
「無事でよかったよ・・・」
藤崎の青い唇が動くのをみて、俺はほっと息をもらしながら藤崎に「もう少し休んだほうがいい」と告げると、彼女は力なく頷くと無防備に瞳を閉じた。
部屋にこもる熱を動かす、夏のなまぬるい風が部屋に入ってくる。
揺れるカーテンをぼうっと俺がみつめていると、寝たと思っていた藤崎が静かに口を開いた。
「本田君・・。助けてくれて、ありがとう…」
とじた瞼を軽くあけた藤崎に、俺はぎこちなく頬笑みかえしながら一つ頷くことしかできなかった。
安心しきった顔で寝むりについた藤崎の頬をみると、先ほどよりも赤みがさしてきたのがわかった。
寝顔を見ていると、部屋の扉が静かに開かれる。
俺が静かに身体を向けると、そこには保険医の姿があった。
保険医は「遅くなってごめん」と口を動かすと、見ていてくれてありがとうといって俺を部屋から暗い廊下に押し出した。
海からあがってから身体を拭く暇もなかったために冷え切った体に、ようやく気付いて俺はぶるっと身体を震わせる。
日陰の廊下にいると寒いのか、それとも暑いのかわからない感覚に陥る。
確実にわかるというのが、ただ不快だというだけだ。
じとりとした汗が背を伝うに、ぞくりとしながら俺は頭をふる。
溺れかけた藤崎を助けることもできずに、好きな女が助かったことに喜ぶことよりもつまらない自分の矜持に傷つく自分に反吐が出そうになりながら、俺は淀んだ空気に溺れそうになりながらあえいだ。
本田君、助けてくれてありがとう。
○○男女ってつけるのがつらくなってきた・・・。